| ■ひろたりあん通信バックナンバー |
| ▼2005年10月号 |
| 地名推理ファイル歴史探偵 高丸の地名推理ファイル」 |
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■番外編 街道を往く 鎌倉街道 9
鶴見川流域のみに七十数社あったといわれる杉山神社だが、その総本社がどこなのかは分かっていない。 「港北の新吉田、センター南の茅ヶ崎や西八朔など幾つかの説がある。しかし、これといった結論は出ていないんだよ。ただ、茅ヶ崎の杉山神社は、五十猛(イソタケル)や日本武尊(ヤマトタケル)ではなく。別の神様が祀られていることで、本社ではないかとの説がある。その神様が忌部(いんべ)氏と深い関係があるといわれているんだ」 「忌部氏ね〜?そもそも、忌部氏って何なんですか?学校でも習った覚えないし・・・」 「そうだね。・・・じゃ、歩きながら説明するよ。とりあえず先に進もう」
阿波と安房 ここも同じように、大通りに寸断されているが、鎌倉道はしっかりと反対側に続いていた。寺山町の信号を渉り、同じように狭い路地を進む。ここからは、住宅街の中を「だらだら坂」がしばらく続く。 「さて、忌部氏だね。忌部は斎部とも書くが、中臣(なかとみ)氏とともに古代朝廷の祭祀を担当した有力な氏族だったんだよ」 「中臣って、中臣鎌足(かまたり)の中臣?あの大化の改新で蘇我入鹿を倒した」 「そう、さすがにそれは知ってるね」 「虫も殺さぬ、大化の改新!殺しとるっちゅうねん!」 「・・・。その大化の改新の功によって、天皇から藤原の姓をもらった中臣氏は、その後朝廷内で大きな力を得て、平安時代に栄華を極めた。一方、忌部氏は中臣氏の勢力に押されるように衰退していったんだ」 「ふーん。権力闘争の果てに没落ってわけですか〜」 「いや、そうじゃない。忌部一族につながる人々は、九州や四国、紀伊半島や伊勢、そして関東など全国に散らばり、その足跡を残している。中でも四国は阿波を根拠地にした阿波忌部氏は、遠く海を越えて房総半島までやって来たんだ」 「阿波踊りの阿波?徳島県ですよね。何でまた千葉県に?」
「忌部氏は祭祀に使う幣(へい)。つまりお祓いの布の原料である麻や紙の原料である穀(かじ)の木を植えて育てていたんだ。織物や製紙、陶芸などの技術者集団であり、海を移動する海洋民でもあったんだろう。だからこそ、新たな開拓地を求めて房総半島までやってきた。麻や穀を育てるのに適していたからだといわれている。そして、その土地に故郷と同じアワの名を付けた。字は違うけど千葉県南部を安房(あわ)の国って言うだろ」 「あわわわっ!それで安房はアワなのか」 「館山の安房神社の縁起にそう書いてある。もうひとつ。麻の古語はフサ。総と書く。だから、千葉県の真ん中を上総(かずさ)、千葉県北部と茨城県の南西部を下総(しもうさ)と言うのさ」 とっておきの話 「今の祭神は五十猛だけど、江戸時代に書かれた『武蔵風土記』という本には、茅ヶ崎の杉山神社の祭神は、たしか・・・高御産巣日大神(たかみむすひのおほかみ)、天日鷲命(あめのひわしのみこと)、由布津主命(ゆふつぬしのみこと)の三つの神様だったかな」 「は?たかみさかり?あめのひはゆううつ?・・・あーん、こんがらがっちゃう!」
「阿波忌部氏の祖がアメノヒワシで、その孫がユフツヌシ。タカミサカリじゃない。タカミムスビは・・・え〜い、つまり。三人の神様は忌部氏が奉祀した神様っていうこと。徳島県の忌部神社の祭神も天日鷲命で、神社のある地名は、麻を植えると書いてオエ。麻植(おえ)郡というんだ」 「オエ〜ッ!もうやめて!麻布はオザブだ〜」 「おい、変な声出してわめくなよ。ここ教会だぞ」 「あっ、本当だ。教会だ」 気がつくと、目の前は『中山キリスト教会』だった。 「もう、教会の前で日本の神様の話なんかしないでくださいよ」 「ナニ〜!オマエが聞いてきたんだろ。じゃあいいよ。とっておきの話がまだあったんだけど教えない」 「え〜っ、ずるいな〜。何ですか?教えてくださいよ〜」 「いやだね。おっ、公園だ。ということは、ここを右だな」 「池ノ谷公園」を右折して道なりに行くと、横から来た道が]状に交差する。これに惑わされず、右側の道を進む。すると・・・。 「あれっ、T字路だ。おかしいな〜。地図だと真っ直ぐのはずなのに。仕方ない右に行くか」 「宮澤さん。ちょっと待って。まっすぐでいいんですよ。ほら、道があるじゃないですか」 言うなり道路を突っ切ってドンドン歩いて行く。確かに道はあるにはある。しかし、狭くて周りは畑。「中白根農園」の看板もある。「やっぱり、人の敷地じゃ・・・」と思ったら、畑を抜けた先は住宅街へと続いていた。 「ふふん。誰のおかげですか?」 「ハハハッ。あ、ありがとう」 「じゃあ、とっておきの話を聞かせてください」 「しょうがない。さっきの徳島の忌部神社に関する話なんだけど・・・」 つづく
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