■ひろたりあん通信バックナンバー
▼2007年9月号
地名推理ファイル歴史探偵 高丸の地名推理ファイル」
■番外編 街道を往く 鎌倉街道 32

  太田道灌ゆかりの寺「英勝寺」の前の道を鎌倉駅方面に向かう。

 踏切から線路と分かれるような形で住宅地に入っていくと、すぐ右側に鬱蒼とした木立に囲まれた寿福寺の外門が現れた。

 「鎌倉五山第三位のこの寺は、北条政子が臨済宗の開祖・栄西を招いて開山した寺です。栄える西と書いてエイサイではなく、ヨウサイと読みます。あ、日本に初めてお茶を伝えた人としても有名ですね」

ノトハラさんのガイドに、「有名…ですか〜?」と棚橋さんがこちらに流し目を送る。

 「すいません、私も知りませんでした。確か寿福寺は、頼朝の父義朝の屋敷だったんですよね」 

 「そうです。頼朝は鎌倉に入った時に、ここに幕府を置こうとしたんですけど…義朝の菩提を弔うお堂があったので止めたんですね。それから、この寺の墓地には、政子さんと実朝さんの墓だと言われている五輪塔があるんですよ」

 政子さん…言わずと知れた源頼朝の妻、尼将軍「北条政子」である。実朝さんは鎌倉三代将軍・源実朝だ。

尼将軍と三代将軍
 外門から山門まで美しい石畳が続いている。国指定史跡の境内は非公開なので、山門前で左に迂回して裏の墓地へ向かう。二人の墓は墓地の奥にあるということだが、詳しい表示板は無い。

 墓石の間をすり抜けて行くと、矢印が書かれた板が通路の下に置いてあった。それを頼りになんとか墓地の最奥部にたどり着く。

目の前に、四角い穴が無数に空いた切り立った断崖が現れた。なんとも異様な光景。埼玉県にある古墳時代の横穴式墳墓「吉見百穴(よしみひゃくあな)」を思い出 した。

「やぐらといって、中世の上流階級の墓ですね。鎌倉ではいたるところで見かけますよ」

「あ、お墓だったんだ。防空壕の跡かと思っていた」と棚橋さん。

「勘違いされている方が結構いますけど、防空壕はもっと雑に掘られています。やぐらの中には彫刻が施されているものもあるんですよ」

 大きなやぐらの一つには「北条政子」と書かれたペラペラの板が下に置かれていた。中には五輪塔が安置されている。同じような大きさで、五輪塔を安置した「やぐら」は他にもいくつかあるが、どれが実朝の墓なのか判別できない。

「あっ、たぶんこれですね。中に唐草模様が彫刻されてますから」

 ノトハラさんが覗き込んだ「やぐら」の中に入ってみる。なるほど、唐草模様かどうか分からないが、壁一面に模様が彫られていた。

「天下の尼将軍北条政子と鎌倉三代将軍の墓ですよ〜。説明板くらいあってもいいのに・・・」ぶつぶつ言いつつも二つのやぐらに手を合わせる。

 

「鎌倉時代の庶民には墓石も供養塔もなかったんですよ。こうした五輪塔が置かれているだけで高貴な人の墓だということがわかりますね。ただ、こちらにあるのは供養塔で、お墓は別にあるといわれているんです。『吾妻鏡』には政子さんは勝長寿院(しょうちょうじゅいん)に、実朝さんは高野山に葬られたとあります。残念ながら勝長寿院は、もう焼けてありませんけど…」

 神奈川県の秦野に「実朝の首塚」がある。鎌倉の御家人である波多野氏の城跡を訪ねた時、案内板に「御首(みしるし)塚」と書いてあるのを見つけて驚いたのを思い出した。

 実朝は、甥の公暁(くぎょう)によって八幡宮の石段で暗殺された。その公暁は三浦氏の家臣長尾定景と武常晴が討ち取るのだが、実朝の首 は、なぜか武常晴によって秦野まで運ばれたのである。

(なぜ秦野なのか?)その時の驚きは、この疑問である。 三浦の家臣が秦野の波多野氏の元へ届ける意味は何なのか?波多野氏と三浦氏は、仲が良くなかったとも伝えられる。もっとも、この暗殺事件に関しては誰が黒幕なのかもわかっていない。

(考えたら鎌倉はミステリーが多すぎるんだよな。頼朝の死因もそうだし、さきの大姫の話だってそうだ。この五輪塔も供養塔だというし、本当の墓はどこなんだ?)

