| ■ひろたりあん通信バックナンバー |
| ▼2004年6月号 |
| 地名推理ファイル歴史探偵 高丸の地名推理ファイル」 |
|
■ファイル11 黒須田・鉄編(中編) 二台のテレビカメラが私を狙っている。冷や汗が背中を伝い、やたらにノドが乾く。足は金縛りにあったようにその場に釘付けになり、声も・・・。 お詫び 「歩いて探すわが町の歴史」と銘打っておきながら、その大半が地名推理の面白さとそのきっかけになった私自身のエピソード。時間配分のまずさから、「わが町の歴史」の方は最後の15分と言う短さ、尻切れトンボでジ・エンド。 地名推理のきっかけ(オタ・オサ・ウタ・イタ) オタ地名は金鉱と深くむすびついていたのです。 奈良時代、日本で最初に金が採掘されたのは宮城県の涌谷(わくや)という町。ここには黄金山産金遺跡があり、近くには砂金採り体験のできる「天平ろまん館」と言う資料館が 建っています。 「陸奥(みちのく)の 小田なる山に 金ありと・・・」 万葉集の歌にあるように、この土地はかつて小田郡(おたごおり)と呼ばれていました。 その歌(ウタ)もオタと訛って、「歌詠み」は「オタよみ」と解釈するなら、歌人や俳人は金鉱脈を探って全国を旅していた人々だったと言う推理に結びつく。(ちょっと穿ち過ぎか) オタがイタと訛れば板。私が生まれた岐阜県美濃市の長良川の支流に「板取(いたどり)川」 と言う鮎の漁場として有名な川がある。流域は美濃和紙の伝統がうけつがれ守り続けられている地域であることでもわかるように水のひじょうに綺麗な川である。(和紙は水が命。因みに私の祖母も和紙を漉いていました。) この清流・板取川は「イタ取り川」=砂金を取った川ではないかと推理し て、帰省のさいに周辺を調べてみた。すると土地の民話に「金のたらいに乗ったお姫様」の伝説があるではないか。近くには御手洗(みたらい)や乙狩(おとがり)と言う地名もある。ミタライは「オタ洗い」、オトガリは「オタを狩る」ではないだろうか。 またオタ・オサの付く苗字も多い。推理とはいえ単なる偶然とは思えない。 鉄の川、鉄の山 先月号で神奈川が金川、またはカンナ(鉄穴)川で砂鉄の川だったのではないかと述べたが、調べていくと鶴見川にもその可能性が出てきた。 市ヶ尾から鶴見川を遡ると川崎の麻生区に入る。この麻生の麻は繊維の麻ではなく、アが接頭語でサもしくはソが古代朝鮮語の砂鉄を意味すると言われている。その麻生川の源流部には金程という町がある。 その先の町田市三輪町にはタタラ川の名が・・・。 三輪町には奈良県の三輪山に姿が似ていることから877年に勧請されたと伝えられる椙山神社がある 。三輪山は日本最古の神社・大神(おおみわ)神社の御神体の山です。(先述の「金鑚(かなさな)神社」における御室山と同じ) 数年前に標高467メートルの山頂に登ったことがあるが、各所に黒い砂鉄の層が露出していて、まさに鉄の山 。周辺にも金屋や穴師(鉱山師か?)など鉄に関わりのある地名が残っている。そして三輪山の麓の箸墓古墳近くの纒向(まきむく)駅の住所は太田。なんとその古墳の近くには織田小学校。(このオダは関係ないです。因みに織田小学校は、かの織田信長の弟、織田有楽斎(うらくさい、東京の有楽町はこの人の名前から付いた)の流れを引く芝村藩の陣屋跡地に建っています。
話を戻します。港北区日吉で鶴見川に合流する矢上川も面白い。この川は中原区の井田あたりでは「金堀川」と呼ばれていた。その上流には梶ヶ谷があり合流点には梶山。梶は鍛冶で梶ヶ谷には砂鉄の採れた金山(かなやま)がある。そして、この矢上川の源流は宮前区の土橋
(つちはし)。土橋はかつて「太田郷」と呼ばれていたのだ。(オタだ!)
「谷川一條北の方 王禅寺村より、南の方鶴見川へ合せり・・・うた川と唱う」と『新編武蔵風土記』に記されている。王禅寺から鶴見川に流れ込んでいる川と言えば
・・・(そう!黒須田川ではあ〜りませんか!) |
| ▼次のページへ |
| ▼「地名推理ファイル歴史探偵」バックナンバーへ |