■ファイル10 すすき野(前編)
眠らない街・ススキノ
「ちょっと、ススキノでも行ってみるかな」
いつもの喫茶店でブレンドを飲みほして立ち上がる。
「オッ景気がいいな〜。何だよ〜俺も連れて行けよ」
と、隣に座っていた友人のヒロシがすかさず反応した。
「はぁ?景気は関係ないだろ。何か勘違いしてないか」
「まさか、ラーメン横丁にラーメン食べに行くわけじゃないだろ。イッヒッヒッ」
と妙な笑い方をする。
「やっぱり、勘違いしてやがる。札幌のススキノじゃないぞ。すぐそこのすすき野。そんなヒマと金がどこにあるんだ」
「ちぇっ、宮ちゃんも相変わらず時化(しけ)てやがんな〜」
「それは、お互い様だろ!」
ヒロシに限らず、ススキノと言うと近くにすすき野の町があるにもかかわらず「札幌のススキノ」を思い浮かべる人が少なからずいる。
北海道最大の歓楽街ススキノ、実は札幌にはススキノという名の住所は無いのです。明治初期、全国から北海道に渡り、札幌に集まった数千人の職工や作業員のために官許で設置された「薄野遊郭」がその名の起こりで、この一帯がススキの原だったからとも、この地を選んだ開拓監事の「薄井(うすい)竜之」の姓から取って「薄野」になったとも言われています。
大正時代になり、人口増加などの理由から「薄野遊郭」は別の土地に移されました。その跡地に飲食店などが多く立ち並ぶようになって、現在の「すすきの歓楽街」の基礎が出来上がったのです。通称がススキノ、駅名は「すすきの」、交番は「薄野」と表記も統一されていません。
薄のように・・・
札幌のススキノはともかく、わが青葉区のすすき野の町は、昭和48年の土地区画整理事業の施工にともない、鉄町、黒須田町、そして元石川町のそれぞれ一部から新設されました。この頃(緑区時代)に出来た町には緑=草木のイメージから植物の名に因んだ地名が多くあり、すすき野も「ススキ」と言う植物が武蔵野の地でよく生い茂る(繁茂)ことから、町の繁栄を願って付けられました。(隣の「もみの木台」は真っ直ぐに育つ「もみの木」のように発展することを願って付けられたと言うことです)
ススキは中国では「芒」、国字では「薄」、またの名を「尾花」、獣の尻尾のような花をみたててこう呼びます。「幽霊の正体見たり枯れ尾花」の尾花です。すすきは乾燥させて茅葺き屋根や草履などに利用されました。秋の代表的な季語でもあり、中秋の月見には欠かせません。
稲のレプリカ?
古代、秋の収穫のあと稲の束を高く積み上げ、その頂点に一本の木を立てて、次の年の豊穣をお祈りする収穫祭が日本全国、各農村でおこなわれていました。因みに、天皇が国民を代表して行う国家規模の収穫祭を新嘗祭(にいなめさい)、天皇が即位して最初に行う新嘗祭が大嘗祭(だいじょうさい)です。
この高く積んだ稲の束を「穂積(ほづみ)」と言い、穂積に立てた木のことを「すすき」と呼びました。(穂積=すすきと言う説もある)この聖木「すすき」は依り代(神霊が宿るモノ)として天から降りてくる稲の魂を受け止めるアンテナの役目と考えられていたのです。雷の事を稲妻(夫)と言いますが、天の神様が地上に稲の魂を送りこむのが雷の役目で田に雨をもたらすと言う意味があるのです。また神の字の「申」は稲光の象形文字です。
すすきの聖木が何の木だったのかは分かりません。イネ科の多年草である「すすき」が稲のレプリカ(複製品)として祭祀に利用されたのではないでしょうか。
鈴木さんのルーツ
全国で佐藤さんと一位二位を争う最多姓の「鈴木さん」。実はこの鈴木姓は聖木「すすき」からきているのです。
平安時代、和歌山県の熊野にある熊野三山(本宮大社、速玉大社、那智大社)には「蟻の熊野詣で」と言って蟻の行列に例えられるほど全国から大勢の人が参詣に訪れました。「クマ」は「カミ」と同義で熊野は神の住む聖なる土地。または仏教で言うところの極楽浄土。「根の国」「死の国」「黄泉の国」とも「甦りの国」だとも言われます。 熊野三山は時の権力者から一般庶民まで身分や階級や性別を超えて門戸を開き、日本全国に熊野信仰を広めたのです。
しかし、一般庶民にとって熊野は「GO DIE GO」(行って死んで行く、まさに黄泉がえり)ゴダイゴの歌「ガンダーラ」にあるように「誰もが皆行きたがるが遥かな世界」だったのです。そのような遠くて行くことが出来ない土地の人々のために日本各地に熊野神社が建てられました。
現在、全国津々浦々に約三千社あると言われる熊野神社。その神主さんとして熊野から派遣されたのが何を隠そう「鈴木さん」なのです。鈴木さんは熊野信仰の布教だけでなく稲作の農耕技術も教えました。
もちろん、技術の中には農耕儀礼も含まれます。
全国に二百余万人いる鈴木さんのルーツ。それは穂積の儀式を司る穂積氏の末裔だったのです。 つづく |