| ■ひろたりあん通信バックナンバー |
| ▼2007年2月号 |
| 地名推理ファイル歴史探偵 高丸の地名推理ファイル」 |
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■番外編 街道を往く 鎌倉街道 25
アラハバキ その出土地の近くに、「アラハバキ」という名前の神様を祀る小さな石の祠(ほこら)がある。栄区の図書館に寄って郷土史料を調べているとき、偶然見つけて驚いた。 数年前にアラハバキ神を祀っているといわれる神社を訪ねて、東北や関東各地を歩いたことがあるが、まさか横浜市内に残っていたとは思わなかった。しかも、 祠の手前の小川(洗井沢川)に架かる小さな木の橋には、「あらはばきばし」とはっきり明示してある。 普通は「門客神(もんきゃくじん)」とか「客人神(まろうどがみ)」などとされて 、神社の境内の片隅に祀られていることが多い。 川和宿近くの河輪八幡神社に寄ったときにも書いたが、その片隅の名前も書かれていない小さな祠が本来の地主神だったりする。私が訪ねたアラハバキ神の多くがそうであった。 ようするに、本来はその土地の地主神 として信仰されていた神が、あとからやってきた民族に土地を奪われた際、アマテラスやスサノオといった日本神話に登場する神々に取り替えられたのだ。
蛇神だ、賽の神だ、製鉄の神だ。と、アラハバキが正体不明の謎の神だとされるのも、こうして人々の記憶から抹殺されてしまったからなのだ。 それでも少なからず、アラハバキを祀る神社は残った。荒吐、荒覇吐、荒波々伎、阿羅波婆枳、 荒羽々気などと書かれている。 私が訪ねたアラハバキ神社の幾つかには、祠の周りに沢山の草鞋(わらじ)がぶら下がっているものがあった。アラハバキに「荒脛巾」の漢字を当てたことで、脛巾(はばき=脛に巻くひも。脚絆)から「足が良くなる」という信仰に変わってしまったようだ。 栄区の郷土資料には「東北から来て、鉄を生産した鍛冶職人が祀ったのではないか」と書かれていた。 確かに公田町の隣には、鍛冶職人が住んだといわれる「鍛冶ヶ谷町」がある。また、同じく上郷町からは古代の「たたら製鉄」の遺跡が見つかっている。 鎌倉には「正宗」で有名な相州(鎌倉)鍛冶がある。相州鍛冶の源流は、奥州藤原氏の舞草(もくさ)鍛冶集団だといわれている。東北と鎌倉を結ぶ鍛冶集団。この旅の最初に寄った荏田の剱神社 に伝わる大蛇伝説(鎌倉街道編第2回)、「東北より鎌倉の刀鍛冶のもとへ炭を売りにきた商人」のことが頭をよぎった。(おっと、横道に逸れてしまった。本道に戻ろう) 笠間中央公園下の高台を降り、ふたたび庚申塔の前を通って50メートルほど行く。左手の路地の手前に『青木神社』の看板が見えてきた。路地をのぞきこむと、奥には石の鳥居と百段以上ありそうな石段が ある。由緒がありそうな雰囲気に惹かれ、路地に入ろうとしたその時。(?)頭の上に違和感を覚えた。 後戻りして振り仰ぐと、ちょうど繁華街にある○○小路とか○○横丁とかいう飲み屋街の入口にあるような電飾のゲートが架かっていた。「青木神社参道」とでも書いてあれば納得するが、描かれていたのは極彩色の賑やかな絵。違和感はこれだった。 中央に後光を放つ女神像。その女神を崇めるように7人の男女が囲む。何人かの顔には隈取りのようなものが描かれていて、歌舞伎を連想させる。
注:天岩戸の電飾ゲートは、正月の初詣での時期(もしくは祭りか?)だけでした。
三人の神様 ※平景清。平清盛を討った藤原秀郷の末裔で、悪七兵衛の異名を持つ勇猛な平家の武将である。源平の合戦にも登場する。彼を主人公にした「景清」は、歌舞伎十八番のひとつである。 (でも、この絵どこかで見た覚えがあるぞ。大きな岩を持ちあげて…あっ、天の岩戸だ!) 日本神話の「岩戸開き」。中央にいるのが天照大神(アマテラス)で、大岩を持ち上げているのは天手力男命(タヂカラオ)だ。ということは、横にいる巫女さんのような女性は岩屋の前で踊った天宇受売命(アマノウズメ)かぁ? (裸じゃないけど…。でも、どうしてここに天の岩戸の絵が?) じつは、青木神社の祭神は、この天手力男命(タヂカラオ)なのである。
天岩戸で思い出した! 先ほどの上郷町の「製鉄遺跡」の近くに「思金(おもかね)神社」というのがある。この神社に祀られているのは「八意思金大神(やごころおもいかねおおかみ)」。 思慮を兼ねたオモイカネ。そう!天岩戸を開けるために知恵をしぼって作戦を練った頭のいい神様なのである。 天岩戸に登場する知恵と腕力の神様が揃ったとなると、当然主役がいなくちゃいけない。さっそく地図を開いて探してみる。 「あった!」 なんと、公田町にアマテラスを祀る神明社があった。しかも、青木神社と思金神社を結ぶ東西のライン上にある。約3.5キロに 日本神話の神様、つまり天津神の神社が三つ並んだのだ。大発見だ。 「あっあっ!それだけじゃない。さっきのアラハバキ神を祀る祠は、その神明社の足元にあるじゃないか!これも同じライン上になる。
まるで、国津神(縄文先住民系の神)が天津神(高天原から天降った渡来系の神)に封じ込められてるみたいじゃないか…」 結局、石段下まで行ったものの、百段以上の階段を見上げただけで気持ちが萎えた。鎌倉道を散々歩いてきて、今またこれを上っていく元気はない。(手の力よりも、足の力が欲しい!)
