| ■ひろたりあん通信バックナンバー |
| ▼2007年4月号 |
| 地名推理ファイル歴史探偵 高丸の地名推理ファイル」 |
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■番外編 街道を往く 鎌倉街道 27
中道の終着点 バス通りと平行して流れる柏尾川の支流「小袋谷川」に架かるこの橋は、名前を「水堰橋(すいせきばし)」という。橋のたもとの石柱には「せゐ志くばし」と刻まれていた。 鎌倉道を「いざ鎌倉」と急いで駆けつけた武士達が、ここで鎌倉入りのために隊列を整える、つまり「勢揃い」した場所。その「勢揃い」が「せいしく」に転化し、さらに訛って「すいせき=水堰」という橋の名前になったといわれている…。 土地の言い伝えなんだろうか?「勢揃い」が「せいしく」は、ちょっと無理があるような気がする。隊列を整えたのなら「せいしゅく」ではないだろうか?静かに慎む「静粛に!」の静粛。もしくは行儀作法などの整っておごそかなこと「整粛」である。「せいしゅく」が「せいしく」になったのなら違和感はない。 いずれにしろ、ここが鎌倉街道・中ノ道の終着点といっていいだろう。しかし、「ゴ〜〜〜ル!」と叫ぶには中途半端すぎる。 鎌倉の町は地形からして、それ自体が城である。その鎌倉城の、ここは城門どころか城下町の入口でしかないわけで、今なら鎌倉の中心「鶴岡八幡宮」が本丸となる。そこまで行かなきゃ鎌倉街道を歩いた意味がない。 (さ〜て、本丸めざして隊列、いや体調を整えるか…)信号の向こうのコンビニを兼ねた本屋さんに駆け込み、トイレを借りる。
粛々と用を足したところで、バス通りを鎌倉目指す。片側一車線の狭い通りは、鎌倉方面に向かってひどく渋滞している。この先「小袋谷」のT字の交差点で左「鎌倉街道」に曲がる車が中々進まない。それもそのはず、曲がったわずか50メートル先に横須賀線の踏切がある。バス通りは横須賀線と平行しているのだから当然だ。この踏み切りに引っかかると、どちらから来てもアウトである。 この「鎌倉街道」は本来の鎌倉道とは関係ない。正式には「神奈川県道21号横浜鎌倉線」、市営地下鉄の吉野町駅を基点に港南中央駅までを地下鉄とまったく同じコースを辿り、大船から北鎌倉を抜けて鶴岡八幡宮前交差点まで続く主要地方道の幹線道路だ。こうした鎌倉街道と呼ばれる幹線道路が全国各地にある。
「鎌倉街道って、どこからどこまでがそうなの?」という混乱を招くのは、そのためだ。
山内は「やまのうち」
なんのことはない、仕切り直しをして歩き始めた戸塚区川上町から、ここまでの道行は、すべて「山内荘」の中を歩いてきたことになる。 この荘園を領したのは、平将門の乱を平定した藤原秀郷の子孫で、八幡太郎・源義家(頼朝の四代前)の頃から代々源氏の家人として従っている首藤(しゅどう)氏である。 首藤氏は十二世紀前半の俊通(としみち)のころ、頼朝の父義朝から山内荘を預けられたという。以来、山内首藤の姓を名のる。 昨年の大河ドラマ「功名が辻」の主人公「山内一豊」は、山内首藤氏の末裔だとされているが、これはまったく信憑性がうすい。一豊の山内は「やまのうち」でなく「やまうち」と読む。 もっとも、戦国大名の多くは、下剋上で成り上がった海のものとも山のものとも知れない者がほとんどだ。彼らは戦乱を勝ちぬき、泰平の世となったあと、子孫繁栄のために、系図の粉飾、偽造の必要性に迫られた。系図屋などに注文して、源氏やら平氏やら藤原氏やらの末裔であるがごとく巧妙に系図を作った。 特に好まれたのが武士の棟梁である源氏である。徳川家康などもいつの間にか清和源氏の末裔になっていた。 面白い話を聞いたことがある。 家康 「系図をこしらえてくれまいか」 系図屋 「で、姓(せい)は何にいたしましょう?」 家康 「姓か?ふむ…? うん、やはり武士の棟梁である源氏がよいな」 系図屋 「源氏でようございますね。では…、姓は…源氏…と」 (姓は源氏)=清和源氏 かくして、徳川家は清和源氏の末裔になったそうな。
話を戻そう。 山内首藤を名乗った俊通、俊綱の親子は、保元の乱(1156年)と、続く平治の乱(1159年)で義朝に従って奮戦するも、討ち死にしてしまう。 その跡を継いだ俊通の子経俊(つねとし)は、源氏の家人で、頼朝の乳母の子にも関わらず、頼朝が石橋山に挙兵した際に、頼朝の使者を罵倒し、平家側に付いてしまった。 本来なら斬罪に処されるところだが、老母の哀訴と先祖の功績に免じて許される。ただし、山ノ内の所領は没収、身柄は土肥実平に預けられた。以後、経俊は頼朝に従い義経追討や奥州攻めなどで功を上げて、伊勢・伊賀の守護職となり、相模の早河庄や備後の国の地頭職を得ることができた。 この経俊の末裔は、備後国の戦国武将山内氏を経て、毛利家の重臣として幕末まで続いている(こちらが正統である)。 因みに毛利家の親戚「小早川氏」は土肥実平の末裔で、本家「毛利氏」は鎌倉幕府の知恵袋「大江広元」の末裔である。鎌倉時代からの因縁というのか、この辺りが実に歴史の面白さである。 その土肥氏も、執権・北条義時と有力御家人・和田義盛との間に起こった合戦で、和田氏に味方したため、またも山内荘は没収されるのである。
