■ひろたりあん通信バックナンバー
▼2007年10月号
夢の吹く丘 〜都筑の丘のすばらしき人々〜
■『ALWAYS 三丁目の夕日』に出演された
 吉田 弘一 さん

 「く、だ、さいな!」

 駄菓子屋さんの前にオカッパ頭の女の子。その隣の店先に泰然と腰掛ける荒物屋のご隠居さん。

 日本アカデミー賞、14部門に輝いた大ヒット作「ALWAYS 三丁目の夕日」のワンシーンです。

  そのご隠居さん役の吉田弘一(ひろいち)さんが今回のゲスト。

 吉田さんは4年前にエキストラの仕事を始められ、これまでに映画、ドラマ、CMなど、40本に出演されました。

  「40本出た中では、エンドクレジットに名前が出るのは、これしかないんですよね。何人かまとめてですけど。その人たちはみんな三丁目商店街に出てくるんですが、みんな羨ましがるんですよ。吉田さんいい所に座ってるな、しょっちゅう出てるよって(笑)」

ハッピーリタイア
 DVDを借りて、観なおしてみましたが、子どもたちが模型飛行機を飛ばすオープニングのシーン。いきなり、その傍らに座っていらっしゃいました。そして、鈴木オート(主人公の自動車修理工場)に、初めてやってきたテレビを囲んで、三丁目の住人(ほぼ…)全員で力道山を応援する懐かしいシーン、もちろんいらっしゃいます。そのほか、何度となく、さりげなく、登場されていらっしゃいました。

 息子に店をまかせて毎日店先で座って寛いでいるご隠居さんという設定らしく、セリフこそありませんが、商店街になくてはならない、いわば半主要キャストとしての出演です。

 吉田さんは、映画同様十年前に会社を定年退職され、しばらくハッピーリタイアを楽しまれていました。

 「住友スリーエムという会社を65歳で退職して、2年くらい会社のお手伝いをしていまして、完全にフリーになったのは67歳ですね。大体リタイアしたら、羽根を伸ばして遊ぼうと思うのが大半なんですね。私もそのなかの1人でしたね」

 リタイアして3年目に、カリフォルニアのサンディエゴでホテルを借りて、奥さまと二人で3ヶ月間すごされたそうです。

 「家内と一緒に英会話スクールに通ったり、サンドウィッチを作って、レンタカーを借りて現地をいろいろと回ったり、そのうち自宅の庭が草ぼうぼうになってしまってね(笑)それで帰ったんですよ」

 日本に戻った時、業界の友人から誘いを受けました。

 「小学校の頃の同級生がね、『どうせお前、ヒマになって、ぶらぶらしているんだろうから、ちょっとやってみないか』ってね、大体そうゆうの私は苦手なんですよ。こどもの頃から舞台で何かやるなんて時は逃げ回っていたんですから(笑)だから、友人にも生返事をして断わっていたんです。心が動いたのは、私はずっと製造会社のサラリーマンでしたからね、映像の世界を知らない。知らないから、どんなふうに仕事をしているんだろうか?という興味がチラッと出てきたんです。その心の隙をつかれたんですね(笑)」

 といっても、「中学の頃も文化祭で担任の先生にやれっていわれた時も逃げてたんですよ」という吉田さん、セリフのある役は、やはり緊張されたそうです。

「セリフのやつはあんまりやりたくないから(笑) ほんの数秒のセリフでも大変ですよ。朗読なら簡単だし、会社で喋るようにはいかないからね。慣れないね〜、この年じゃ慣れないよ。お笑いタレントみたいな人が、吉田さん肩の力抜いて〜っ、もっと笑顔作って〜って助言してくれるんだけど、それ聞けば聞くほど緊張しちゃってね(笑)」

 4年間で40本、最後に出演されたのが『三丁目の夕日』でした。

「本当にセットがよく出来てましてね。八百屋にしても駄菓子屋にしてもね。ホンモノそっくりなんですよ。上野駅のシーンがあるでしょう。大勢の人がいる。あの上野駅のセットは倉庫みたいなスタジオの中に改札のセットが置いてあるだけですからね。あんな沢山の人はいない。誰もいないんですよ。我々も感動しましたね」

