| ■ひろたりあん通信バックナンバー |
| ▼2005年3月号 |
| 夢の吹く丘 〜都筑の丘のすばらしき人々〜 |
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■歌手 香田晋さん
「雨じゃんじゃん 雨じゃんじゃん♪」私たちの仕事にとっては、ちょっと勘弁して欲しいフレーズだ。が、しかし妙に耳に残る旋律と哀愁のある歌声、私の中では名曲であり、好きな曲のひとつだ。(作曲船村徹、作詞阿久悠という大御所二人による作品なのだから当然なのだが・・・)十四年前、場末のスナックでこの曲を聞いた。香田晋という歌手を意識するようになったのも、この時からです。 大先生との出会い 「平成十一年ですから、もう六年になりますか。うちの社長が青葉台なんですよ。会社の寮も青葉台で、ほかのマネージャーも溝の口とか三茶とか、田園都市線沿線を縄張りにしています(笑)。でも、ほとんど地方公演が多いから、この辺の店は知らないんですよ」 出身は福岡県。ペンキ職人の棟梁を目標に頑張っていた倉敷時代に、人生が一変する出会いがありました。 「あれは高校三年でしたかね。四国の高松で、船村先生の「演歌巡礼」という講演があったんですよ。フェリーに乗って、わざわざ高松まで講演を聴きに行ったんです。講演のあとに、四国の放送局の植松おさみさんが司会をされていているカラオケコーナーがあって、そこで先生が『誰か歌う方いらっしゃいますか?』って言われたとき、思わず『お願いします!』って(笑)手を上げていました。そこで歌ったのがこの道に入るきっかけです」 『卒業したらすぐに来なさい』船村先生に言われた香田さんは、すぐに親方に相談したそうです。 「いつでもペンキ屋は出来るんだから、俺も演歌好きだし、おまえ行って来いよ!―その一言ですね。最終的に決断したのは」 修行時代 「徒弟制度ですね。今から考えればいい経験です。お金払ってもできない。小遣いは月二千円。そのかわり三食はつきます。昼寝はつかないですけどね(笑)。最初は十年って言われたんですよ。そうしたら、今の社長がスカウトに来てくれて。ですから丸三年そこにいましたね」 驚くことに、歌の指導を受けたのは、三年間で一度。そのデビューが決まった時だけだそうです。 「うちに何で来ているのか、素質があるから来ているんだ。だから歌を教えても上手くならない。いろんな事を経験して、感受性を磨いた方が歌の味になるんだ…ということですかね。よかったですよ。今、本当に(仕事に)活きてますから」 その頃覚えた料理の腕は、いまやプロ級。左利き用のマイ包丁も持っているそうです。器用に何でもこなす香田さんですが、最近は沖縄の三線(さんしん)にはまっています。 「三線は家に八本あるんですよ。弦が六本ある六線(ろくしん)というのもあって、これが音に厚みがあってね。なかなか宴会向きでいいんですよ。趣味で始めたんですけど、結局仕事になってね(笑)」 チャレンジ精神旺盛な香田さん。地方公演で全国を回る一方、将棋番組『香田晋の将棋天国』のレギュラーやドラマ出演など、精力的に幅広く活躍されていますが、やはり夢はヒット曲。 「日本全国、誰もが知っている。歌が一人歩きするような大ヒットが夢ですね。人が知らないところで歌っている。これが本当のヒットなんですよ。知る人ぞ知るじゃ駄目なんです。長い時間をかけて。それだけ演歌は長いんですよ。世代交代できないくらい長い(笑)。未だに大きなステージ立つと、大御所がいっぱい並んでいて、十七年やっていても、デビュー当時と変わらないですからね(笑)」 『北海おとこ船』 「なにせ北の漁場は、北島三郎さんが占めていますからね(笑)、今のうちに魚捕らなきゃ(笑)」 大漁旗にねじり鉢巻。漁師姿で遠くを見つめる姿は、似合いすぎるほど似合っています。 「夏までに一級船舶(免許)取りますから。イベントやる時はファンの方乗せて沖に出ますよ。スピーカーで歌を歌いながら、大漁旗つけて、ダーッと行きますよ(笑)」 『香田丸』の船出の時は、この高丸もぜひ便乗させてください。一緒に歌いますよ。「金魚、金魚、酒場のすみで・・・」あっ違うか?この歌も結構好きなんだけど。
新曲 『北海おとこ船』 C/W 心がわり 2月2日リリース
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