■ひろたりあん通信バックナンバー
▼2007年11月号
夢の吹く丘 〜都筑の丘のすばらしき人々〜
ミュージシャン   uno (ウノ)ギター  大平重成さん
                   ピアノ  大平里美さん 
 
「彼女に夢を語らせたら長いですよ(笑)」

 人生のパートナーでもある重成さんのひと言。インタビューは、そこから始まりました。

  「 小学生の時にホテルオークラのレストランに連れて行ってもらったんですけど、その正面がスターライトラウンジだったんですけど、そこでピアノ弾いている人がすごく奇麗で、私もああやってドレス着てピアノ弾きたい!って思って。

 スターライト・ラウンジでやるのがすっごい夢だったので
 ずーっといろんなホテルで弾いていて、やっとチャンスが来て、ハイやりますって(笑)

 unoで二人でやるようになって、クローズまでやらせてもらいました」

 昭和37年開業、生演奏を行うホテルのバーとしては草分け的存在だった「スターライトラウンジ」がクローズしたのは7年前のこと。

  「夢の場所が無くなっちゃうっていうのが悲しくて、悲しくて、次の仕事を探す気力も出なかったんです。ファーストアルバムでスターライトっていう曲を書いたんですけど、本当はスターライトラウンジのことで、心の中にスターライトラウンジを思っていたい、曲にしておけば、いつでも思い出せるから、それで作ったんです」

  スターライトラウンジの頃からのファンの方の中には、ライブでこの曲の演奏が始まると、涙を流される方もいらっしゃるそうです。

「小学校二、三年の頃の夢を叶えちゃうんだから、すっごいですよね」と、隣で感心する重成さん。

 重成さんが音楽に目覚めたのは、中学の時です。

「ビートルズとベンチャーズを聴いて、コピーから始まったんです。大学の時からアルバイトで、あの頃はカラオケもないから生バンドがお店に入っていたんですよ。
 中学、高校の学生時代はお金もないし、貸しスタジオもないから、バンド仲間と楽器をリヤカーに積んで、多摩川の川べりへ行って、ボート屋さんから電気を1時間いくらで借りて
ひっぱっていって(笑)川原で演奏してましたよ」

 そんな重成さんが彼女と出会ったのは、浦安のディズニーランドの前にあるシェラトンホテルのラウンジでした。

  「彼女がバンマスで、ギタリストが何人も来ていたんです。たまたま、僕が行ったら気に入ってくれて、それから…公私ともに(笑)」

二人でひとり
 ランドマークタワーがオープンした時に、unoの名前で活動するようになり、そして結婚。スパニッシュ・デュオとしてファーストアルバム「スペインにて/トレドの小径」を出したのは、2004年の2月。CDを出すという二つ目の夢も叶えました。

  「横浜から東京のCDショップ全部に、置いてくださいっ!て回ったんです。みんな口では『はい、わかりました』って言ってくれるんだけど、発売日に行ったら、どっこにも置いてなくて、 『嘘っ?』 もう、人間不信になるくらい落ち込んじゃって…

 最初からあきらめてた山野楽器の銀座店に行って平積みになっているのを見た時は、もうその場でガクガクガクって腰が砕けそうになりました。担当者の方がちゃんと聴いてくれてたんですね。手書きで《鬼平犯科帳のエンディング曲も入ってます》って書いてくれて…、ジプシーキングと間違えて買った人も、いたみたいですけど(笑)」

 噂が噂を呼び、HMVジャズチャートで2位、銀座・山野楽器本店でもジャズ・フュージョン・ヒーリング部門チャートで3位の売れ行きを記録しました。

 unoは、スペイン語で数字の「1」、そして初心を忘れない。二人で一人。そして一番になる。という決意を表しているそうです。

 現在、横浜のホテルシェラトンのラウンジで、レギュラーを持っているほか、銀座スウィングでも定期的にライブを行っています。どうしても演奏したいというお店には、里美さんがCDを持って直接交渉に伺うそうです。

「 銀座スウィングも好きな場所だったんです。本当に音楽を好きにさせてくれたところ。だから、CD持って乗り込んだんですよ(笑)その頃は相手にされなくて…。そうしたら、渋谷のクロコダイルにお店の人が聴きに来ださって、それでタイミングがポンと合ったときに出ませんか?って言われて、『ハイ、出ます!』(笑) 銀座のブランド店は全部行きました。
誰々を通してどうのっていうのは、あんまりなくて、直接行っちゃう。ベースのあの人が出てるから、その人通して紹介してもらうより、せっかちなのか、めんどくさいのか、当って砕けろ ここって狙いを定めたところは高い確率で決めてますね(笑)」

希望から絶望、そして…
 なんと、セカンドアルバムは、あの高倉健さんのところへ持っていったそうです。

 

