| ■ひろたりあん通信バックナンバー |
| ▼2006年1月号 |
| 地名推理ファイル歴史探偵 高丸の地名推理ファイル」 |
|
■番外編 街道を往く 鎌倉街道 12 白根神社の社殿は、お不動さんの裏手、急勾配の階段をのぼった山の上にあった。知らない人は気がつかないで、お不動さんに手を合わせるだけで帰ってしまうだろう。 「だから、知らねぇ神社なんですかねぇ?」 まだ言っている。さすがに岡ちゃんは階段を上ろうとはしない。 おそるべし執念 私たちは、公園をつっきって(近道の)白根通りに戻る。通りを跨いで大きなループ橋が架かっていた。向こう側の高台には地区センターと図書館がある。文化施設と自然豊かな神社や公園。この一帯は、白根地区の憩いのスポットになっているのだ。 白根通りを南下すること300メートルほどで、国道16号線にぶつかる。このT字路を右折して400メートルで鶴ヶ峰の交差点に出た。 「もうそこが鶴ヶ峰の駅みたいですね。喫茶店で休憩しましょうよ」 「チョッと待って。その前に寄らなきゃいけない場所がもう一つ。いや、二つ。三つかな・・・」
「白根不動以上に、ここは外せないんだよ。ほら、この旅の最初に寄った場所。どこだったか覚えてる?」 「最初?え〜と、あざみ野駅で出会って・・・。早渕川に出て、あっ、たしか驚神社でしたよね。それがどうしたんです?」 「その驚神社の境内の由緒書きに書いてあったでしょ。石川の牧の総鎮守『驚神社』は、鎌倉武士『畠山重忠』の崇敬が篤(あつ)かったって。覚えてる?」 「へっ?そうでしたか〜?・・・う〜ん・・・って、ゆ〜か。その時は、まだ鎌倉街道を歩くなんて夢にも思ってなかったじゃないですか。覚えていませんよ!」 「あっ、そうか!そうだったね。ごめん、ごめん」 「鎌倉」と「たまプラ」を勘違いしたことがきっかけで、二人の珍道中は始まった。目的も分からず驚神社に付いてきた岡ちゃんが覚えてないのもムリはない。それにしても、よくここまで付いてこられたものだ。あざみ野からここまで、もうすでに15キロは歩いている。(途中寄り道しているからもっとあるかも) 「エライ。大したもんだ。見直したよ」 「ふん。おだてたって無駄です。もう限界なんですから!」 「やっぱり限界かぁ。じゃあ、ここから帰る?駅も近いし」 「うっ!・・・。限界ちゃいます。ここまで来て引き返してなるものか〜。トロにヒラメにウニ、アワビ、トロにヒラメにウニ、アワビ・・・ぜった〜い、帰りませんよ!」 「恐るべし、この執念。よし!じゃあ、頑張って!歩くぞ」 六ツ塚と駕籠塚 「左に行くと史跡、六ツ塚、重忠公霊堂。右が駕籠(かご)塚となってますね?」 「畠山重忠はこの鶴ヶ峰で亡くなっているのさ。まず六ツ塚のある薬王寺から行ってみようか」 案内板の指示に従って100メートルほど行くと、右側の路地の奥にそれらしい場所が見えてきた。 「アレ〜?ここって、お寺さんですよね?」 岡ちゃんが疑問に思うのも無理はない。薬王寺に霊堂などというから、てっきり古色蒼然とした山門や堂宇を想像したが、門もなければ、本堂らしき建物はコンクリート。おまけに庭には犬が飼われている。 「なんか、普通の住宅の庭に入り込んじゃったみたいっすね」 「確かに!」 その庭、いや、境内には「畠山重忠公戦歿址」の碑と、直径2メートルほどの土饅頭の塚が六つ並んでいた。六ツの塚すべての花立てには花が活けられていた。 「周りの雰囲気はともかく、こうして遺跡をきちんと保存して、手厚く供養している人がいる。歴史を大切にする街は、きっと優しい人も多いんだよ」 二人は、塚のひとつ一つに手を合わせたあと、次の駕籠塚に向かった。 「説明板によると、重忠さん達は、騙し討ちにあったんですね」 「そう。北条氏の陰謀だよ。