■ひろたりあん通信バックナンバー
 ▼2006年1月号
夢の吹く丘 〜都筑の丘のすばらしき人々〜
■歌手 松原 愛 さん

  昨年の漢字一文字は『愛』でした。愛・地球博が開催され。世界の中心で愛が叫ばれ。ゴルフに卓球にバレーボールにと、各界の「アイちゃん」も大活躍しました。韓流ブームは純愛がテーマでしたね。純愛といえば、我われの世代は、少年マガジンに連載されていた「愛と誠」(あくまでも私の世代です)です。

 その「愛と誠」の主題歌を歌い、当時、お茶の間で「愛ちゃん」と親しみを込めて呼ばれていた女性といえば、そう「松原愛さん」でした。

独占!女の60分
 デュオ「あいとまこと」でデビュー。デビュー曲「愛と誠」の主題歌は、その年のヒット賞を受賞しました。

 「(愛と誠)のオーディションは青春の思い出に残るだろうということで受けたんですよ。医大をめざして勉強を一生懸命していましたから。それが、突如受かっちゃった(笑)ですから、大学は受験しなくて、そのまま芸能界にはいるつもりでいたんです。そうしたら、父親がすごく反対したんです。『芸能界を辞めたあとにどうなるか?そういうことを考えろ。自分に何か持っていろ』って、厳格な父親だったんですね。それで日本大学芸術学部を受けて。そのまま大学生活をしながら、芸能活動をしていたんです」

 75年、芸名を「松原愛」とし、『雪の朝』でソロデビュー。翌年、大林宣彦監督のデビュー作品『HOUSE/ハウス』で、映画デビューされました。

 「大林監督とは『お魚になった、わ・た・し』というTOTOホーローバスのコマーシャルでご一緒させていただいたんですけど、その時に『こんど、映画を作るから参加しないかい?』って声をかけていただいたんです」

 その後「ねらわれた学園」など、大林作品を皮切りに、映画に時代劇にバラエティ番組にと多方面で活躍された愛さん。なかでも、全国各地を取材してまわるレポーター(番組ではエースアタッカーと呼ぶ)を十二年間つとめた『独占!女の60分』は、その軽妙なおしゃべりと、過酷な?取材にチャレンジするシリーズの面白さで大好評を博しました。

 「楽しかったですよ。結婚して子供ができて、お腹がこんなに大きくなっても喋っていましたから(笑)マタニティ特集とか、こどもが生まれたら、生まれたで七五三特集とか(笑) すべてお仕事に結びつけられていましたね。いい思い出ですよ。こどもにとっても」

 1日にどこまで歩けるかというシリーズでは、朝から晩までかけて70キロくらい歩いたそうです。

「涙をワンワン流しながら。もう壮絶でしたよ(笑) よくその時、私の病気が発症しなかったなと思います。歩いていたのがよかったんですね。本当は17歳くらいまでに発症するらしいんですよ」

病気。そう二年前、突然病魔が愛さんを襲いました。

難病。そして夫婦愛
 「ある日、ピアノを弾いていると、左の指のいう事がきかなくなったんです。日に日に力が入らなくなって、お酒を飲むと、足をとられて歩けなくなるし、ただただ、自分の身体に起きることが不思議でなりませんでした。人間ドッグは何処も悪くないし、漠然と何だろうという思いでしたね。MRIの結果は、脳梗塞。そこから入院生活が始まりました。足の痺れ、手の痺れ、思考力の低下、毎日の日課は検査とリハビリでした。それにより、私の脳にあるはずの血管が、生まれつきないことがわかり、先天性脳血管障害。『もやもや病』と診断されたんです」

 歌手、徳永英明さんが患ったことで知られるようになった「もやもや病」。日本人に特に多い病気で、その原因もよくわかっていません。

 「脳梗塞か脳出血の恐怖と日々戦いながら生きる毎日。残された手術に賭けてみようと判断して、手術を受けました」

 開頭手術は7時間におよび。声は出なくなる。顔は腫れ上がる。激しい頭痛との戦いは、1ヶ月にわたりました。

 退院後、ほどなくして頭痛も嘘のようになくなり、ひきずっていた足も普通に歩けるようになりました。今では、ゴルフができるまでに回復されたのです。

 「去年の初め、突然主人から『生れ変わった命なんだから、何も恐いものは無い。生きた証しにCDを作ろうよ』と言ってもらったんです」

 ご主人は、「昭和枯れすすき」「おんなの出船」で有名な作詞家の山田孝雄さん。結婚当初、胃がんで入院されていたご主人を献身的に支えた愛さん。今度はご主人が「太った鶴の恩返し」だよと言って、一生懸命看病されたそうです。

 「果たして、歌詞を覚えることができるのか?不安で一杯でしたが、ドクターの心強いアドバイスで、20年ぶりにレコーディングしたんです」

 横浜に移り住んで二十年。その思いを託した曲『横浜e‐じゃん』と『火の酒』のCDが昨年十月にリリースされました。

「誰が歌っているのか分かんなくていいんです。松原愛が歌っているじゃなくてもいいんです。『横浜e‐じゃん』いいじゃん。『火の酒』いいじゃん。「e-じゃん」っていうのが浸透してくれるといいですね」

 なんと歌詞の中には、「たまプラーザ」の街も出てきます。コミカルでテンポがよくて、覚えやすい曲です。ぜひカラオケで挑戦してみてください。

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 1月27日、新横浜グレイスホテルで行われた『横浜e‐じゃん』感謝の夕べにご招待をいただきました。

 当日会場には、150名をこえるお客様。 ディナータイムが終わり、会場に『横浜e‐じゃん』のイントロが流れると、スポットライトに照らされて、着物姿の愛さんが登場。その瞬間、私の隣の女性が目頭を押さえて涙をぬぐいました。聞けば、学生時代の同級生だそうです。 難病を乗り越えて、ふたたび歌が歌えるようになった親友の姿に思わず涙があふれたのでした。

 拍手に包まれた会場のあちらこちらで、笑顔とうれし涙が交差します。思わず私も、もらい泣きしてしまいました。

 松原しのぶさんのヒット曲「おんなの出船」や22年前、長嶋茂雄さんのために歌った「カミンバック長嶋」など、旦那さんの作詞された曲を熱唱。そういえば、長嶋さんも同じような病から回復されたばかりでした。

 そして、デビュー曲「愛と誠」。う〜ん、青春時代を思い出しました〜。当時、赤いTシャツの上に学ランをはおって、眉間に傷を書いて(そこまでするか?)主人公、太賀誠のマネをしたりしたものです。

応援してくださったファンの方々やに囲まれて楽しそうな愛さん。
当日は主治医の先生(写真左)もお祝いに駆けつけていらっしゃいました。

なんと、山田孝雄さんがデュエット♪お相手は、大ヒット曲
「昭和枯れススキ」を歌われたさくらと一郎のさくらさん。貴重なスリーショットです。

ステージで歌う愛さんは、いつも以上に輝いていました。
素晴らしい席にお招きいただき、あらためてお礼申し上げます。

 

歌だけでなく、琴は生田流皆伝。三弦は野川流奥伝の腕前の愛さん。
現在は後進のために、音楽や演技指導、カラオケ教室も自宅で開かれています。


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