■ひろたりあん通信バックナンバー
  2006年10月号
夢の吹く丘 〜都筑の丘のすばらしき人々〜
■実験パフォーマー  らんま先生

 台風の影響か、地面に置いた道具が強風に飛ばされ、客席に転がっていく。その風にバランスを崩して、仕切り直し。再度の挑戦。彼の片足がボードにのる。ボードは三段、そのボードを支えているのは直径20センチほどの丸い筒。

 更にその下には特大アタッシュケース。不安定な足場の高さは70センチ以上あろうか。固唾をのんで見守る子ども達。「立った!」

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先生
 昨年9月、藤が丘の「旭自動車学校」で40周年記念のチャリティーイベントが開催されました。わが「ひろたりあんイベント倶楽部」も参加させていただきましたが、そのイベント倶楽部のテントの手前数十メートル。大勢の人の輪の中で大道芸が行われていました。

 そして今年の7月、「地名推理ファイル・鎌倉街道編」に登場いただいた若き演歌歌手の千葉山貴公(ちばやまたかひろ)さんに一人のパフォーマーを紹介されました。

 名前は「らんま先生」。「らんま」の「らん」は「Learn」すなわち「学ぶ」。教員免許と社会福祉士の国家資格を持つ異色のパフォーマーです。旭フェスタ会場の輪の中にいたのは、なんと彼だったのです。

「今年の4月に教師を辞めてプロになりました。あの頃はプロでは通用するかな?というレベルだったんですよ。プロになろうと思った瞬間に、日本でナンバーワンのパフォーマーに、コンテストで勝ったんです。やはり気合なんでしょうね。それまでずっと勝てなかった師匠的な存在の人に勝てたということが自信につながりました」

 今年8月には『笑っていいとも』に出演。イベントなどの依頼数にかぎっていえば、いまや横浜で一番を争うほどになりました。

 荏田で生まれ育った「らんま先生」。父、母、妹と、家族すべてが先生という教員一家なのです。

「父は山内中学やあざみ野中学で教えていたんですよ。教室でヘビを飼うような変わった先生でした(笑)。ただ、花の名前とか父に聞くと、ほぼ100パーセント分かる。そういう人だったですね。不思議ですよね。先生になったのも父を見ていたからでしょうね」

芸人である前に先生でいたいとらんま先生。「他のお客さんには失礼だけど、子どもに注意するときはショーを中断して怒るんですよ。あんまりやると空気が変わっちゃうんで(笑) 尊厳って昔大人にはあったじゃないですか、今は大人と子どもの垣根がなくなってきてるんですよね。大人は頂点でいて欲しいし、そういう大人でありたいと思っています」

プラス思考
 冒頭のつづき。ローラーボーダーというバランス技を、見事に決めた「らんま先生」。続いて取り出したのは長いロープの端に、水を張った器(ボール)を結びつけた手作りの道具。そのロープをまるで孫悟空の如意棒のように、ブンブンぶん回し始めた。もちろん水は一滴もこぼれない。そう!これこそ、らんま先生の真骨頂。遠心力を使った実験パフォーマンスなのです。

「理科はどっちかというと苦手で、得意じゃなかったですね。理科の先生の父親が泣いていたくらいで…(笑)。授業というものに特化していくなかで、実験がなんとなくフィットして、やっている人は誰もいないということで始めたんです」

 10年の教員生活を辞め、大道芸で食べていくことを決意した「らんま先生」。そのきっかけは、自殺も考えたというほどの最悪の出来事。のちにテレビ局から番組にしたいとオファーが来るほどの最悪の日々だったそうです。

「本気で生きていけないと思うくらいへこんでいたんですよ。なんでこんなに一人で不幸を背負うのか?すべてが最悪の状態に陥ってしまって、もう立ち直れないんじゃないかと思うほど落ち込んで、負のスパイラルって止まらないじゃないですか」

「でも、パフォーマンスはプラスの思いを伝えるもの。プロならなおさら、お涙頂戴的な部分は出したくないんですよ」

 ということで、番組にはなりませんでしたが、その挫折があったからこそ、新しい武器を手に入れることができたのです。

「当時、ヤケ酒とか飲もうと思ったんですけど、根が健康マニアなもので、どっかで一線を越えないように考えるらしく(笑)『ヤケ野菜ジュース』を一日2リットルくらい飲みました。これじゃ体に悪いってやめましたけど(笑)」

荏田大道芸フェスティバル
 彼の生来持っているプラス思考が、人を感動させる大道芸の魅力を知ったときに目覚めました。横浜のジャグリングサークルに入り、半年位でアマチュアのコンテストに出るも惨敗。箸にも棒にもかからないところから、段々順位を上げていって、一年目の時、クラブ内のコンテストで優勝しました。

「一位になったことが今までの人生で一度もなかったんですよ。大した大会じゃないんですけど、景色が違って見えましたね。その日の夜初めて泣いちゃいました。それまでずっと耐えていたから…」

 一年半後には、プロアマ混合(十三人中、アマチュア二人)のコンテストで5位に入賞しました。

「その次のコンテストでプロの人から、技術はどうこうじゃなくハートはプロ向きだと言われて、勘違いして(笑) 仕事終わってから一日3時間くらい練習していたんですよ。もうきつくて。(先生の仕事との)両立は難しいなというのもあったりして…。でも恐いじゃないですか。十何年公務員と同じ給料を常に保証されていたので、親も反対したし、やって行く自信も正直分からなかったんですよ」

「大阪に行って吉本のライセンス(大阪吉本興業大道芸ライセンス)に合格したときに、キャラクターとか自分の持ち味、ちゃんとしたものが必要なんだと実感しましたね。それで個(性)を考えたんですよ。生き抜くためには何が強いんだろうか? …と考える人しか生き残れないんですね。お手玉なんて出来て当たり前。アマチュアで私より技術の高い人はいっぱいいるんですよ、やっぱり。
でも、ショーとなると違う。単なるジャグリングのショーじゃなくて。構成力とかトータルな力が必要なんですよ」 

「東海道大道芸フェスティバルin戸塚」の出演者の皆さんと。

 先日、自らがプロデュースしたイベント「東海道大道芸フェスティバル」を戸塚で開催、成功させました。次は、この陸のヨコハマ青葉区で大きなイベントを考えています。

「来年、地元に帰るつもりでいるんですよ。だから荏田で大道芸のフェスティバルをやりたいですね。最初は千人。3年後には3万人くらい集まるような。不可能な数字じゃないですよ。荏田の子ども達に喜んでもらえるものを考えています。そのためには全国区にならなければいけないですけど」

 荏田を大道芸のメッカに、名付けて「大山街道・荏田宿大道芸フェスティバル」。夢はデッカク3万人!

 荏田にお住まいの皆さん、商店街の皆さん、どうでしょう?賛同されるかたは、ぜひ後援、協賛、よろしくお願いいたします。

                                                  宮澤

らんま先生も卒業した「旭自動車学校」のおまつり。

プロとなって帰ってきました。

去年以上のお客さんの数にビックリ!!

このあと母校(元石川高校)の生徒たちが表敬訪問におとずれるなど

地元でのフェスティバルにむけて好感触の一日でした。

らんま先生のホームページ
 


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