■ひろたりあん通信バックナンバー
▼2002年 6月号
地名推理ファイル歴史探偵 高丸の地名推理ファイル
■ファイル1 市ヶ尾(前編)
『桜三月散歩道』 井上陽水の歌ではないが、今年は狂った桜が急ぎ足でやって来た。(この分だと入学式の頃は葉桜かな・・・それより四月の声を聞く前に花見をしないと散ってしまうぞ)
 満開の桜を眺めながらそんなことを考えていると、メールを知らせる携帯の着メロが鳴った。(さっそく友人からの花見のお誘いかな)期待して携帯を開く。しかし、送信者はひろたりあん通信編集部のKキャップであった。
《郷土の歴史を地名から調べてほしい》
 当ては外れたが待ちに待った調査依頼だ。
(地名か、さすがはキャップ、目の付け所が違う。)
 感心したものの難しい課題だ。歴史を調べるには古い地名からだが、現在、古い地名の多くは使われていない。特に青葉区は昭和四十年以降の土地区画整理事業でほとんどが新興住宅らしい新しい地名に変わっている。
(さて、何処から始めようかな)考えた末、古い地名が今でも使われている『市ヶ尾』にすることにした。

市ヶ尾は市郷?
『市ヶ尾』古くは都筑郡市ヶ尾村といい。明治二十二年、市町村制が実施されると中里村大字市ヶ尾となり、昭和十四年に横浜市に編入され市ヶ尾町となった。

 戦国大名の小田原北条氏が一五五九年に作成した『小田原衆所領役帳』には「市郷」と書かれている。戦国時代末期から江戸時代に市郷(ごう)から市ヶ尾(がお)に改名されたのではないかと言われている。

 単純に解釈すれば市は(市場)で郷は(村)、辞書で市を引くと「人が多く集まる所。原始・古代の社会では神聖な場所を選んで物品の交換、売買、会合などを行った」とある。市が立つほど栄えた土地だったのであろうか。同様に市のつく地名では千葉の市川と市原がある、どちらも下総・上総の国府があったと言われ、古代の中心都市である。少なくとも市ヶ尾が都筑郡の中心地だった可能性は十分考えられる。

 いっぽう、語源辞典によるとイチは(険しい地形)ヲが(高い所)となっている。高くて険しい地形?今ひとつピンとこない。こんな時は実際にその土地を歩くにかぎる。

 さっそく市ヶ尾の町を散策することにしたが、市の説明の中に古代の神聖な場所とあったのが気になる。古代の神聖な場所?
(そうか、古墳があった!)

険しい地形
 市が尾駅から徒歩一〇分、わがひろたりあん通信本部から数分のところに市ヶ尾小学校があり、その正門前に史跡公園として整備された「市ヶ尾横穴古墳群」はある。

 改めてこの辺りを歩いてみると坂道や階段が多い起伏の激しい土地だと実感する。(やはり、高く険しい土地が正解かな。)と思いつつ、階段を上り古墳にむかう。
 鶴見川流域には六世紀後半から七世紀後半の古墳時代に造られた横穴墓が数多く残されている。昭和八年に発見された「市ヶ尾横穴古墳群」は谷本川(鶴見川上流)左岸の丘陵部の傾斜面を掘りぬいて造られた共同墓地が二十基で構成されている。被葬者はこの地域の古代豪族の家族集団と推測されている。
 市ヶ尾周辺は古墳や遺跡が多いせいか、古代史に興味のある人がけっこう訪れる。この日もバックを背負ったウォーキング姿の年配者が男女合わせて八人ほど、少し若いガイドと思われる男性の話に熱心に耳を傾けていた。邪魔をしないようにその横をすり抜けようとしたその時「高丸さんじゃないですか?」
 ふいに名前を呼ばれて、驚いて振り返ると先ほどのガイドさんがさわやかな笑顔でこちらを見ている。
「ああ、誰かと思えばMさんじゃないですか」

写真 歴史街道探検隊
 M氏は多摩市在住の古街道研究家で歴史ルポライター。最近『鎌倉街道伝説』なる本を出した、まさしくその道のプロである。今日は歴史街道探検隊のメンバーを引き連れて都筑郡の遺跡を見学に来たという。めいめいが紹介しあったあと、M氏に市ヶ尾の地名を調べていることを伝え意見を聞いた。

 「市ヶ尾が市のある中心地と言う解釈は正解だと思いますよ」
 との答、専門家に肯定されれば心強い。だが、そのあとに続いた言葉は思いがけないものであった。
「その事と関連があるかもしれませんが、市ヶ尾に関する新しい発見があったんですよ」
「エッ、発見ですか?」
「そうです。今日、市ヶ尾に来たのは、それを確かめる為なんですよ。これを見てください」
 バックから神奈川県の地図を取り出して広げる。
「凄いですよ。市ヶ尾は」
そう言った彼の瞳は少年のように輝いていた。(つづく)
                                        宮 澤

■前に戻る■