※後日、石段を上がって境内まで行きました。石段の数は116でした。
でぶそば 信号待ちをしていると、右手の駐車場の向こうに「中華・でぶそば」の看板が見えた。「中華か〜」そろそろお腹も減ってきたので寄ってみようかと思うが、「でぶ」の文字が気にかかる。食べたら、ガッツリ太りそうだ。 「ま、戸塚の上柏尾で蕎麦を食べてから少なくとも10キロ以上は歩いてるからな。ラーメンの1杯くらい、いいだろう。うん」 結局、注文したのはチャーハンとラーメンのセットに餃子であった。ラーメンもチャーハンも昔ながらの素朴な味で、なかなかウマイ。特に餃子は丸くてボリュームもあって香ばしくって…疲れた体をホッとさせるに充分な美味しさでした。近所にあったらお昼には毎日でも通いたくなってしまうようなお店だな〜と思いながら、店の人にどうして「でぶそば」なのかと聞いてみた。 想像はしていたが、先代の店主さんがやはり太っていらっしゃったからとのこと。ただ、それをそのまんま屋号にしたのには理由があった。 このお店は以前、松竹の大船撮影所の前にあった。撮影所の前には当時、浅野屋さんというおそば屋さんもあって、そちらは店主さんが小柄だったので、お客さん達から「ちびそば」さん、「でぶそば」さん、と愛称で呼ばれていたそうだ。 撮影所とともに蒲田から移ってきた浅野屋さんの店主さんは昔かたぎの人で、「ちびそばさんですか?」という注文の電話に「うちはちびそばじゃありません。浅野屋です!」と怒って電話を切られたというから、「ちびそば」と呼ばれるのを、よしとしなかったのだろう。一方、そのころ屋号の無かった「でぶそば」さんは、そのまま愛称を屋号にしてしまった。その後、現在の場所に店が移ってからも、撮影所のスタッフや俳優さんがお昼休みには頻繁に訪れたそうである。
「渥美清さんには、ひいきにしてもらいました。寅さんの衣装のままで『おいちゃん、来たよ!』って、声をかけながら、スタッフさん数人連れでいらっしゃるんですよ。ときにはマドンナ役の女優さんを連れて来れれることもあって、『渥美さんにご馳走に誘ってもらった』って期待していたら、連れてこられたのがこんな店なんで…きっとガッカリするマドンナの表情を楽しんでいらしたんでしょうね。本当に気配りのできる優しい人でしたね〜」と現在の店主さん。 壁には寅さんの色紙が2枚飾られていた。それだけ有名な俳優さん達が訪れていたのなら、壁じゅうにサイン色紙が飾られていてもよさそうなものだ。
「サイン色紙を沢山飾っておけば、他のお客さんからもサインをねだられたりするでしょ。撮影中の緊張から、開放されて休み時間くらいはホッとくつろいでもらいたいですからね」 壁の二枚は、「男はつらいよ」47作目を撮り終えたときに、渥美さんが「そういえば、サイン書いてなかったよな」と言って、初めて書いてもらった色紙だそうだ。珍しい漢字で書かれたものとひらがなのものが二枚。当時のエピソードをお聞きしながら、ながめていると、その時の様子が目に浮かんでくるようだ。 20代の頃から寅さん映画は、欠かさず映画館に足を運んで観ていた。ガッツリ太るのを覚悟で、この店に立ち寄ってよかった♪ (おっと、またまた横道に…) ☆ ☆ ☆
ところで「でぶそば」さんに通う俳優さん達は、この道が鎌倉道の古道だったなんて知っていたのだろうか? チョンマゲ姿の役者さんが鎌倉道を歩く…なんて想像して、それが全然見当はずれだということに途中で気がついた。 大船のスタジオは現代劇専門だ。時代劇は京都の撮影所だから、この道を侍の衣装を着た役者さんが通るはずがない。愚にもつかないことを考えていたら、今度は右側に芝浦メカトロニクスのスマートなビルが現れた。 鎌倉道は、この会社の敷地を斜めに入る…わけにはいかないので、その先の大船郵便局の手前を流れる「砂押川」のところで右折する。
桜並木の川端を歩き、小さな橋を渡って、郵便局の裏手にまわる。先ほど会社の敷地を斜めに入った道は、この路地に続く。 郵便局の裏の道を進み、「松竹通り」の交差点を渡る。この交差点の右が大船駅。反対に左に向かうとイトーヨーカドーと三越があり、その先「鎌倉女子大」にぶつかる。 (写真右下) そこが、かつての松竹大船撮影所である。
鎌倉道は、大船駅の400メートルほど東を東海道線と平行して進む。芸術館通りを渡ると道幅も狭くなる。右手、住宅の切れ間から大船小学校の校舎が見え隠れする。300メートルほど進むと、段々左にカーブして行く。このまま道なりに行きそうになるが、鎌倉道は次の信号を渡った向う側 へと続く。 ボーッと信号待ちしていたら、自転車に乗った小学生の女の子に声をかけられた。何かと思ったら、押しボタン式だった。「あっ、ごめんね」慌ててボタンを押す。
つづく |