| ■ひろたりあん通信バックナンバー |
| ▼2006年2月号 |
| 夢の吹く丘 〜都筑の丘のすばらしき人々〜 |
■歌手 音羽しのぶ さん
下関に「馬関(ばかん)まつり」という祭りがある。「馬鹿」ではない。「馬鹿まつり」は東京赤羽だ。 その下関最大のお祭り会場。今まさに「ちびっこカラオケ大会」の予選会が行われていた。 8月の炎天下、暑さにたまりかねたお客さんがお店の軒下に逃げ込み、特設会場を遠巻きに見守る。そんな中、一人の少女がステージに立った。歌い始めたとたん、ジワジワとステージに集まりだすお客さん。歌い終わるとともに会場は拍手喝采に包まれた。 少女はやがて、「音羽しのぶ」という演歌歌手になった。
150キロの直球 しのぶさんが本格的にプロになろうと決意したのは、小学校三年生の時です。 「カラオケ大会に、綾世一美さんがゲストでいらしていて、歌を聴いてすごい衝撃を受けたんです。小柄な方なんですけど、パワフルというか、すごい声量で、身体ごとで唄われるわけですよ。もう圧倒されて。それまでは、唄えば何か貰えるし(笑)そんな目的だけで唄っていたんですけど、『この方みたいな歌手になりたいな〜』と強く思ったのが8才の時ですね。大ファンになってカセットを買って、テープがもうビヨンビヨンに伸びて、フラットになるくらい(笑)それくらい何回も聴いて、練習していました」 独学で歌を勉強していた、しのぶさん。二十歳の時に作曲家の水森英夫先生に歌を聞いていただく機会を得ました。 「野球で言うとカーブとか、そういう技術はすごく持っている。だけど、肝心の直球が来ない。110キロ、120キロじゃダメだ。プロになるなら、140キロ、150キロのストレートがパーン!と来なくては、狭いところだったらいい。けれども、デビューして売れたら、二階三階席のある大きいホールで歌うことになるのだから、ちゃんとした声が届く歌い手にならないと成功しないよ。といわれたんですね。『内弟子にならないか』と誘われたときは、『これは待ってた!チャンスだ! (笑)』 と思って、すぐに先生の家の近くにアパート借りました。内弟子の方は皆さん近くに住んでいたんですよ。当時、もうスターになられましたけど、氷川きよしさんも、一緒にレッスンを受けていました」 2001年、デビュー曲「しのぶの渡り鳥」は、その年の日本レコード大賞、新人賞を受賞しました。
風の吹きよで キングレコードの本社が東京の音羽にあることから、芸名はつけられました。 「本当に大きな名前をいただいたんで、キングを背負って立つ歌い手にならなくちゃと思っています」
この2月には、最新曲「風の吹きよで」をリリースされました。 「この歌は、星野哲郎先生が美空ひばりさんの「みだれ髪」を書かれた頃に作られた作品で、それを作曲家の叶弦大先生が『すごくいい作品』だからと、ずっと温めて大事に持っていてくださっていたんですよ。『生きてらっしゃったら、ひばりさんに唄って欲しかった』という楽曲を今回は、『しのぶちゃんに』っていただいたんです」 ひとりぽっちになってしまった女の切なさ。確かに、ひばりさんの「みだれ髪」を思わせます。 「音域は無いんですけど、転調があるので唄っていて面白いですし、男性でもキーを三つくらい上げてもらえれば唄えるような楽曲なので、ぜひレパートリーの一曲にしてください」 ぜひ、カラオケで挑戦してみます。さて、しのぶさんのこれからの夢は? 「綾世一美さんの歌を聴いて、自分もこういう歌手になりたいというのが原点でしたから、今度は、自分がそういう歌い手になりたいな。Jポップとか聴いている小学生とか中学生とかにも、『演歌っていいな』って思ってもらえるような歌い手になるのが目標ですね」 青葉区に住まわれて5年。この日は、しのぶさんも大のお気に入り、私も行きつけの、たまプラーザにあるお店『アデリータ』でのインタビューとなりました。 「ご縁があって、こちらに引っ越してきたんですけど、渋谷から一本なのに、とっても緑が多くて、すごく安らげる。住みやすい街だなって感じますね。地元の方に、音羽しのぶという名前と顔を覚えてもらって、しょっちゅう電車で通っているので見かけたら気軽に声かけてください。衣装着ていないと分からないかもしれないですけど(笑)」 山口県出身。しかも歴史が好きだとお聞きして、またぞろインタビューを忘れて私のムダ話が炸裂。それに笑顔で応対してくださったしのぶさん。本当にありがとうございました。
『風の吹きよで』に続く、音羽しのぶさんの新曲 『花燃え』 2006.7.26 リリース
作詩:松井由利夫 C/W ことぶき丸
(宮澤) |