| ■ひろたりあん通信バックナンバー |
| ▼2007年5月号 |
| 地名推理ファイル歴史探偵 高丸の地名推理ファイル」 |
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■番外編 街道を往く 鎌倉街道 28 「アッ、そこ踏んじゃダメ!」 境内から聞こえた叫び声。今まさに踏み出そうとした右足は、金縛りにあったように宙に止まった。左の軸足は四角い石畳を踏んでいるが、その十数センチ先にはひとかかえありそうな平らな自然石が埋め込まれていた。その向こうは崖である。
(まさか!これが例の『びっこ石』?) 恐る恐る足を戻し、境内にいた声の主を捜す。が・・・、いない!消えた。まさか幻だったのか? そんなはずはない。声は確かに聞いた。それに男性ならともかく、女性の姿を見誤るはずがない。(どうゆう自信だ?) すると背後で足音がした。振り返ると、さっきの女性がロングスカートの裾を高くさばいて、崩れそうな石段を軽やかに、まるで中世のお姫様のような足どりで登ってくるではないか。
陰陽師・安倍晴明 大きく切れ長の目元が笑っている。小柄だが、どこか気品のある顔立ち。なかなかの美人である。 「その石、『せいめい石』って呼ばれているんですよ。ほら、そこに石碑があるでしょ」 指差す方を見ると、平らな石の前には高さ二尺(60センチ)ほどの石碑があった。『安倍晴明石』と刻まれている。 「安倍晴明? もしかして陰陽師の安倍の晴明ですか?」
「そうですよ。そのことを知らないで踏むと病気になるんです。危ないところでしたね」 (危ない!)晴明石の横の大きな看板の「危険」という文字が目に飛び込んできた。こちらは「周辺のガケ」に対する注意書きだった。 先ほど読んだ「旧鎌倉街道探索の旅」のページを開く。 「あっ、確かに!」 「びっこ石」の下に小さな文字で(晴明の石ともいう)と書いてあった。 「そうか、晴明って安倍の晴明のことだったんだ。二十四節気の清明(春分と穀雨の間)かと思った。よく見ると字が違うじゃん。ん・・・? でも…待てよ。この本には、知らないで踏めば・・・病気じゃなくて、足が丈夫になる。・・・って書いてありますよ、ほらっ」
ページを開いて彼女にも見せる。 「えっ…あれっ嘘! 知らずに踏むと病気じゃなくて、足が丈夫になるんだ〜。あ、そうですよね。だったらみんな病気になってますものね。アハハハ、ごめんなさい。じゃ、どうぞ踏んであげてください」 「踏んであげて…って、もう知っちゃったから遅いですよ」 「ウフフフ、それもそうですね。おっかしい」 なんとも明るい女性だ。 「でも、安倍晴明って鎌倉幕府ができた時代より、確か二百年くらい前、平安時代中期の人じゃなかったっけ…なんで鎌倉にあるんだろ?」 「晴明さん、その頃鎌倉にいらっしゃったみたいですよ」と彼女。まるで知り合いが訪ねて来たような口ぶりだ。 「頼朝が鎌倉を拠点にした時に、この『山ノ内』にあった旧家を移築して、頼朝の仮の住居としたそうなんです。その旧家には、『鎮宅の符』が押されていて、そのおかげなのか、二百年近く火災にあうことがなかったというんです」 「へ?・・・ちんたくのふ?」 「陰陽道の家屋を災厄から防ぐ護符です。その護符を押したのが晴明さんだと『吾妻鏡』に書いてあるんです。『吾妻鏡』はご存知ですか?」 「鎌倉時代の歴史書でしょ。もちろん知ってますよ」 「吾妻鏡には、陰陽師を呼んで占いやお祭りをしたことが、なんと四十数回も出てくるんです。その中に『四角四境祭(しかくしかいさい)』という鬼気祭が行われたと書いてあるんですが、その場所が、実はここ八雲神社なんですね」
「資格?司会?・・・奇奇怪怪?」 「違います、鬼の気の祭です」 「ああ、鬼気迫るの鬼気祭ですね。ちゃんと鬼気祭(聞きなさい)。なんちゃって・・・」 「京都でいうなら四角は御所の四隅、四境は都の境界ですね。鬼気祭は災厄を祓う陰陽道の儀式ですよ。その儀式が鎌倉で行われたのがここで、その地に、あとから八雲神社を建てたといわれているんです」 「なるほど、京の都と同じように鎌倉の町も陰陽師によって護られていたというわけか〜」(どうやら、くだらないダジャレは聞こえなかったようだ) 「それにしても、実に詳しいですね〜。失礼ですが・・・」 「ノトハラさ〜ん! どこですか〜?」
不思議な縁
「あっ、は〜い!ここで〜す」 どうやら彼女の名前はノトハラといいうらしい。 「それじゃ、私は先を急ぐんで・・・、どうもありがとう、いろいろと勉強になりました。石も踏まずに済んだしね」 「アハハハ、こちらこそ、本当に失礼しました」 別に男連れだったからというわけではないが、そうそう長居もしていられない。後ろ髪をひかれる思いで石段を降りる。 「あ、さっきのダジャレ面白かったですよ〜!それでは、また」 鳥居をくぐろうとしたら、後から呼びかけられた。 「えっ、あ、ああ・・・どうも」 (ダジャレは、しっかり聞かれていた。それより「また」ってどういうこと?)
正面の鳥居から駅に向かって階段を降りる。線路のフェンス伝いに進むと、途中に素掘りのトンネルが現れた。数歩でくぐり抜けられる小さなトンネルだ。 「崖崩れのため通行注意!」という看板があるが、駅へ抜ける生活道として普通に使われているのが鎌倉らしい。トンネルを抜けると北鎌倉駅の改札に出た。 北鎌倉駅の裏口にあたるこちらの改札を出ると、目の前が円覚寺(えんがくじ)である。大河ドラマにもなった八代執権の北条時宗が、宋から招いた無学祖元(むがくそげん)を開山として創建された臨済宗の寺は、寺域も広大で、国宝の舎利殿や、高さ2.6メートルを超える「洪鐘(おおがね)」など、さすが鎌倉五山の第二位だけあって見所も豊富だ。
だが、こうした大きな寺を観て回る余裕はない。ここはパスして山門前から踏み切りを渡る。 踏み切りを渡ると白鷺池(びゃくろち)という池がある。ようするに踏み切りを挟んだ向かい側も円覚寺の庭園なのだ。明治22年、大船から軍港である横須賀に通じる鉄道(現・JR横須賀線)を敷設する際、無理やり円覚寺境内に線路を通過させたため、このような位置関係になっている。 その庭園を抜けて鎌倉道に戻る。歩道を150メートルほど歩くと、右手に観光客の集団が見えた。「東慶寺(とうけいじ)」である。東慶寺は、一般に「駆け込み寺」「縁切寺」の名前で知られている。 「今日〜、鎌倉へ行ってきました〜♪」さだまさしの名曲「縁切寺」の切ないメロディが口をついて出る。 「源氏山から〜北鎌倉へ〜♪」結構そらで歌えるものだ。(それほど広くないし、ちょっと寄ってみるか) 縁が切れるといわれるこの寺に立ち寄ったことが、まさに不思議な縁を結ぶことになろうとは・・・。 人の縁とは〜、不思議なもぉので〜♪・・・たどりついたのは、縁切寺。
つづく |