■ひろたりあん通信バックナンバー
▼2003年 12月号  
地名推理ファイル歴史探偵 高丸の地名推理ファイル」
ファイル8荏子田(後編)
 「エゴノキならすぐ近くにありますよ」
荏田西の野田さん(八月号・歩く人)から電話をいただいた。なんと市ヶ尾駅のバスのロータリーにエゴノキの街路樹が植えられているとのこと。さっそく行ってみると停留所の横にそれはあった。ご丁寧に幹に「エゴノキ(紅)」とプラカードが掛けられている。無ければ見過ごしてしまうほど細くて低いどこにでもある特徴の無い樹だ。

 エゴノキは初夏に清楚で小さな白い花が無数にぶら下がるように咲き、桜のようにあっという間に散って地面を白く染めていく。イギリスなどに輸入されて「日本のスノーベル(雪の鈴)」と呼ばれ親しまれているそうだが、この樹のプラカードには「紅」と書いてあるので紅い花が咲く珍しい品種らしい。この木は、別名「チナイ」「チシャノキ」、万葉集では「チサ」の名で歌われている。また、材質が粘り強くかたいのでソロバンの玉や将棋の駒、櫛など用途は多種多様。最近では街路樹だけでなく庭木にも使われることが多くなってきているが、昔は日本全国どこの里山にも自生していたのである。

 雑木林の多い武蔵野という土地、どこにでもあるエゴノキが沢山植わっていたというだけで地名になるというのも不思議な気がする。もっとも群生してなくても特徴のある木(形が変わっていたとか特別大きかったとか・・・)が一本あるだけで目印として名前が付くケースもあるのでいちがいに否定はできない。

エグッた地形?
 では、語源辞典にあるエグ・タはどうであろう。  荏子田は北側(保木方面)が山である。おかげで北風が遮られて冬でも過ごしやすい。その山の中腹、朝日公園にある横穴古墳(かんかん穴)のそのまた上に登って眼下に荏子田の町を見下ろしてみた。公園の前を旧道が走っている。かつてはこの道に並行して早淵川の支流が流れていて、その川沿いに住居がある小さな集落であった。向かい側には元石川高校の雑木林が見える。その丘はなだらかにすすき野方面に続いている。丘の向こうは船頭の集落(元石川、あざみ野)である。すすき野はかつて嶮山と呼ばれるほどの険しい山であった。すなわち、山と丘に囲まれている地形の中に荏子田の集落は存在する。
(ふ〜む。俯瞰して見れば、確かに山の側面を巨人が指でえぐったように見えなくもないな)

 そう思ってヒロタマップを広げると、現在の元石川地区に荏子田地区がえぐりこんでいる様に色分けされて見えてきた。これはあくまでも行政区域の(色分け)なので地名とは関わりない。しかし、地形的な面を考慮して区分されたとすると、まさに巨人の視点。エグッタ説もあながち見当はずれとは言えない。

桃山バーベキュー
 旧道に下りて歩いてみる。旧道はバス通りができるまでは荏子田のメインストリートであった。と言っても当時は細い砂利道で嶮山との境には兎坂と呼ばれる急な坂があり、普通の乗用車ではツルツル滑って上れないほどの難所?もありました。その先は王禅寺へと続き、山内の人々は参拝するのにこの道を利用し、正月や、その先の川崎市下麻生にある「麻生不動院」、別名「木賊(とくさ)不動」で毎年一月二十八日に開かれる「だるま市」の時には、福だるまを求める人々で大層な賑わいだったそうです。

 元石川高校の真向かいにある荏子田公園の遊水池の辺りは、先月号「わが町今昔」で紹介したように「山内酪農」の牧場のあった所です。穏やかな環境が酪農に適していたのかどうか、荏子田は乳牛だけでなく、養豚や養鶏なども盛んに行われていました。

 昭和三十年代から四十年代の初め、現在の食品スーパー「丸正」の辺りではブロイラー(食肉用若鶏)が飼育されていて、その隣の山(現在は住宅地)にあった「桃山バーベキュー」でそれを味わうことができました。「桃山」の名前はこの山に桃の木を植えたので付けられたそうで、春には桃の花の香りに囲まれてバーベキューができる、まさに桃源郷でした。自然の中でバーベキューができる施設は当時東京近郊では珍しく、遠方からも大勢の人がつめかけたそうです。バーベキューは火に気をつけてください。火傷すると、桃山バーベキューなだけに「アッチッチ!桃山!あっつっち桃山、安土桃山時代」(たまには笑わせないと。えっ、面白くない?ごめんなさい)

 荏子田の酪農もバーベキューセンターも、昭和四十年代から始まった宅地開発の波とともに消えていきました。                                    
                                          宮  澤


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