 「私はセカンドは映画だって思っていて、《月は光りぬ》は、高倉健のイメージだったんです。でも、なんでもいいから映画監督にぼんぼん送るんじゃなくて、どうしても高倉健が出る映画に使いたいと思ったから… とにかく健さんが聴いてくれて、映画に使おうが使われなかろうが、健さんが聴いてくれないで、どこかで途切れちゃうよりも、聴いてくれてダメならしょうがないかって、健さんが通っている床屋さんを知っていたから、その床屋さんに持っていったんです。こういう思いで作ったんですけど、健さんに聴いていただきたいんですけど、ってお渡ししたんです。 最初は事務所通してって言われたんだけど、何度も何度もお願いして、手紙も書いて、小学生の頃から、ずーっと好きだったから、海でも山でも、月が出ていて、健さんの目力さえあれば(笑)」

 そのセカンドCD「月は光りぬ」は、信じられないような壮絶な出来事を乗り越えて誕生しました。ファーストアルバムを出した5ヶ月後、様々な業界関係者やテレビ局も来て、この日に全てが決まるというライブの前日、二人は事故に巻き込まれたのです。相手の車が突っ込んでくるという避けようのない事故でした。

  「エアバックの火薬が入ったみたいで、左眼が銃で撃たれたみたいにガーンと…奥までやられちゃって、アイスノンが30分で溶けちゃうくらい腫れあがって、次の日のライブは中止にしようって言われたんだけど、チャンスだから、絶対にやるって言って、少しでも隙間が開いてるとガーンって痛みが走るから、眼帯でグーッと縛って 、お化粧で腫れを隠して…実はお兄ちゃん(重成さん)のケガの方がひどくって、夜通し私を看病していたのもあったんだけど、手の指がつって、普通に戻らなくなって…業界の人たちも、みんな引いてましたね」

 希望から絶望。ピアノは弾けなくなり、左目の視力は、医者から見こみがないと宣告されました。

「 一年間、ずーっと真っ黒いサングラスをつけていて、歩くのも怖いし、家事できないし、演奏の仕事も全部やめちゃって…、業界関係の間で、unoはもう終わったっていう噂が入ってきちゃって、すごい有名になるんだって思っていたのが、バーンって無くなって…。
 もう意識戻すのが怖くて、死ぬことしか考えられなくなって、意識があると死ぬことしか考えられなくなって…、昼間からお酒と睡眠薬の両方飲んで、意識を無くしてないと怖くて…。

 お兄ちゃんも見てないと危ないからって出かけられなくて、親とか友達とかも代わる代わる来てくれていたんだけど、そこのところはあんまり覚えてない。睡眠薬飲んでいるから、そうしたら、お兄ちゃんのお父さんが死んじゃって…具合悪くて入院しているときも、私を見ていないと危ないから、お見舞いにも行けなかった。

 お兄ちゃんは、お葬式でも泣かなかったんです。泣くと私が悲しむから、ずーと我慢してて…。セカンドアルバムに『追憶』って曲があるんだけど、その曲聴いたり、私の作った大切なモノっていう曲を聴くとワーッと、やっと泣けるようになったの」

「それでも、生きてこられた理由は一個だけあって…それは曲うを作ることだったんです」

 セカンドアルバムのオリジナルは、その時に生まれた曲の数々です。

  「お酒飲んで睡眠薬飲んで、月が出て昇っていくのを、ぼーっと見てたら、満月になったときに、月のパワーがブワーッと入ってきて…そこから記憶が無くなっているんだけど…朝起きたら曲が出来ていて、わっ!なんて暗い曲だっ!て、ごみ箱に捨てちゃったんです。それをお兄ちゃんがいい曲だからって、拾ってくれて…」

 「月が光りぬ」はこうして生まれました。。

 しかし、この曲が陽の目を見るまでには、まだまだ幾多の困難を乗り越えなくてはなりませんでした。


「スタジオのエンジニアに任せちゃったら、普通マイクを3本か4本使って録るのを間違って消しちゃって、ギターも息の音しか入ってなくって、違うエンジニアの人に聞かせたら『これっマイク全部死んでるよ。一本しか残って無いじゃん』 それで『えぇっ?』って、もう一回録り直しっていったら、スタジオ側はあなた達が気がつかなかったのが悪い、だから取り直しはさせないって言われて、もう全財産使い果たしちゃたし、どうしようって…」

 CDにすることは、もやは絶望的。一時は諦めかけました。しかし…

「全然コネもないのに、あるプロデューサーにダーッていきなり電話して、それがCHAGE&ASKAや長渕剛とかを担当した、日本の音楽業界を育てたような有名なプロデューサーで、その人がセカンドの曲を気に入ってくれて、殺すのもったいないから会おうっていってくれて、チャゲ&飛鳥のスタジオ連れてってくれて、エンジニアさんも紹介してくれたんです。それが一曲何十万のエンジニアさんで、その人を特別料金で…見ず知らずの私たちをですよ。
プロデューサーも全然お金を受け取らないで助けてくれたんですよ」

 おそるべし。プロデューサーを探すのにタウンページならぬmixiを活用?したそうです。それも、日本の音楽業界を作り上げた大物プロデューサーに、図々しくも…いや、無謀にも…

「そこまでしてもらっているのにもかかわらず、文句つけちゃったんです。私があーでもない、こーでもないってこだわっちゃうから、この人は超のつくエンジニアさんで、一発OKの人だから、『ふざけんじゃない!』って、凄い剣幕で怒るのね。それでも一曲一曲納得できないって言ってたら、『降ります』って言われちゃったんです」

絶句!

