■ひろたりあん通信バックナンバー
▼2005年1月号
地名推理ファイル歴史探偵 高丸の地名推理ファイル」
ファイル13 大場町(後編)

稲荷と磐座(いわくら)
  京都伏見の稲荷大社には二度訪れた。伏見稲荷といえば、大河「新選組!」のオープニングにも使われた有名な千本鳥居。この幻想的な朱色の長いトンネルを進むと奥の院にたどり着く 。この奥の院には「おもかる石」と呼ばれる不思議な石(燈籠の頭)がある。この石は持ち上げる時に自分が予想した重さより軽ければ願いが叶い。重ければ 叶わないという運試しの石なのだ。

「それで。持ち上げてみたの?どうだった?」とSさん。

「持つには持ったんですけどね。ダメでした。これが思った以上に重いんですよ」

「残念!あんたの願いはかないません。だいたい、そんなもの誰が持っても重いに決まってるだろ」と、ヒロシが鼻で笑う。

「それが持つ人によって違うんだな。次に来た女の人は軽い!軽い!願いが叶う♪って大喜びしてたから」

: 「それってもしかして神取忍じゃないの?ところで、その石と(お稲荷さん)に何の関係があんのよ?」

「いや、その石がってわけじゃないんだけど・・・。実は伏見稲荷の背後の山。稲荷山には数え切れないほどの磐座(いわくら)があるんだよ」

: 「磐座って、大きな石を神の依代(よりしろ)として祀ったものでしょ。縄文時代の信仰形態ですよね。巨石文明とかいうやつ」

「そう。だから稲荷山は、いわゆる神奈備 (かんなび)山なんですよ」

: 「へぇ〜。なんだ、俺の車にも付いてるぜ。最新のヤツ」

「そりゃ、カーナビだろ。カ・ン・ナ・ビ。神奈備山は神の居る山のことだよ」

: 「そりゃ、神社なんだから神様が居るのは当たり前じゃん」

「そうじゃなくて、神社の建物、社殿が無かった時代は山そのもの、または巨石、巨木が御神体だったって話」

: 「群馬県の金鑚(かなさな)神社や奈良の三輪山だっけ?それも古代の祭祀形態で、確か鉄と関わりがあるって書いてありましたね。稲荷山も神奈備山だということは、やはり鉄と関係があるんですかねぇ?」

秦(はた)一族の先進技術
伏見稲荷は、七一一年(和銅四年)に秦公伊呂具(ハタノキミイログ)によって創建されたと伝えられる。聖徳太子のブレーンであった秦河勝(ハタノカワカツ)と同じ朝鮮からの渡来系氏族・秦一族である。

 秦(はた)氏は「秦の始皇帝」の末裔と称する一族で、わが国に養蚕、機織、製鉄、紙すき、農耕・土木技術などの先進技術を伝えたとされている。

 映画村のある京都の太秦(うずまさ・大量の絹織物をうず高く積んで朝廷に献上したことが由来)が秦氏の本拠地だが、ハタの付く地名の、旗、羽田、畑、畠、波田なども秦氏ゆかりの地だといわれている。

 神奈川県の秦野。高知県幡多郡、渋谷の幡ケ谷。この都筑郡にも、高幡(たかはた)や幡屋(はたや)という郷があった。

 八幡神社の本宮、大分の宇佐八幡も、秦氏との関係が深い。(ハチマン)は(ヤハタ)とも読む。

「鹿島神宮や松尾大社。神道が本当に日本独自のものか怪しいですね」

:「先進技術と宗教。秦氏の果たした役割は計り知れないってことか・・・」

:「果たして秦氏は何者なんだ?」

古墳と稲荷
「稲荷に話を戻します。実は神奈備山、稲荷山にはこの地区(深草)の首長級の人物の墓だと言われる古墳があったんですよ。」

:「そうなんですか。磐座に古墳か?よく分からんな〜」

「磐座は(お塚)と呼ばれていて、稲荷山をぐるりと囲むようにして建てられているんです。だから、お塚を拝むことは墓(古墳)を拝むことになるんです」

 鉄剣が出土したことでも有名な稲荷山古墳をはじめ、稲荷森、稲荷塚、稲荷沢、そして大場町の稲荷前古墳群など。稲荷という名の付く古墳は、全国に百八十近くある。そのほとんどに稲荷神社が祀られている。

「古墳の名前はだいたいその土地の字名から付けられるんですよ。稲荷前古墳の場合は、稲荷前という字名から付けられました」

:「じゃあ、字名が違っていたら別の名前になっていたんだ」

「3年ほど前に稲荷前古墳に隣接して人骨が発見された遺跡の場所は、同じ稲荷前の土地だったんですが、稲荷前古墳が先にあったので、元薬王寺があった場所と言うことで寺下遺跡と 言う名前になりました」

:「お稲荷さんがあったとしても別の字名が付いたり、まったく関係ない・・・例えば人の名前とかだったら、古墳の名前も違ってくるから古墳の名前から意味は探れないよね。ましてやお稲荷さんは全国で一番多く祀られているから、古墳との因果関係なんて普通考えないよね」

「そうですね。稲荷前古墳群は今保存されているよりも、もっと広大な敷地だったんです。今はやよいが丘と言う住宅地になっていますが・・・。そのどこかにお稲荷さんがあったんでしょうね。(注)でも、大場 、つまり神の前の神が稲荷神を指すのか、または古墳に眠る人物を神と崇めたのか、今となっては分かりません」