山内荘はこれよりのち、北条氏の得宗領として支配されることになった。鎌倉五山の「建長寺」「円覚寺」「浄智寺」、駆け込み寺として有名な「東慶寺」など、山ノ内に北条氏創建の寺が並ぶのはそのためなのだ。
不思議な石 第一章は、いきなり「びっこ石」という石の話から始まる。 「道行く人が知らずに踏めば足が丈夫になり、承知して踏むとびっこになる」という言い伝えのある不思議で、怖〜い石の話だ。この石が、かつて鎌倉道の真ん中にあった。 場所は北鎌倉の駅から500メートル手前、小袋谷の交差点辺りだろうか、現在は北鎌倉駅の裏手、円覚寺から続く丘陵上の「八雲神社」に移されているとのこと。これは行って確かめずばなるまい。 北鎌倉駅の手前で横須賀線の線路を渡り、線路伝いに歩くと、切り立った崖に赤い門のトンネルが現れた。 西遊記に出てくる金角・銀角や牛魔王の住処かと思えるような中華風の不思議な門だ。 よく見ると「成吉思汗 会席料理、好々亭」と書いてある。この漢字ばかりの看板が余計そう感じさせるのだ。かといって料亭の入口とも思えない。 入ろうかどうか躊躇している私の脇を自転車に乗った男性がさーっと駆け抜け、トンネルの中へ入っていった。それに勇気づけられ、あとに続いてトンネルをくぐると、なんのことはない普通に住宅地に出た。(なんと、まぎらわしい)
八雲神社はトンネルを抜けた右手の高台にあった。こちらから回ると裏口、ちょうど拝殿の横から境内に入る形になる。境内を横切り、一旦鳥居をくぐって表に出る。鳥居からは眼下に見える北鎌倉駅のホームまで階段が続いていた。トンネルをくぐったのは正解だった。階段を上らなくて済んだことにホッとする。
改めて鳥居をくぐり、境内に戻る。どこにでもある小さな神社だ。ぐるっと境内を見渡しても、それらしき石はない・・・と思ったら、鳥居の左側が更に高くなっていて(自分の身長ほどはあろうか)その上にもうひとつ鳥居が 建っている。(神社の上にもうひとつ神社・・・?) 拝殿の横や境内の片隅に、別の祠(摂社とか末社)があるのはよくあることだ。しかし、境内よりも高い場所にあるのは初めてだ。ぐるりが切り立った崖になっているので、新たに土を盛り上げたわけではないことが分かる。
今にも崩れそうないびつな石段 が12段、それを上った1メートルほど先に更に3段の石段が右と左別々にふたつある。左側、12段の石段の正面奥には「大己貴大神、国常立尊御嶽大神、少彦名大神」の三神の名が刻まれた石碑が建っている。右側の石段には、先ほど境内から見えた小さな鳥居が建っていて、その奥にはお稲荷様の祠がある。
敷地の面積は15坪ほどだろうか。なんとも不思議なレイアウトである。お稲荷様の鳥居と石段は分かるが、石碑の前の石段は、なんだか取り残されたような不自然さを感じる。 石碑に書かれた三神、大己貴大神(おおなむちのおおかみ)は、出雲神話に出てくる大国主命(おおくにぬしのみこと)の若い頃の名前である。少彦名(すくなひこな)の神は、その大国主命の国造りを手伝った小さな知恵の神様。 そして真ん中に刻まれている国常立尊(くにとこたちのみこと)は、日本書紀の一番最初に登場する神様である。 つまりは国土を形成する根源神だ。 国造りをした国津神、国土の守護神ということで三人の神様は共通している。だけど、八雲神社の祭神は牛頭天王。つまりスサノオノミコト。国津神には違いないが、神様に関しては知識が乏しくて、どういう謂れがあるのか想像もできない。 国常立命は、時の政権にとって忌み嫌われる神格でありながら、反政権にとっては最高神であるといわれている。スサノオも含め、天津神(朝廷)に対する四人の国津神。京の政権に対抗した鎌倉幕府の守護神のようで、なんだか納得してしまうのだが、ちょっとこれは考えすぎか・・・。 (それにしても、この三神の組み合わせ・・・、う〜ん、どこかで見たような気がするんだよな〜) ふと、今上がってきた階段のすぐ左脇にも石碑があるのに気が付いた。こちらには「清瀧不動」と刻まれている。「清瀧不動・・・?」裏には明治時代に木曽の御嶽山(おんたけさん)から勧請されたとある。 (あっ、木曽の御嶽山か!御嶽山の祭神は確かこの三人の神様だった。ということは山岳修験が関係しているのだろうか?)
清瀧不動の石碑から北鎌倉の町を見下ろしながら、この不思議な空間の意味するものを考えた。 北鎌倉の八雲神社は鎌倉時代に厄病を打ち払うために建てられたとも、室町時代にこの地に居を構えた関東管領上杉憲房が武運長久を祈って京都・祇園八坂神社から勧請したともいわれている。 御嶽山から勧請されたのが明治時代なら、それ以前は、いったい何の神様が祀られていたのだろう? (他に何かないだろうか?)境内の上の小さな境内を歩き回る。 「あっ、そっちに行っちゃダメ!」 清瀧不動の反対側に回ろうとしたら、突然叫び声がした。驚いて立ち止まる。声は階段の下から聞こえた。下を見ると、いつの間に来たのか境内の真ん中にポツンと女性が一人 立っていた。 つづく |