「お墓も供養塔も今のように名前を刻んだ墓石ではなく、すべて五輪塔なので、どれがそうなのかわからなくなっているんですね。それに高貴な方は分骨されることが多いですから…」

「!」 こちらの考えていることを見透かしたかのように、ノトハラさんがつぶやく。

「・・・な、なるほど」 こちらもミステリーだ!

 ここ寿福寺の墓地には、俳人の高浜虚子や作家、大佛次郎の墓もある。こちらは、墓石にちゃんと名前が刻んであ るので間違いない。


正宗の屋敷
 山門へ戻る途中に崖をくり抜いたトンネルがある。帰りはそのトンネルをくぐって近道をする。

 住宅街の細い道を何度か曲がって下っていくと、左手に小さな石のお稲荷さんを見つけた。

「あっ、ここが刃稲荷(やいばいなり)だ!ほら、正宗の屋敷跡ですよ」と私が石碑の文字を指摘すると。

「えっ、こんな所にマサムネの屋敷があったんですか!」と、ノトハラさん、ではなく棚橋さんが反応した。

「棚橋さん、正宗を知っているんですか?」

「ええ、さっきのお坊さんと違って、こちらは本当に有名ですからね。歴史に疎い僕だってさすがに知ってますよ。独眼流、伊達政宗でしょ」と胸を張る。

「だてって・・・違いますよ〜。マサムネはマサムネでも、こちらは日本刀の刀工の正宗ですよ」

「に、本当?やっぱりな〜オカシイと思ったんだ…ハハ」

「正宗は鎌倉時代末期から南北朝時代の人で、美濃、備前、大和、山城と並ぶ相州伝を完成させた人ですよ。折れず曲がらず切れ味鋭い。正宗の刀は室町から江戸時代に尊重されたんです。名刀の代名詞といってもいいですね」

「私はあんまり刀に詳しくないんですが…確か鎌倉駅の駅前にある本覚寺(ほんがくじ)に、その正宗さんのお墓がありますよね」とノトハラさん。

「本覚寺は日蓮宗のお寺でしょ。正宗は日蓮に帰依してましたから。正宗の名前は『法華経こそ正しい宗教』という意味で、日蓮が付けたんですよ。正宗の二十四代目の方が鎌倉駅の近くで今も刀を鍛えているはずですよ」

「へぇ〜、詳しいですね」                  鎌倉駅前の本覚寺

「横須賀に渡部さんという刀剣の研師の知り合いがいて、正宗の話はその方から聞いたんです。それに、鎌倉街道には、鍛冶や製鉄に関する場所や言い伝えが結構あるんですよ」

 荏田の剱神社から川和まで、岡ちゃんと製鉄とスサノオの関係について語りあいながら歩いたことを思い出した。

 正宗の屋敷があった寿福寺周辺は一種の芸術村で、仏様や仏具を制作修理する仏師が大勢住んでいたそうである。  

 路地を抜けて寿福寺門前の道に戻った。角に可愛い手作りジャムの店がある。その角を右折して、500メートルほど進むと鎌倉市役所の交差点に出る。そこを左に曲がると鎌倉駅の西口だ。ついに鎌倉駅まで辿り着いた。

「お疲れ様で〜す。私たちは、ここから江ノ電に乗って由比ヶ浜のスタジオに戻りますけど、宮澤さんも一緒に来ませんか?」

「いや、陽のあるうちにゴールしたいから…私はここで」

   種類が豊富な可愛いジャムの専門店

    Romi-Unie Confiture

   ロミ・ユニ コンフィチュール

「えっ、ゴールは鎌倉駅じゃないんですか?…あっ、鶴岡八幡ですね。やっぱり鎌倉の中心はあそこですから」

「いえ、実はゴールは別の場所を考えているんです」   

                                               つづく


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