 そして、映画は国民的な大ヒット。先述したように映画賞を総なめにしたのは、まだ記憶に新しいでしょう。

 「これでもう辞めようと思っていたんです。この映画がヒットして、ああよかったなという満足感で、それでスパッと辞めていたんですね。そうしたら、ものすごいヒットになってしまって、制作会社からもう一本って話が出てきたんですよ」

 最初、二番煎じはとても無理だと大反対だった監督も、制作サイドのどうしても、という説得に、『前作のキャスト、スタッフを全員揃えてくれること。その条件が叶えられるならやりましょう』ということに。

「それで今回やってくれないかという話がきたんですよ」

最新作『続・三丁目の夕日』
 出来上がったばかりのチラシ、裏面には、銭湯で腰に手をあて牛乳を飲む主人公二人の横にしっかりとご隠居さんのスチールがありました。

 「国分寺からひとつ目の駅(恋ヶ窪)の近くの町の中にある本当の銭湯(孫の湯さん)でロケをやったんですけど、近所の主婦とか大勢の人が見に来るわけですね。で、私ごときが控え室から出てくるだけで、『ワーッ!』って声があがるんですよ(笑)」

 主演の薬師丸ひろ子さんのサンダルの鼻緒を直してあげたり、反対に彼女からお茶を淹れてもらったり、ほのぼのとしたロケ現場は映画そのままです。

 続編も期待できそうですが、吉田さんは今回でエキストラの仕事はおしまいにしたいとのこと。

 「すごい責任を感じるんですよ。風邪をひいたからって休めないでしょ。気分が悪いからって遅れてはいけない。照明から何から全部そろえて待っているのに1人がいないために皆が迷惑する。俳優もなにもみんな出直しになっちゃう。その怖さがある。今の体力なら出来ないことはないと思うんですけどね。連日のストレスで鼻血を出しながら行ったこともありますよ」

 朝早くから深夜を越える撮影時間(待ち時間)の長さも理由のひとつ。

 「とにかく始発の電車に乗っていかないと間に合わない。新宿のスバルの前(ロケバス集合のメッカ)に朝6時とかね。そういうときは、家内に朝早く起きてもらって、新百合ヶ丘まで送ってもらうんですよ。そこからまた、延々と撮影現場まで移動して、撮影によっては伊豆の下田とか、またそこで延々と待たされてね。とにかく待たされる。やっと撮影が終わって、帰ってくるのが夜遅いでしょう。御前様なんて何回もある。忍耐強くなりましたね〜。(笑)」

 撮影現場での経験は非常に勉強になったそうです。

「カメラ、照明、衣装、小道具、みんな別々の会社の人たちがそこへ集まってきて、監督の指示で動いてるわけです。それは厳しいですね。私たちのようなサラリーマンの世界とは、全然違う。職人の集団。姿だけみるとジーンズにTシャツで汚い格好しているけれど、現場では必死に働いてますよ。ちょっとモタモタしてるとボスからどやしつけられますからね。その部署が動かなければみんなが迷惑しますから。たいしたものですよ」
 

幸せな人生に対する恩返し
 映画の世界での体験や、これまでの人生経験を活かし、これからは地域に貢献していきたいと、現在「あおば学校支援ネットワーク」でボランティア活動もされています。

「聖路加病院の日野原先生のように九十幾つになっても、ゴルフをやるとか芝居をやる素晴らしい先生もいるけれども、あと何年したら死ぬんだ、っていうね。そういうものが段々浮かび上がってくる年齢になってくるわけですよ。それは人によって違うだろうけども、私の場合は、あと何年だろうかというところから、どう生きていこうかなんですね。健康第一で、できるだけ運動して、痴呆にならないように、碁をやったりゴルフやったり、ボケ防止っていったら怒られるけども(笑)  『あおば学校支援ネットワーク』も健康とボケ防止(笑)そして少しでも子どもたちのためになればね。幸せに生きさせてもらっている感謝を、なんらかの形でご恩返ししたいなという気持ちでこれからは生きたいですね」

 明るく穏やかな人柄、映画のご隠居さんも、そんな吉田さんの人柄からの抜擢でしょう。11月3日に封切られる『続・三丁目の夕日』。ヒットしたら…いや、たぶん大ヒットするでしょう。そうしたら、もしかして三度目のオファーがあるかもしれませんよ。皆さんも、スクリーンの中で吉田さんを探してみてください。

                                                宮澤
 



11月3日(祝・土)

全国東宝系ロードショー


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