| ■ひろたりあん通信バックナンバー |
| ▼2003年 8月号 |
| 地名推理ファイル歴史探偵 高丸の地名推理ファイル」 |
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■ファイル7 美しが丘西(前編) この七月七日に「廣田新聞・美しが丘支店」が駅前商店街から美しが丘西三丁目に移転しました。これからも変わらぬご愛顧のほどよろしくお願いいたします。 保木(ほぎ) 横浜市最北部「美しが丘西」は平成元年に元石川の一部から新設された町で、古くは石川村の八つの集落の一番上(かみ)の地区で保木(ほぎ)と呼ばれてた。庚申塔や墓碑などの石造物には石川郷保儀村の銘が見られ、地元の人たちは今でも「ほうぎ」と親しみを込めて呼 ぶ。 保木の地名の由来については例の荏田・石川両村の水争い伝説の中で「水没した石川村に木に帆を揚げた舟を出したから(帆木)、それがいつしか(保木)になった」と言う話が伝わっている。しかし、村が沈んでしまった一大事、そんな危急存亡の時に呑気に「帆かけ舟」を出すというのはどうなんだろう?ここまで来ると単なる語呂合わせか言葉遊びとしか思えない。 一風変わった「保木」と言う地名は意外にも日本各地に見られる。関東では東京足立区に保木間(ほきま)、埼玉県に保木野(ほきの)などがあるが(ホギ)ではなく(ホキ)と濁らない。地名語源辞典によるとホキ、ホギは崖や山腹の険しい所、または山間の深い谷の意味で「剥ぐ(はぐ)=剥がれる」や「解ぐ(ほぐ)=穴が開く、崩れる」の意味があり、崩壊地形などに多いとある。 現在の保木地区からは想像できないが、本当にそうなのだろうか? 場所は私の生誕地である長良川の上流、鮎釣りのメッカ清流「板取川」のそのまた上流。キャンプ場や温泉の近くに「保木口」と小さく書かれている。 地図に目を凝らすと今度は美濃市のすぐ上、長良川沿いに「保木脇(ほきわき)」があり、それより三キロほど上流、「日本のへそ」として有名な美並村には「歩岐平(ほきびら)」と言う地名があるではないか。 他にも飛騨地方に「保木林」、そして世界遺産・合掌造りの白川郷から御母衣ダムの間にも「保木脇」があった。地図上ではいずれの土地も山あいの川に沿った土地であることが分かる。 白川村の「保木脇」を見つけたときには思わず唸った。何年か前、富山県の五箇山(ごかやま)合掌集落から白川郷を抜けて郡上八幡(ぐじょうはちまん)のコースを旅した際、この保木脇にも立ち寄っている。と言ってもその時は地名など気にも留めずひたすら城跡を探していたのだが・・・結局、城は見つからなかった。(それもその筈、その城はとっくの昔に地上から姿を消している) その地下には大量の金や財宝が埋まっているなど、歴史ファンにとって謎とロマンをかきたてる伝説の城である。今も大規模な山崩れの爪痕が生々しく残っているが、その後の度重なる地震で崩壊を繰り返し地形や川筋が変化していると いう。 やはり「保木」はこう言った崩壊地形を指すのだろうか。 「・・・ホギ、ミノオオタ〜」(今、確かにホギと聞こえたぞ)すぐに近くにいた駅員を呼びとめ確認してみると 「サカホギですね。高山本線の美濃太田の手前ですよ」 路線図を見ると「坂祝」と書いて「サカホギ」と言う駅がある。(祝うと書いてホギ、う〜ん、これは怪しい。もしかして・・・ 帰りの新幹線まであと三時間。よし、行ってみるか!) 足は高山本線のホームに向かっていた。 「坂祝の字については明治三十年の七ヶ村合併のおりに、この地にあった坂祝(さかはふり)神社の名前から採られたのですが、古くは「サカホキ」で「歩危(ホキ)」からきていると言われています。中山道の鵜沼宿から太田宿の中間にあるその字のごとく歩くのが危険な河岸絶壁の地だったそうです」 企画課の小島さんが町史を開きながら丁寧に説明してくださった。 (思ったとおりだ!) 比ぶべきもないが石川村の保木には早淵川の源流がある。 (つづく) 宮 澤 |