■ひろたりあん通信バックナンバー
2004年 2月号 
夢の吹く丘 〜都筑の丘のすばらしき人々〜
■ファイティング原田さん
日本ボクシング協会会長・ファイティング原田ジム会長


写真  現在人口45万を越える〈丘の横浜、青葉・都筑〉。私たちの暮らすこの街には、文化、芸能、スポーツなど、各分野で活躍されている方が大勢住まわれています。「人に歴史あり」そういった素晴らしい人生を歩まれている皆さんに、私(歴史探偵・高丸)が迷惑も顧みず、突撃インタビューを敢行。『夢』をテーマに大いに語っていただきます。

伝説のヒーロー
 1960年代、世界フライ級、バンタム級の二階級制覇を成し遂げ、ボクシングの黄金時代を築いて、日本中を熱狂させた「ファイティング原田」。その試合は四十代以上の年代の方なら誰もが目に焼きついているのではないでしょうか。惜しくも三階級制覇の夢は破れましたが、日本人で初めてアメリカのボクシング殿堂入りを果たすなど、原田さんは日本が誇るボクシング界の最大のヒーローなのです。

 原田さんが会長を務める「ファイティング原田ジム」が、この一月に鷺沼から都筑区の中川(中川1-20-18)に移転しました。
「母親が末長(川崎)の出身なので、子供の頃からこの辺はよく知ってますよ。昔は狸が出るような山の中でね」
 鷺沼、中川とこの地域にジムを構えたのも偶然。何か縁があるのかもしれません。

「この辺りは恵まれてますよ。子供たちも遊ぶところが沢山あって、東京じゃそうはいかない、家に帰ってゲームやるくらいしかないでしょう。もっと外で遊ばなきゃ。自然も残っていて、こんなにイイ環境なんだから」

 インタビューの最中、練習生の誰もが大きな声で元気に挨拶してからジムに入ってきます。

「スポーツや運動している子はちゃんと挨拶ができるでしょ。どんなに勉強が出来たって挨拶が満足にできない子は駄目ですよ。昔、チビッ子ボクシングで子供に教えていたけど、始めは挨拶から教えるんです。最初は恥ずかしくても、慣れてくれば大きな声で挨拶するようになる。挨拶されてイヤな気はしないでしょ。基本ですよ」

 納得です。新聞店でも挨拶は仕事の基本。一番大事なことです。
 原田さんも昔、新聞配達をされていたそうです。

みんな新聞少年だった
  「当時、ボクシングをやっていた人はみんなそうだよ。新聞配達はボクサーの原点だね。足腰は鍛えられるし、朝暗いうちから新聞を配って、それから練習をする。そういった人は責任感もあるし、使命感も違うよ。今は自分の稼いだお金で来るようなハングリー精神のある人が少なくなったね」

 今の若い人は恵まれすぎていて、昔の話をしても分かってもらえないことが多いと嘆く。一方、若い人と一緒に話しをしたり、汗をかくのも楽しみだと、会長は顔をほころばせる。

「いいもんだよ。たまに冷や汗もかくけど(笑)汗をかいたあとはみんな顔が光っているでしょ」

「何にでも言える事だけれど、夢を実現させるためには体が丈夫でないと。体力づくりや体を鍛えると言う意味でもボクシングは最高。イイ汗かかなきゃ。せっかく、ここに立派なジムがあるんだから(笑) 」

努力なくして成功なし
 
プロデビューから26連勝、62戦55勝(23KO)7敗、日本人には一度も負けなしの驚くべき実績の裏には人並み以上の努力もあったはず。

「僕の場合、ライバルに恵まれたね。僕と海老原、青木、当時は三羽ガラスと呼ばれて、いつも比較されていたんですよ。ちょうど、王・長島の関係みたいに。だけど、彼らのほうが僕よりも才能があったんです。僕なんか太る体質で背も低かったし(笑)だから、僕は彼ら以上に練習しました。彼らが一時間ならこっちは 二時間と。それが結果的に良かったんですよ。最後はより努力している者、練習した者が勝つんですよ」

写真  最後に今現在の夢をお聞きしました。
「ここに入門してくる人の中からいい選手が出てくれると嬉しいね。見てくれるお客さんを喜ばせるファイター、印象に残る選手を育てるのが夢だね。もちろん、自分が成しえなかった三階級制覇をしてくれるような、そんな選手を育てられたら最高だよ」

 かつて、私たちに夢を与えてくれたヒーローが、新たな「ヒーロー」を育て上げる。ふたたび『夢』を見させてもらえることに期待します。

 

「ボクシングのような厳しい練習を経験して、やるだけのことをやった人なら、他のどんな世界に行っても頑張れるんですよ。(努力なくして成功なし)何をやっても成功できます」

 夢は目標。例え叶わずとも、その目標に向かって精一杯努力することが何よりも大切。その努力が人生の糧となり、自分を多きく成長させると言うことですね。 

 本日はお忙しい中、貴重なお話 しを有難うございました。         (宮澤)


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