■ひろたりあん通信バックナンバー
 2007年7月号
地名推理ファイル歴史探偵 高丸の地名推理ファイル」
■番外編 街道を往く 鎌倉街道 30

布袋トリオ?
  浄智寺(じょうちじ)には、『鎌倉・江の島七福神めぐり』のひとり「布袋様」がいらっしゃるそうだ。その布袋様は、人差し指をこう…。

「ほら、すぐそこにいるよって、後を指差しているんですよ」

「う、うしろ!」背後に気配を感じて思わず振り返る。

「わっ!いた!布袋さま」

「僕です、僕です。布袋様でも江原様でもありません。棚橋です」

「驚いた〜。すぐそこにいるよって言うから、背後霊でもいるのかと思った」

「アハハハ、違いますよ。布袋様が指差しているのは『幸せは、あなたのすぐそば、すぐそこにいるよ』っていう意味なんです」「なるほど」二人の声がハモった。

 その布袋様は浄智寺の境内を入った右側の奥まった岩屋の中に立っていた。
「なんかマンガチックだな〜。ふきだしがあったら『エッヘヘヘッ、ほら〜幸せは、そこだよ〜ん』ですね」

「それにしても、腹のあたりがやけに黒くない? 性格は腹黒だったりして」

「あらっ、そういえば、二人ともこの布袋様に雰囲気似てますね」

 男二人の罰当たりな会話がノトハラさんの一言で止まった。

「ほら〜、とくにお腹のあたり」更に追い打ちのひと言。

 思わず見交わす目と目、そして腹と腹。なんだか布袋様が指差しているのは、後ろじゃなくて自分の腹まわりのように思えてきた。

「まあまあ、布袋様に似ているなんて福々しくていいじゃないですか。そうそう、この布袋様のお腹を撫でると元気がもらえるそうですよ」言いながらお腹を撫でるノトハラさん。

 傍らの立て看にも「お腹をなでてあげてください。元気がもらえます」と書いてある。腹のあたりが黒ずんでいたのは、観光客が布袋腹を撫でさすっていくせいだったのだ。(腹黒なのは私でした・・・布袋様ごめんなさい)

安倍清明大神
 再び鎌倉道へ戻った三人。警笛が鳴り出したので、急いで横須賀線の踏み切りを渡る。渡りきったところでノトハラさんが振り返って二人を呼ぶ。

「思い出しました。ここです、ここです!」

「えっ、ここ?おお、けんちん汁の『鎌倉五山』。テレビでも紹介された店ですよね」と棚橋さん。

「僕も見ましたよ。そういえば、けんちん汁は鎌倉が発祥でしたね。この先にある建長寺の修行僧が作った建長汁がなまってけんちん汁になったんじゃなかったっけ」

「ええ、そのとおりです。だけど、私が教えたかったのは、その隣。その電柱の陰の石碑のところなんですけど」

「えっ、電柱の陰? 石碑って…?」

 駐車場の角の電柱を回り込むとフェンスの脇に小さな石碑が建っていた。『安倍清明大神』と書かれている。

「あっ!こんなところにも安倍晴明の石碑が!」

「そうなんですよ。ここにも安倍晴明の遺跡があったんですよ」

「でもこれ、晴明じゃなくて清明と書いてありますね」

「あっ、本当だ。ウシシッ(見たか編集キャップ!)」

「どうしたのですか?宮澤さん、ガッツポーズなんかして」

「い、いや、別に…(実は先々月号の原稿を提出するとき「晴明の晴の字が、全部『清』になっていたので直しておきました」と編集キャップからイヤミを言われたのである)」

「字はともかく、大神になるくらいだから、陰陽道はそうとう鎌倉に根付いていたんでしょうね」

 

亀ヶ谷坂(かめがやつさか)
  石碑から300メートルほど行くと、右側に長寿寺の茅葺きの山門が見えてきた。ここは鎌倉公方足利基氏が父尊氏の菩提を弔うために建立したと伝えられている。一般公開はされていない。その長寿寺を過ぎたところに「流しそうめん」のお店があった。

「どうしますか?」ノトハラさんが前を向いたまま訊ねる。

「えっ、流しそうめんですか、いいですね。でも、あまり時間もないし、腹もへっていないので・・・」

「アハハハ、違いますよ。ここから先をどう進むか聞いたんです」

「あ、ハハ…」

「まっすぐ行けば建長寺の前を通って巨福呂坂切り通しを抜けるコース。このお店の前の路地を行けば、亀ヶ谷坂を通って、岩船地蔵堂に出ます。そこからは、寿福寺にも行けるし、化粧坂を越えて源氏山に行くこともできますよ」

「そうですね、建長寺のコースは前に通ったことがあるので、亀ヶ谷坂を抜けるコースにしましょう」

 流しそうめんのお店の手前の路地を右に入り、ゆるやかな坂を上る。

「亀が途中でひっくり返るほどの急な坂が名前の由来だって聞いていたけど、この程度の坂なら青葉区じゃ当たり前ですね。たまプラーザには、馬が上れないほど急だったという「馬坂」というのがあるけど、それに比べても大したことないですよ」

「やっぱり馬と亀じゃ足の長さが違いますからね」と棚橋さんが妙なつっこみをいれる。

「この坂は、鎌倉七口の一つで、鎌倉時代はもっと急な坂だったそうですよ。あと、鶴岡八幡の鶴に対しての亀。長寿を願って亀の字をつけたとも言われているんです」

「ほぉ、亀がヤツなら、鶴がオレ。じゃなく鶴が岡か。なるほどね、谷と山を亀と鶴になぞらえているということですね。それなら納得」

 上るにつれて両側の緑が崖に変わり、空が小さくなった。歴史の道百選に選ばれているだけあって、鎌倉時代の切通しの雰囲気がよく残されている。

 途中から下り坂になる。下りの方は結構傾斜がきつい。これを向こうから上ってくると思ったら、亀だって転びはしないまでも、相当難渋しそうである。

 亀ヶ谷坂を下りきると住宅街に出る。緑に囲まれた閑静な真っ直ぐ進んで行くと、その先のT字路(亀ヶ谷辻)の手前に八角形のお堂があらわれた。

「ここが岩船地蔵堂です」
                               つづく


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