「初めての経験だったんだけど、それから一週間普通にしているのにボロボロボロボロ涙が出て、止まらなくなって…」

重成さんが電話をかけ、もう一度お願いして戻ってくれることになりました。

「彼も職人ですから、わかってくれたんですね。でも、またやってくれるのに、また文句付けちゃって(笑)」

呆然… 

「一週間で終わると思っていたのに三ヶ月もかけちゃって、しかも正規の料金払ってないのに…、最期は職人根性でやってくれて、今ではすっごい仲良しなんです。なんでも相談しちゃえるし、頼ってるんだけど、『この女は、俺に何度もやり直しさせたんだぞ』ってみんなに言ったら、他の人は『えーっ!』って(笑)」

 火花が散るような緊迫した現場だったのでしょう。まるでドラマのようです。

 『月は光りぬ』のジャケット写真にもエピソードがありました。上のキンカンの実が水の上から突き出している絵は、その大物プロデューサーの倉庫に眠っていた絵だったのです。

「プロデューサーも、『俺が紹介したエンジニアを文句をつけた』って言って怒っちゃったんだけど。その怒っている最中に、酔っ払った勢いで『なんでこの絵を倉庫に眠らせてるんですか! 』って抗議するようなメールを出しちゃったんです。そうしたら『私は、あの絵は大嫌いなんです』って、すごい感情むき出しなメールが返ってきて、 あんなに温厚で私たちを助けてくれるような方なのに…。『あー、先生を怒らせちゃった。どうしよう〜』って思って、もうスタジオには来てくれないだろうなと思っていたら、最期のトラックダウンの時に来てくれたんです 。私は、あんまり人のアドバイスを聞き入れないし、今までも音楽関係者を何人も怒らせちゃってるんだけど(笑)その人の言うことは一つひとつがすごい的確で、100%受け入れられたの。やっぱり凄かった!神のようでしたね」

 大物プロデューサーは、絵でも賞をとるほどの水彩画家でもあります。

「ジャケットには、海をバックに、月が出ていてって、自然の風景を考えていたんだけど、あの絵を見た瞬間に、13曲の思いが全部この絵に込められていたんです。もうこれしかないって 。でも、怒らせているからどうしようっと思って たんだけど、その最終日の日に『今日しかない』って、この絵をジャケットに使わせてくださいって頼もうと思ったんだけど…怖くて言えなくて。

  その前に、あの絵のイメージで『一枚の絵』っていう曲を作ったんです。それを聴いてもらって、この曲好きですか?って言ったら、『うん』って、で、『月は光りぬ』と、どっちが好きですか?って言ったら。そうしたら、『ラーメンとチャーハンどっちが好きか?って聞いてるようなもんだ』って言うから、絶対怒らないでくださいねって言いながら、あの絵をイメージしたんです。って、あの絵をジャケットに使わせてくれませんか?って 思い切って言ったのね。そうしたら、少し黙っちゃったあとに『いいよ』って言ってもらったんです。だけど、金額が気になるでしょ。絵で賞も取っているような方だから、すいません、幾らですか ?聞いたら、『いいよ、いらない』って、それでジャケットに使わせてもらったんです」 

ニュー・スパニッシュ・デュオ♪ uno(ウノ) のHP

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 ファーストアルバムにエンディング曲が収録されていますが、テレビ時代劇の『鬼平犯科帳』。何度もドラマ化されたのですが、なかでも最新の『中村吉右衛門版』は、日本の時代劇の最高傑作だと思っています。原作者・池波正太郎の時代設定にたいする精細なまでのこだわり。それを確実に映像化するためのスタッフの並々ならないこだわり。役者一人一人の確かな演技力。そして、その映像にジプシーキングの曲が、この上も無くみごとに嵌まっているのです。これぞプロとプロとのぶつかりあいの中で生まれた傑作時代劇といっても過言ではありません。

 この『月は光りぬ』というアルバムも、まさにプロとプロの戦い。私のような素人には計り知れない高度な真剣勝負の中で誕生しました。ま、どうこう書くよりも、曲の素晴らしさは聴いてもらえばわかります。もしかしたら、今年3枚目のアルバムが誕生するかもしてません。2008年も uno から目が離せませんよ。

 2007年12月16日(日)、たまプラーザ東急SCで、unoのクリスマスコンサートがありま した。

 

 

午後3時と午後5時の二回とも、満員御礼の大盛況でした。
 


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