■ひろたりあん通信バックナンバー
2007年3月号
地名推理ファイル歴史探偵 高丸の地名推理ファイル」
■番外編 街道を往く 鎌倉街道 26

粟船から大船
 「大船はかつて海浜であった」 と『新編相模国風土記稿』や『新編鎌倉志』に書かれている。

 それによると、大船は鎌倉から戦国時代にかけては「粟船」と呼ばれていたらしい。「一夕変シテ山ト化ス」つまり地殻変動か何かで、一晩で地表が隆起してできた山が「粟を積んだ船」に似ていることで粟船の地名がついたということだ。なんだか江の島の縁起に似ている。

 初めての武家成文法「御成敗式目」を制定したことで有名な、鎌倉幕府第三代執権・北条泰時の墓が大船5丁目の「常楽寺」にある。

 寺の山号を「粟船山」(ぞくせんざん)という。最初は、粟船御堂(あわふねみどう)、もしくは青船御堂と呼ばれていた。この粟船(青船)がなまって江戸時代頃から「大船」と呼ばれるようになったという。

 因みに、江戸時代に編纂された『鎌倉志』は、水戸の黄門様こと徳川光圀が、家臣に命じて作らせたものである。

 古代からアワはヒエとともに庶民にとっての重要な作物であった。近年の健康ブームで、こうした五穀の栄養価が見直されている。私もたまに食べているが、収穫されたアワは見たことがない。ましてやアワを積んだ船といわれても、それがどんな形だったのか想像もつかない。

 アワという言葉を地名辞書で引くと、「泡や沫=やわらかい。はかない。しっかりしない」という意味が出てくる。ようするに沼地や湿地帯である。

 湿地帯であったこの地にポコン浮かぶ船の形をした小さな山。それなら想像できる。アワに作物の粟の字を当てたことから「粟を積んだ船」の言い伝えが生まれたのではないだろうか。

離山の地蔵堂
 鎌倉道は、大船駅から常楽寺に向かうバス通りを横断し、そのまま道なりに進む。静かな住宅街の路地は左に大きくカーブしながら、やがて広い道に出た。

 通称「松竹離山通り」。笠間十字路から青木神社、資生堂鎌倉工場と通って来た道路は、ここに続いている。芝浦メカトロニクスの所から、大きく迂回したのは、この道路は、かつて山だったからではないだろうか。

 交差点の角に「旧鎌倉街道中ノ道」と彫られた標柱があった。

 「おーし!中ノ道。間違いない!」 思わずガッツポーズが出る。

 分かってはいるが、こうして証明してもらえると嬉しくなる。その標柱の横には「離山富士見地蔵尊」の御堂(おどう)があった。

 この辺りの地名は「離山」という。先述の『風土記稿』には「長山」「腰山」「地蔵山」の三つの小山の総称だと記されている。湿地帯にポコン、ポコン、ポコンと離れて並ぶ三つの山。「やはり、そうだ!」

 自分の推理に確信を得つつ、お地蔵さんに手を合わせる。

 写真を撮ろうとカメラを構えたとき、お堂の中に、なにやら紙が貼ってあるのに気がついた。おそらく由緒書きか何かであろう。

 (どれどれ)何が書かれているか、腰を屈めて覗こうとしたら「ガン!」と頭に衝撃を受けた。

「いっ、痛〜っ!」ぶつかったのは瓦屋根だ。

 なんとこの御堂、ちゃんと屋根があるにもかかわらず、その上にご丁寧にもテントがかけられていた。それで目測を誤ったのだ。(というのは言い訳、単にボヤッとしていただけだ。先ほどの押しボタン式信号といい、どうかしてる…トホホ)

 痛みはさほどでもないが、場所が場所なだけに、なにか罰(ばち)でも当たったのかと思ってしまう。別にやましいことは思い当たらない…たぶん。

 何もないが、改めて合掌。

 お地蔵さんに別れを告げ、「松竹離山通り」を渡る。渡ったところで道は二股に分かれていた。地図を見るまでもない。右側の道はどう考えても暗渠(あんきょ)だ。

 振り返ると、さっき通って来た路地の横、お地蔵さんの反対側に橋があった。その下を流れる小川が、二股の左側の道の下に続いていて、コンクリートのフタをして歩けるようになっている。鎌倉道が川の上を行くわけがないから、当然右側の道を行く。

小袋谷に眠る御前様
 右の路地を斜めに進むと、すぐにまたバス通りに出た。そのまま信号を斜めに渡る。ここから住所が小袋谷(こぶくろや)になる。「巨福礼」「巨福呂」などと書く。

 フクロやフクレは水に囲まれた袋状の地形、を表す。それに低湿地を意味する谷だ。

 谷は西日本ではタニだが、関東から東北ではヤ、ヤツ、ヤチ、ヤトと読む。神奈川県では戸を付けてヤト(谷戸)。千葉ではヤチ(谷地)。東北はヤツ(谷津)が多い。東京は渋谷、世田谷、市ヶ谷とほとんどがヤだ。

 鎌倉では、扇ガ谷(おうぎがヤツ)。亀ヶ谷(かめがヤツ)、大仏ヶ谷(だいぶつがヤツ)となぜかヤツが多い。だから、小袋谷も最初は「コブクロヤツ」だと思っていた。

 だが、ここだけがヤなのだ。ツを抜かした方が、語呂が悪いと思うのは自分だけか? この辺の使い分けはどうなっているのだろう?やっかいなヤツだ。

 

そんなことを考えながら歩いていたら、昔懐かしい円筒型の郵便ポストが現れた。古都・鎌倉に一歩一歩近づいているのだと実感する。

 

「カン!カン!カン!」踏み切りの音が鳴りだした。

 100メートルほど先に横須賀線の踏み切りが見える。さほど急いだわけでもないのに、踏み切りに着いてしばらくしてから、北鎌倉方向から列車がやって来た。(遅〜い!)

 列車の通過を待ちながら傍らに目をやると、踏み切りの手前に茅葺き屋根の山門が建っていた。鎌倉にある唯一の浄土真宗のお寺「成福寺」である。趣きのある佇まいが歴史を感じさせる。

 この寺には、映画「男はつらいよ」で御前様として愛された名優、笠智衆さんのお墓がある。                                               

     

                                            つづく


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