■ひろたりあん通信バックナンバー
▼2002年 8月号
地名推理ファイル歴史探偵 高丸の地名推理ファイル
■ファイル2 荏田
 六月は日韓Wカップに日本中が熱狂し、人々はテレビに釘付け、宅配ピザが飛ぶように売れる一方、繁華街には閑古鳥が飛びかった。 Wカップの影響など露ほども無く、常に閑古鳥が鳴いているあざみ野のバー『K』のカウンターで、スコッチのグラスを傾けながら、焼きナスをつまむ。マスターはひろたりあん通信をひろげてヒマそうにしている。
「この都筑の郡ナントカって言うのは何処にあるんです?」
おもむろにマスターが訊く。
「郡ナントカ??あぁグンガのことね」
「あ!小樽にあるやつ?」
「それは運河!これは郡衙!」

長者原遺跡
(郡衙跡)
 郡衙は今で言う市役所のようなものだと前号で書いた。役所と言っても租(そ)や調(ちょう)と言った都へ納める税(特産品)を集積し、検査したあと国府に運ぶのが主な仕事である。武蔵の国は布が主な特産品で調が布、調布や田園調布などの地名はここからきている。

 江田駅の南、国道246号線沿いのスタンレー技術研究所から、その裏を通る東名高速道の向こう側にある荏田猿田公園(荏田西二丁目)の辺りが都筑の郡衙跡と推定されている。市ヶ尾の朝光寺原遺跡から一キロの距離で、東西170m・南北390mの範囲から掘立柱建物や倉庫群などの遺構が発見され、「都」の文字が記された土器などが出土している。

 この遺跡の脇を走る国道246号は8世紀後半の東海道にあたっていて幹線道路にすぐ出られ、交通の便を考えて造営されていた事が分かる。

水のある土地?
「荏田ねぇ。駅前を見ると何にも無いけどね」
とマスター。確かに、東急沿線の中でも江田駅前は特に寂しい。
「この荏田と言う地名にも意味があるんでしょう?」
「もちろん。荏田はもともとは江田だったんです。駅名にその名残りがあるんですが、江は入り江の江、または湿地を意味するんです」
「じゃあ、江田だから湿田があったとか」
「そこなんですけど、全ての田が必ずしも田んぼのことではないんですよ。接尾語で方向や場所、位置を示すタで、彼方、貴方、下などのタ、です」
 古代、まだ稲作などは浸透していない。時代が下って地名に漢字を当てはめた時に、願望的に田の字が使用されたと地名学では言う。
「山田も山のある所ですか?」
「そう言う場合もあります。江田は小黒谷や赤田谷など谷(やと)が多いことから、湿地または水のある所という意味じゃないかと思いますよ」
「へぇ〜なるほどね」
「源義経は知ってますよね」
「あっ当たり前じゃないですか!バカにしてますね」
「アハハッ!その義経の物語の中で弁慶などと一緒に活躍する江田源三と言う武将はこの荏田の出身だと言われているんですよ」
「江田源三!聞いたことがあるな。本当ですか?」
「あくまでも言い伝えです」
大山街道、荏田宿(えだじゅく)
 先ほどの古代東海道は鎌倉時代以降廃れてしまったが、江戸時代に大山街道(矢倉沢往還、または青山街道)として復活する。この大山街道は関東各地の農民や商人が丹沢にある大山阿夫利神社(雨乞いの神様であふりと読む)に参拝する大山詣でが流行したことから大いに賑わった。

 国道246号を渋谷方面から来て荏田の交差点を右に曲がる。いつも渋滞しているこの狭い道が荏田宿だった所である。真っ直ぐ進み、農協の脇の道を左に折れ、早淵川沿いに走る道が溝口の宿を経由して江戸に向かう大山街道。

 逆に荏田宿の道を戻り、246号を突っ切って、すぐの赤田の交差点を左に曲がり、街灯に「荏田本通」と表示のある道を246と平行に進む。大山街道はこの先、長津田、厚木方面に向かう。この道の途中に阿夫利神社と書かれた灯篭が建てられていて、旧盆から8月いっぱい灯りが点り道を照らしている。

「この辺りは小黒(こぐろ)と呼ばれているんですが、江田源三が義経から賜わった名馬の名前からついたと言う由来があるそうです」
「へぇー、馬の名前ねぇ」
「だから、あくまでも言い伝えです」

★ ★ ★

 赤田の交差点を左に曲がらず、道なりに直進すると東名の高架をくぐって荏田から新石川に出る道がある。通称『釈迦道(しゃかんどう)』と地元では呼ばれている。
「そのしゃかんどうは何処に続いているんです?」
「それは次号、石川編にてジャンジャン」
                          宮 澤
写真
大山灯篭 阿夫利神社 イラストも筆者

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