■ひろたりあん通信バックナンバー
2004年9月号 
夢の吹く丘 〜都筑の丘のすばらしき人々〜
■薩摩文化研究家
  有限会社天保堂 代表 調所 一郎さん

 

 
幕末から明治維新、日本が近代国家に生まれ変わるための牽引車となった薩摩藩。その薩摩藩も大政奉還の40年前は五百万両と言う天文学的な借金を抱え破綻寸前の状態だったのです。

 もし、この危機的状況を打開する財政改革が行われていなかったなら、薩摩藩が雄藩となることも、その後の西郷隆盛や大久保利通の活躍もなく、日本の歴史も大きく変わっていたことでしょう。

見直される人物
 ここに『薩摩拵(さつまこしらえ)』と言う一冊の本があります。(拵え)とは日本刀を包む鞘や柄、鍔など外装一式の総称のことで、薩摩藩独特の刀や刀装具がカラー写真で紹介されてい て、その特徴や薩摩藩の剣法『示現流』『自顕流』(どちらも“じげんりゅう”)についても解説されています。著者は新石川にお住まいの調所一郎さん。

 調所(ずしょ)と言う珍しい苗字を聞いて、「ははぁ!」と頷かれた方は相当歴史に詳しいはずです。そう、調所一郎さんこそ破綻寸前の財政を建て直し、薩摩藩の危機を救うために身命をなげうって改革に取り組んだ薩摩藩家老「調所笑左衛門廣郷(しょうざえもんひろさと)」の七代目のご子孫なのです。

 「昔は、拝金主義者の家老とか西郷隆盛や島津斉彬に敵対した人物として、どの小説を読んでも悪者として描かれていたんですよ。最近、笑左衛門の天保の改革が見直されるようになって、直系の子孫としては嬉しい限りなんですが・・・少し過大評価されているような気がしなくもないですね」 

 笑左衛門に限らず、財政改革を成し遂げた人物は中々歴史の表舞台には出てきません。また、登場したとしても良く言われることは少ないのです。そこには改革の為に多くの血が流されたと言うこともあるのでしょう。  改革に痛みが伴うのは今も昔もかわりません。しかし、その痛みは改革を推進する側にもあるのです。ひたすら薩摩藩の為を思って奔走した調所笑左衛門も藩と民、忠義と家族 、使命感と愛との板ばさみの中で多くのモノを失い、苦しみと悲しみの中で壮絶な最後を遂げるのです。(そのあたりの経緯は、笑左衛門の半生を描いた安部龍太郎氏の小説『薩摩燃ゆ』に詳しく描かれています)

 明治以降、鹿児島における英雄西郷ドンの人気が拍車をかけて、 彼と対極にあった調所笑左衛門の評価は下落します。それどころか、西郷隆盛を描いた小説などでは極悪非道な人物として描かれたことで、その子孫は鹿児島では長い間冷遇されていたそうです。

 「調所の一族と言うだけでイジメがあるなど、鹿児島では肩身の狭い思いをしていたと聞いています。私の祖父もそうですが、そういったことで鹿児島の地を離れて、他の土地に移っていった人も沢山いました」

おりなす糸「薩摩と横浜」
 この本の序文には島津家三十二代当主をはじめ、西郷家、大久保家の現当主といった薩摩の偉人たちの末裔の方々からのお祝いの言葉が寄せられています。

 「本当に偶然なんですが、私が鹿児島の尚古集成館と言う博物館を訪れた時、笑左衛門の肖像画が展示してあったんですよ。カメラを取り出して写真を撮ろうとしたら、職員に注意されましてね。自分のご先祖様だからと説明すると、実はちょうど島津家の当主の方が笑左衛門の子孫の消息を気にかけていらっしゃると伺ったんです。その事がきっかけで 、途絶えていた島津家との交流が復活して、笑左衛門の遺骨も里帰りすることが出来たんです」

  2001年に笑左衛門の墓も鹿児島市に建てられました。肖像画も、たまたま短期に限ってこの時期だけ展示していたそうで、何か目に見えない大きな力が働いたとしか思えません。

「その後も薩摩関係との信じられないような偶然が重なって、自分と薩摩との因縁を強く感じました」

 この本を出す企画も、そういった薩摩との強い因縁の中から生まれたのです。父祖の故郷「薩摩」の文化を広く知ってもらいたい。代々、調所家に伝わる「薩摩拵え」の刀に魅せられ、専門家や刀匠を訪ね、二百点以上の「薩摩拵え」に接して、二年がかりで資料を集めた結果、完成したのがこの『薩摩拵え』なのです。