源頼朝が亡くなると、武家政権樹立に功のあった相模や武蔵の有力な御家人達(将軍と主従関係を結んだ武士)をつぎつぎと罠にはめては、葬り去っていったんだ。清廉潔白な人柄で武蔵武士の中心的人物だった畠山重忠も当然、北条氏にとって目障りな存在だったんだろうね」 「智・仁・勇を兼ね備えていたって、書いてありましたよね。腹黒い人にとっては、そういう人物は脅威だったんでしょうね」 「智・仁・勇か。私もよく言われるからな〜」 「はい〜?誰がそんなこと言うんですか?」 「そりゃ、知り合いだよ」 「知り合い?」 「そう。知・人・言う。なんちゃって!」 「・・・疲れてるんだから〜、やめてくださいよ〜」 「冗談はさておき、北条氏はそうやって最終的に幕府の実権を握ったんだから。結局は一番頭が良かったんだろうね。一族の結束も強いし。その点、源氏の連中は兄弟、親子、親戚同士で殺しあったあげく、最後は誰もいなくなっちゃった。源氏の性(さが)なんだろうね。もともと藤原氏の用心棒みたいなもんだから」 「えっ、そうなんですか?武士の棟梁ってそういうこと?」 「まっ、源氏の正体については、おいおい話すよ」
二俣川の合戦 今からちょうど800年前、菅谷館(すがやだて)・現在の埼玉県嵐山(らんざん)町の本拠地にいた重忠のもとに、従兄弟の稲毛三郎重成から『鎌倉に異変あり』の報せが届いた。ひと足早く息子の重保を鎌倉にやるが、北条時政の命を受けた三浦氏によって由比ガ浜で謀反人の汚名を着せられて討たれてしまう。 そうとも知らず、わずか134騎で鎌倉に向かった重忠に対して幕府軍は、二俣川対岸に数万の大軍で待ち構えていた。家臣は菅谷館に帰って、陣を立て直すことを進言するが、武士の名誉を重んじ、異心の無いことを証明するために、平服のまま敢然と戦いを挑み、この鶴ヶ峰の麓で壮絶な最後を遂げたのだ。 「陰謀に加担した従兄弟の稲毛重成も、重忠を騙した首謀者とされて、三浦氏によって討たれている。重成もはめられたんだね」 「ひぇ〜!まさに計画的犯行ですね」 「その稲毛氏の本拠は、今の生田緑地の中にある枡形山城なんだ。驚神社から美しが丘、そして菅生に抜ける鎌倉道のルートだ」 「えっ、美しが丘も通っているんですか。どの辺りですか?」 「確か、山内中学校の上の辺り、5丁目かな。そこから郵便局や山内公園の前の道を通って北部市場の方へ抜ける道がそうだと言われている」 「あっ、僕のアパートのすぐ近くじゃないですか。う〜ん、確かに尾根道の高台だ。じゃあ、僕たちの住んでいる町も、鎌倉武士が駆け抜けて行ったんですね」 「そうだよ。今まで通ってきた道が。そのルートであることは間違いない」 「なんか感動しますね〜。単なる新興住宅地で歴史なんてないと思ってたのに。運命を感じるな〜!ロマンだ〜」 (・・・単純な奴。まっ、おかげで疲れもふっとんだようだ。) 坂を上りきった浄水場の片隅に「駕籠塚」はあった。小さいが綺麗に整備されている。 「奥さんの墓なんですね」 「ああ、重忠の急を聞いて駕籠でここまで駆けつけたが、すでに夫は討ち死に。悲しみのあまり、ここで自害して果てたんだ」 「駕籠と一緒に埋葬されたから駕籠塚なのか〜。泣けるな〜」 「ちょっと見てみなよ。ここからの眺めはいいぜ」 駕籠塚の正面。鶴ヶ峰神社の拝殿の脇から、二俣川方面が見渡せる。 「ほら。たぶん、あの向こうが万騎が原だ」 二俣川の対岸。数万騎の幕府軍が集結したことから「万騎が原」の名が付いた。本来はま「牧が原」といい、馬の牧場「馬牧」があったといわれている。
鶴ヶ峰駅の交差点近く、旭区役所の裏手には「重忠公の首塚」があった。首を洗ったという「首洗い井戸」もこの近くを流れる帷子川のほとりにあったそうだが、今はない。「片割れしどめ」「さかさ矢竹」「鎧の渡し」など、鶴ヶ峰周辺にはこの合戦にまつわる言い伝えや史跡が数多く残されている。
|