| ■ひろたりあん通信バックナンバー |
| ▼2003年 9月号 |
| 地名推理ファイル歴史探偵 高丸の地名推理ファイル」 |
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■ファイル7 美しが丘西(中編) 川のある土地 長良川の上流「板取川」。二十数年ぶりに河原に降りてみた。ジーパンを捲り上げ膝まで川の水に浸かる。真っ白な足の甲と川底の小石の一つ一つがハッキリ見える。 子供の頃毎年夏休みには水浴びをして遊んだこの川の水は今も変わらず澄みわたっている。民家の庭先からは山の水がとぎれることなく湧いていて、真夏でも冷たくて美味い水が飲める。 「石川」の語源が「石が透けて見えるほど澄んでいる川」を意味していることは以前書いた。 地元の人に尋ねると早淵川は小石というよりも大きな岩盤の上を流れていたそうだ。今の『ウシオ電機研究所』の近くには堰が設けられていて、当時の子供達は、水浴びや魚とりをして遊んでいた。堰は飛び込みをしても大丈夫なほど深かった。 その堰から300メートルほど下った辺り、六尺道と呼ばれた旧道から川岸の洗い場に降りる坂があって土地の人はここで収穫した野菜や農具を洗っていた。早淵川は人々の生活の一部であり、子供たちが自然と触れ合うための貴重な遊び場でもあった。 隣の村と水争いをしなければいけないほど大切にされたこの川も、今では単なる雨水を排水するためだけの水路でしかない。 一人は人間の投棄した大量のゴミによって汚染され「クサレ神」となった大きな川の神。 そしてもう一人、主人公を助ける「ハク」と言う少年。正体は白い竜(水神の象徴)でマンション建設の為に埋め立てられ地上から姿を消したコハク川の神である。 物語のラスト、千尋は「ハク」の本名をそして川との関係を思い出す。その名は「ニギハヤミコハクヌシ」。 身近な早淵川もこのままでは「クサレ神」と言わないまでも、コハク川のように人々から忘れ去られてしまうのではないだろうか。 「ニギハヤミハヤブチヌシ」通称が「ブチ」では犬みたいではないか・・・。
川の思い出、川との関係をどうか忘れないで欲しいものである。
早淵川の水源 流れをたどっていくと保木の入り口、元石川町の市街化調整区域のところで川は蓋をされて地表から姿を消す。 開発が進み宅地化された美しが丘西のどこにも水源らしい場所を見いだすことはできない。 住んでいる方に訊ねても水源どころか川があったことすら知らない人が大半である。 保木に古くからある飯島材木店の飯島弘一さんに昔の川の様子を伺った。 本流の水源は、入りの谷(いりのやと)と呼ばれていたそうだ。 小谷の上の山(ちょうど美しが丘店の新社屋の裏側の高台)は晴れた日には横浜の港が見えるほどこの辺りでは一番高い山だったという。 因みに水源の向こう側川崎の「潮見台」も海を通る船まで見えた高台だったところから明治時代に名付けられた。 (まさに全国のホキ地名に共通する地形ではないか) 保木の薬師堂の薬師如来坐像、十社宮、八雲神社、倶利伽羅(くりから)不動など。 倶利伽羅不動の石碑は、先述した滝ノ沢谷の滝壺に、水源地を守るように祭られていた。 お不動様は、現在は飯島安男さん方に移されているとの情報を得て、さっそくご自宅にお伺いした。 庭の片隅の小さな祠に倶利伽羅不動は祀られていた。竜が剣(つるぎ)に巻き付き今まさに剣先を飲みこもうとする 迫力のある姿。暗い祠の中が一瞬輝いたように感じられたのは気のせいか。 そのお不動様も迫力があるが、その隣の祠に祀られている鉄の塊のようなお不動様のいわれがまた信じられないような不思議な話なのである。 (つづく) 宮澤 |