■ひろたりあん通信バックナンバー
▼2003年 10月号
地名推理ファイル歴史探偵 高丸の地名推理ファイル」
■ファイル7 美しが丘西(後編)
 三年前、どんづまりだった県道横浜生田線のバス通りが保木の交差点から北に突き抜けて尻手黒川線につながった。それまでは狭くて危険な七曲りの道を迂回して北部市場の脇を抜けて いた。おかげで川崎側に抜けるのが、ずいぶん楽になった。

 その尻手黒川に出る稗原の交差点の200メートルほど手前、向かって左手に早淵川のもうひとつの水源「滝の沢谷」がある。その名のとおりかつては滝が流れていて、そこに「倶利伽羅不動」という龍の石碑が祀られてい た。

鉄の仏
 明治の初め、当時の神主さん(修験道を極めた方だったと言われている)の夢枕に毎晩お不動様が立ったそうだ。それで飯島一族に頼み込んで、言われた所を掘ってみると、そこから驚くことに一体の不動尊像が見つかったので ある。

 現在、滝壺は住宅地となり、小さな公園にその名をとどめるだけだが、永く水源地に祀られていたその龍の石碑とお不動様は飯島安男さん方に移されて庭の祠に大事に祀られてい る。

(因みに、平成20年に開催された北京オリンピックに、飯島さんの長男「飯島洋一さん」がセーリング競技レーザー級の選手として出場された。早渕川の源流で生まれ育った男が、早渕川が流れ下った横浜の港でボートを習い、そして世界の海に飛び出していったのである。なんとも感慨深い話ではないか…)

 さて、竜が剣を飲み込もうとする迫力ある倶利伽羅不動の横に、もうひとつ仏様がある。暗い小さな祠の中に鎮座するその黒っぽい姿は、目を凝らしても不動尊像なのかどうかの判別はつきづら い。

 まさか触ってみるようなバチ当たりな真似も出来ないのが、以前見た中世の産鉄民が作ったという鉄で出来た大黒様に似ている気がした。

 因みに産鉄民とは古代から踏鞴(タタラ)を使って製鉄をしていた集団で、映画「もののけ姫」にも登場する。有名なのは出雲地方だが、全国にその足跡が残っていて日本の歴史に深く関わってい る。

 鍛冶師、金鉱師はもちろん山伏や修験者、はたまた忍者までこの流れを汲むともいわれ、全国の地名にも鉄に関係するものが多く見られる。

(産鉄民の話しをすると地名推理一年分でも足りないが…。あっ、そういえば、滝の沢谷戸の向こう側は菅生じゃないか!)

スガ・スカ・スサ
 川崎の菅生(すがお)の地名はスゲやチガヤ、葦などの川や湿地帯に生える植物が生い茂った土地から名づけられたと言われている。

 これらの植物の根元には褐鉄鉱(かってつこう)と言う古代の製鉄の材料が採れ、またスガは洲処(すか)または須賀で砂鉄の採れる土地だと言う説もある。

 横須賀のスカも同様で観音崎の南にその名もタタラ浜という有名な砂鉄の産地があった。

 スカと同じようにスサも洲砂で砂鉄地名です。スサノオはこの「洲砂の王」で製鉄の技術を持ち込んだ渡来人だという説を唱える人もいる。

(あくまでも鉄からの連想だが、はたしてこの地域にも産鉄族がいたのかどうか?)

八雲神社ふたたび
 保木地区(美しが丘西)の字(あざ)は入り口から保島(ほじま)、次に保野(やすの)、そして一番西に関原(せきはら)となっている。

 保島には飯島さん、保野には小野辺さん、関原は関戸さんと面白いことに、この土地の地主さんの姓に、地名が関係しているのだ。

 面白いといえば、保木地区には八雲神社が二つある。

 なにが面白いかって? 地名推理第一回、市ヶ尾編で八雲神社が横穴古墳を拝む方向にあり、他の地域の八雲神社も古墳に関係しているのでは?と書いた。

 そう、この保木地区周辺からも、縄文、弥生の遺跡や古墳が数多く見つかっている。八雲神社の側には古墳がある。(by 高丸説)

 八雲神社のひとつは、保島公園の隣の飯島家が祀る下八雲神社。

 もうひとつは保木薬師堂の近くに移されている小さな社になってしまった関原の神社。

 他には無いかと、地図で探してみたら、もうひとつあった。川崎の稗原にも八雲神社はあった。計三つ、遺跡を囲むようにして存在していたのだ。

 八雲神社は明治以前、牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)と呼ばれていた。牛頭天王はインドの祇園精舎の守護神で、祇園祭で有名な京都の八坂神社も本来は牛頭天王社である。実は牛頭天王はスサノオノミコトと同一の神様なの だ。

 祇園祭は平安時代、京都で流行した疫病を退散させる為に始まったのだが、牛頭天王社も荒ぶる神スサノオ・牛頭天王という強力な厄病神を祀る事で、当時この地に流行した疫病を鎮めようとしたの だろうか?

 もしかすると古墳に眠る先住民の祟りと考えられていたのかも知れない。

保木薬師と十社宮
 本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)では牛頭天王は薬師如来の化身となって現れたものだといわれている。

 保木の薬師堂には鎌倉時代に作られたという薬師如来坐像が安置されていた。

(現在、県指定重要文化財として都筑区の歴史博物館に保存されている。毎年9月12日に里帰りして護摩法要が行われるている)

 薬師如来坐像は、病気平癒、特に目の病を治すとして地元の崇敬を集めていた。

 薬師堂の隣には十人の神様を祀った保木の鎮守、十社宮(じっしゃぐう)がある。

 七月と十月の祭りの日にはここから大太鼓が繰り出して町を練り歩く。勇壮なその太鼓の響きは、かつて遠く溝の口まで聞こえたそうだ。

  土地の人たちが「ほぎ」ではなく「ほうぎ」と親しみを込めて呼ぶのを聞くと、保木が大切な早淵川の源流だったというだけでなく、石川の人々の懐かしい心の源流(故郷)でもあったのではないかと思えて くる。             

                                              宮 澤


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