■ひろたりあん通信バックナンバー
 ▼2004年9月号 
わが街 今昔 その1
■青葉区荏田町(昭和46年頃)
@ 江田ビレッジより、正面アルスあざみ野を望む
  国道246号沿いに巨大なマンションが誕生したのは昭和61年、桜が満開なこの写真の15年後のことです。この造成工事にさきがけて発掘調査が行われ、縄文から中世にかけての遺構や遺物が出土しました。
虚空蔵菩薩が祀られていたことから虚空蔵山と呼ばれた山の頂上には一本の大きな松があり、古い街道が通っていたそうです。峰づたいに、有馬方面に向うその道は鎌倉街道のひとつだと言われています。
この虚空蔵古墳の周辺には、観福寺遺跡、同北遺跡、その裏には釈迦道(しゃかんどう)遺跡と縄文から中世にかけての古墳や集落跡が数多く見つかっています。この土地は昔から人々にとって非常に住みやすい環境だったのでしょう。
(新石川の驚神社と荏田の剣神社を結んだラインにこの遺跡があることに興味をそそられます)
A 江田ビレッジより、観福寺〜鷺沼方面を望む
 鬱蒼とした森から頭をのぞかせているのは観福寺の屋根です。その上に東名高速道路が見えます。観福寺の向こう側には「卵塔場(らんとうば)」と呼ばれる道がありました。卵塔場とは墓地のことで、荏田から観福寺の墓地を通り、釈迦道(新石川)に抜ける道として貴重な生活道でした。その卵塔場の辺りから国道246号を跨いでいるのは、平成5年に開通した市営地下鉄3号線の高架橋です。
 現在、その下の関根橋交差点で立体工事が行われていますが、荏田村が石川村を水攻めにした時に築いた「築地の土堤」と言う堤防はこの辺りにあったと言うことです。
(荏田、石川村に伝わる話で、両村の水争いから荏田村の住民が堤防を築き、石川村を水没させたと言われています。真意のほどは定かではありませんが、石川村の字名はその時に付けられたと地元では信じられています。地名推理ファイル・新石川編参照  
写真提供 荏田町 松下さん 

■前に戻る■