 現在、横浜と鹿児島に自宅のある調所さんですが、この横浜も薩摩と深い縁で結ばれていると感じているそうです。

 「幕末から明治中期にかけて(薩摩ウェア)と呼ばれる焼き物が欧米で高い評価をうけて人気があったんです。その(薩摩ウェア)は鹿児島から生地(白薩摩)を取り寄せ、横浜で絵付けを施し、横浜の港から海外に輸出されていました。横浜は薩摩文化を世界に向けて発信する基地でもあったわけなんですね。また、横浜市鶴見区で起きた生麦事件がなかったら、翌年の薩英戦争もその後の薩英同盟も無く、薩摩は攘夷思想に凝り固まったままで、その後の展開は変わっていったでしょう」

 本の中でも紹介されていますが、薩摩藩に伝わる示現流の祖「東郷重位(とうごうちゅうい)」の東郷家は相模の豪族「渋谷氏」(現、神奈川県綾瀬市)の流れで、鎌倉時代 に薩摩に下向して「東郷」を名乗ったのです。(ちなみに東京の渋谷もこの渋谷氏の領地です。日露戦争の連合艦隊司令長官「東郷平八郎元帥」も、やはり渋谷氏の末裔で、彼を祀る「東郷神社」が渋谷区にあるのはそういった理由なのです)

 相模、武蔵の武士が鎌倉時代に薩摩に入り、時を経て薩摩から人や文化が再び関東に関わってくる。歴史の織り成す綾の面白さ。鹿児島と神奈川、そして横浜の歴史は何本もの 糸で結ばれているような気がします。

本阿弥光悦のように
 今年1月、初めて調所さんにお会いした時、元石川にある「平川の薩摩灯篭」についてお話しました。(幕末の薩摩藩邸に女中奉公に上がっていた石川村の女性が明治維新で宿下がりするおり、記念に貰い受けたものだと云われています※地名推理ファイル元石川編参照)

 笑左衛門を抜擢した薩摩藩主、島津重豪(しげひで)や孫の斉彬の娘が将軍家に嫁いで、薩摩と将軍家との関係は思った以上に親密なのです。増上寺の裏鬼門で将軍家の御霊屋料地であった石川村と薩摩藩にも何らかの縁があったのではないかと言うことで二人の意見は一致しました。

 調所さんは近々、薩摩焼に関する本も出版されるそうです。

 「刀剣にしろ、焼き物にしろ、本来の目的から離れて、美術・芸術品として昇華している点が共通しているんです。本阿弥光悦(安土桃山から江戸時代初期にかけて活躍した芸術家)が両者に長けていたのも宜なるかなですね。僭越ながら、私も薩摩文化を世に発信して、一歩、いや1ミリでも光悦に近づければと思っています(笑)」

 薩摩拵をはじめ、薩摩文化には薩摩武士達の生き方の美学や精神、日本人が忘れてしまった「サムライ魂」が込められているのです。

 いつもニコニコと人懐っこい優しい笑顔をしていたことから「笑左衛門」の名が付いたと言います。。時おり見せる調所さんの笑顔に笑左衛門の面影を見たような気がしました。本日は忙しい中ありがとうございました。                    宮澤

薩摩拵え(さつまこしらえ) 』

里文出版 平成15年6月発行

好評により、今年8月に改定
増補版が発売されました。

維新の礎を築いた調所笑左衛門の半生を描いた小説

『薩摩燃ゆ』

小学館 著者:安部龍太郎

安部龍太郎[アベリュウタロウ]
 1995年福岡県生まれ。東京都大田区立図書館に司書として勤めながら執筆した『血の日本史』で90年作家デビュー、同作品は山本周五郎賞候補にも挙げられた。その後直木賞、山本周五郎賞候補に上った『彷徨える帝』、日本経済新聞に連載され、単行本がロングセラーとなった『信長燃ゆ』などで大胆で新しい歴史観を展開。故、隆慶一郎氏が死の床で最後に会いたがったという伝説の作家
他に『関ヶ原連判状』『生きて候』『戦国の山城をゆく』など著書多数

平成16年7月発行