| ■ひろたりあん通信バックナンバー |
| ▼ 2004年11月号 |
| 地名推理ファイル歴史探偵 高丸の地名推理ファイル」 |
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■ファイル13 大場町(前編)
ふたつの楽しみ 「な〜にが、今日も一日頑張って行こう!だ。お前は丸山茂樹か」 背後から友人のヒロシが覗いている。 「な、なんだよ。見るなよ!」 「けっ、だいたい喫茶店でそんなもの書いてんじゃないよ」 「うるさい。こうして行間に珈琲を飲みながら、ノートにペンを走らせているとだな、いいアイデアがわいてくるんだよ」 「な〜に訳の分かんないこと言ってんだ〜。それでもう一つの楽しみって何だよ?」 「そうそう」
もう一つは、「大場かやの木公園」の北側の高台から眺める景色である。大場町から鉄町、稲荷前古墳のこんもりとした小山の向こうの広大な大地は、丹沢山系の裾野まで広がり、その山々の背後に少しだけ頭をのぞかせている富士山の眺め。この雄大なパノラマは何度見ても飽きることがない。 大場は「広場」 「だから、見るなって言ってるだろう」 「じゃあ、大場町もプラーザになるな。何プラーザだ?」 「アホか。たまプラーザのプラーザは確かに広場だけど、広場の意味のオーバは単なる広場じゃなくて、神社の前の広場とか、宮前って意味があるんだよ」 「ほぉ〜。じゃあ、宮前平はオーバ平か」 「アーッ、うるさい!」 「大場町には、神社か何かあるの?」と、それまで黙ってモーニングを食べていた常連客のSさんが尋ねる。 Sさんは「たまプラSCOPE」という、たまプラーザ周辺地域の情報サイトを運営されています。http://www.tamapla.jp/index.html 「大場町には諏訪神社と言う神社があることはあるんですけど、創建は江戸時代だから、関係ないでしょう。それより、近くに稲荷前古墳群があるから、そちらとの関連性の方が、疑わしいんじゃないかと思いますよ」 「そう言えば、大場町には鎌倉時代の武士で(大場なにがし)っていうのがいたって言うでしょ」 「さすが、Sさん。よく知っていますね」 「そりゃ、宮澤さんの記事読んでいますからね。講演会にも行きましたよ」 「有難うございます。ただ、その大場なにがし、大場三郎ですけど、大場町に居住していたと言うのは、ちょっと怪しくなってきたんですよ」 「えっ、そうなんですか?」 「確かに鎌倉幕府の公式記録『吾妻鏡』には、石河六郎、江田小次郎、河勾(かわわ)三郎、鴨志田十郎、都筑平太らと一緒に大場三郎の名前も出てくるんですが、大場三郎の場合、吾妻鏡には相模の住人とあるんですよ」 「ここは武蔵の国だから違う訳か。なるほど」 大場三郎の謎 「あっ、あれはオオバじゃなくて、ダイバだったのか」 「そうダイバだったんですよ」 「えっ、ナニナニ。ダイバダッタ。知ってるよ。インドの山奥で修行した人。レインボーマンだっけ、あれのお師匠さんだろ」 つまんなさそうにしていたヒロシがまたしゃしゃり出る。 「ナニッ!オマエは釈迦か。だけど、ダイバダッタは愛の戦士だろ。たしか悪人は死ね死ね団だろ。懐かしいなぁ〜。え〜♪インドの山奥で、んでん虫転んで♪」 「歌わなくていいから。しかも替え歌だし・・・。それで、その伊豆の大場(ダイバ)には大場三郎の居城があったと言われているんですよ。城内と言う字名も残っています」 「じゃあ、大場三郎はオオバ・サブロウじゃなく、ダイバ・サブロウかも知れない訳だ」 「う〜ん。何とも言えないんですけどね…。僕としては、大場は大庭。『吾妻鏡』の大場三郎は大庭三郎景親(かげちか)の間違いじゃないかと思うんですよ。『源平盛衰記』では大場三郎景親と、庭じゃなく場の字になっていますから」 「ああ、源頼朝旗揚げの石橋山の合戦の時、頼朝を追い詰めた。平家方の・・・あれ逆か?味方だっけ?」 「敵です。源氏についたのは兄の景義(かげよし)の方で、景親は平家方の総大将ですから。その大庭氏の領地は藤沢にあるんですが、ここにも大きな城がありますよ」 |