※注:大場町の徳本様から情報をいただきました。現在「稲荷」は松電社と床屋さんの裏の小さな祠がそれだそうで、以前はやよいが丘自治会第一公園の東側付近にあったそうです。

神のフュージョン(結合)
  イナリ信仰は、縄文以来の古代信仰にあとから土着した秦氏の信仰が結びついて、その後空海が山の上から現在の地に勧請して稲荷大社になったのです。

:「空海?弘法大師の空海ですか?」

「そうなんです。伊奈利を「稲を荷う」稲荷にしたのは空海だと言われています。平安時代、空海が建てた京都の東寺から見て、伏見稲荷は東南の吉方位に当たることから東寺の守護神となり、真言密教や修験道とも深く結びつきました」

:「じゃあ、稲荷は稲生りで農耕の神にしたのは空海なんですか?」

「う〜ん。空海は仏教だけでなく、儒教や道教にも精通しているし、修験道、いや鉱山師としての知識もある。言ってみれば天才科学者なんです。そういうことで 朝廷の信頼も厚く、政治の中枢にいて活躍していたのは確かでしょう。稲荷神社の主祭神は『宇迦之御魂大神』(うかのみたまおおかみ)と言って穀物全般の神様なんです。『稲を荷う』の字をあてたのは、稲作文化を広めるため の時の権力者(貴族)の政策だったのかも知れません。米は今で言うところの税金ですからね」

:「だって米は日本人の主食だぜ。コシヒカリにササニシキ」

素晴らしき大場の地
「それは迷信。白米を日本人の誰もが口に出来るようになったのは、第二次世界大戦以降のこと。東北や新潟の黄金色の稲穂は、現代だから見られる風景なんだよ。コシヒカリやササニシキは品種改良の成果なの 。弥生時代の風俗を描いたイラストにたわわに実った稲穂が描かれていたりするけど、そんなはずがない」

:「そうだったのか。米は大昔から日本の主食だと思ってた」

「 弥生時代と言うのだって東京の弥生町から見つかった土器から付いた名前だからね。“やよい”と言う優しい言葉と豊かな稲作文化。対比するように野蛮で原始的な縄文時代の図式をずっと信じ込んでいる日本人がまだまだ多いんです。三内丸山の縄文遺跡が発掘されて縄文時代の文化の高さが証明されても、一度刷り込まれたイメージは変わりません」

:「稲作文化が入ってきてから土地や水をめぐって人間同士が争うようになった。なんて話も聞いたことがあるな〜。縄文の遺跡から見つかった人骨は自然死がほとんどだったのに、弥生時代以降は人が争って殺されたものが多く見つかったそうだね」

:「ひぇ〜。弥生は怖いな〜俺たちの子供の頃の教科書と全然違う!」

「いや、分かっていなかっただけです。日本の農耕の歴史。お百姓さんのことだって日本人の多くは勘違いしてるみたいですよ」

:「お百姓さん。そりゃ農民のことだろう。まさか百姓は漁師だったっていうんじゃないだろうな」

「その通り。去年亡くなられた民俗学者の網野善彦氏が調査して分かったことだけど、百姓は農民のことではなく、百の姓。武士や貴族以外の人々すべて。つまり一般民衆の総称だ ったそうです。米を作らない漁師や船頭、大工も百姓。 江戸時代、年貢はすべて米の石高で換算されました。それで米を作る=農民=百姓だと思い違いをしてしまったんです 。まっ、今ではお百姓さんは農業従事者の意味になっちゃってますけどね」

:「マジかよ。百の作物をつくるからお百姓さんは偉いんだって聞いたぜ」

:「日本人が農耕民族だって言うのも疑問だな」

「確かに農耕は国の基本です。でも、全てじゃありません。狩猟民族である縄文の血に技術力と好奇心を持って大陸から渡ってきた渡来人たちの血。海を越えてやってきた冒険心豊かな海洋民族の血。さまざまな血が入っ た多民族国家だと思いますよ。日本の文化や技術力の高さを考えるとね 。海に囲まれて、国土のほとんどが山国のこの島には、山の民や海の民が存在して、日本の文化を培ってきたはずなんです。里の民の文化や歴史しか語られませんけど」

:「なるほど。そう考えれば・・・。でも、それが大場町の地名と何の関係があるんですか?」

「えっ・・・」

:「おまえ、記事のスペースが増えたからって関係ない話してんじゃねえよ」

                 ★          ★

 久しぶりに稲荷前古墳に登ってみた。丘の上は相変わらず爽やかな風が吹き、見晴らしも良い。ここに来ると何かすがすがしい気分になるから不思議だ。神聖な空間。聖なる土地。古墳とか古い神社にはこういった空気が張りつめている気がする。

 眼下には谷本川(鶴見川)が流れている。広大な大地の向こうには、信仰の山・大山と丹沢の稜線。そして真っ白な富士山が澄みわたった冬空にくっきりと浮かび上がっている。

 現在(いま)よりも、もっと自然が豊かで空気が澄んでいた大昔。この景色を人々はどんな思いで眺めたのであろうか。

「大場=神の前 の広場」という地名は、やはりこの素晴らしい景色を見渡せる土地 だからこそ付けられたのだと思いたい。                       

                                              宮澤


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