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■番外編 街道を往く 鎌倉街道 21
忍者の森を抜けると、足元にはアスファルトの感触が戻ってきた。視界が広がり、まぶしい光が差し込んでくる。舗装道の右側は、まだ雑木林が覆いかぶさっているが、左手にはアカメガシの生垣。そして、その向こうにホテルのような近代的な建物が建っている。
一緒に…
「「よかった〜。草をかき分けて森に入って行くときはどうなるかと思いましたよ。それにしても現代人ですねぇ。アスファルトの感触にホッとするなんて…」
「悲しいけど、同感。こどもの頃だったら『探検隊だーっ!』な〜んて大喜びだったんだろうけど…」
あらためて地図を見直す。
「ほら、右に港南区の下永谷の町、左側は戸塚区の柏尾町から舞岡町と、市民の森からここまで区境の破線をなぞってきたことが分かるでしょ」
「へぇ〜。みごとに区境ですね」
しかし、区境の破線はその先でなぞれなくなる。道は直角に左に曲がり、ガードレールの15メートルほど向こう、斜め下にバス通りが見える。本来の街道(早駆けの道)は、まっすぐバス通りの向こう側に続いていたのだろう。
仕方なく道路にしたがって直角に曲がり、道を下る。下った先はT字路になっているので、そこを右に曲がれば、さっきのバス通りに出る。
「芙蓉苑。老人ホームみたいですね」
T字路の手前に建物の玄関があった。ホテルだと思った近代的な建物は、特別養護老人ホームであった。
「ちょっとごめん。トイレ行って来る」
「えっ?ここで?ですか?じゃ、じゃあ僕も行きます!」
芙蓉苑のロビーに入り、受付の女性に断わってトイレを借りる。
「いや〜、ずいぶん歩きましたね〜」
並んで用を足しながら、千葉山君が感慨深げにつぶやく。
「ほんと、まさかここまで一緒に歩くとは思わなかったよ。で、どうする?そこのT字路を左に行くと、下永谷の駅はすぐだけど…」
「あっ、ああ、そうですね。高丸さんはどうするんですか?」
「自分はまだ歩くよ。少なくとも大船までは行ってみようと思ってる」
「そうですか…」
わかれ道
手を洗い、受付の女性にお礼を言って外に出る。市営地下鉄の下永谷駅は、このT字路を左に200メートルほど行ったところにある。
「やっぱり、僕はこの辺で終わりにしますよ。明日朝早くに名古屋に行かなきゃいけないし」
「えっ、名古屋?」
「ええ、笠寺の健康センター『湯〜とぴあ宝』さんでの歌謡ショーがあるんです」
「おお、笠寺。観音様だな」
「知ってるんですか?笠寺観音」
「当たり前でしょ。何を隠そう私は名古屋出身なんだよ」
「あ、そうなんですか!」
「東海道の鳴海宿と熱田宿の間にある笠寺観音は、かの宮本武蔵ゆかりの寺なんだよ。確か境内に弟子が建てた石碑があったはず」
「さすが名古屋人。実は…僕が一人で歌うステージは今回が初めてなんですよ。今までは、先輩の※美酉潤さんのショーで、中唄を歌わせて頂いていたりしたんですが…。だから、あさってが文字通り独り舞台なんです」

※美酉潤(みどりじゅん)。演歌歌手でバンドマン。「名古屋の恋の物語」でデビュー。ニューシングル「ダイヤモンド・ダスト」好評発売中。
「我、事に於いて後悔せず。武蔵じゃないけど、自分の持っているものを全て出して頑張れば、きっとうまくいくよ」
「ありがとうございます。僕もまだまだ一緒に歩きたいんですけど、これで失礼させていただきます。本当に楽しかったです」
手を振りながら駅に向かって去っていく千葉山君。希望に燃えるその後姿を見送りながら、しみじみ思った。
(足長ぇな〜。5センチでいいから分けて欲しい〜)
横浜の高野山
「さて行くか!」再び一人旅が始まる。
靴の紐を結びなおし、千葉山君とは反対方向に歩き出す。こちらは20メートルほどでバス通りに出る。
T字の交差点を渡った正面は長福寺の森。なので、左に曲がりバス通りの坂を上る。少し行くと「スポーツ公園前」というバス停の先に、右斜めに入っていく細い路地があった。寺の雑木林と民家の間を抜けていく。小さな階段をトントンと上がると、先ほど消えた区境の破線、つまり鎌倉道に戻る。
左に曲がり、両側マンションが建ち並ぶ道をさらに進むと、左前方の高台に鬱蒼とした雑木林が見えてきた。福徳院、別名「日限地蔵尊(ひぎりじぞうそん)」である。
慶応三年というから、まさに幕末である。新撰組やら坂本龍馬らが活躍していた頃、この辺りに住んでいた飯島勘次郎というお爺さんが、
伊豆国三島の蓮馨寺(れんけいじ)の日限地蔵尊の分身を「横浜の高野山」と呼ばれた深山幽谷のこの地(吉岡山)に御堂を建て、勧請したのだそうだ。
なんでも勘次郎さんは、癪(胸や腹のあたりに起こる激痛の総称。さしこみ)の病に苦しんでいて、この地蔵尊を信仰することで、病の苦しみから逃れることができたという。
「日本三体地蔵尊」の一つ(山梨と長野)で、毎月「四」の付く縁日に願い事を祈願すれば必ず成就(じょうじゅ)するといわれている。正月には参拝客が列をなす、この辺りでは有名な寺だ。正門はバス通りに面しているので今回は寄らない。
地蔵尊の裏手をさらに進むと、広い通りに出た。ゆるやかな下り坂がまっすぐに南に向かって走っている。高い建物は無く、車もほとんど通っていないので、やけに広く伸びやかな印象を受ける。青葉区は「横浜のチベット」と呼ばれていたが、この辺りは「横浜の高野山」と言われていたそうだ。変われば変わるものだ。
つづく |