■ひろたりあん通信バックナンバー
2001年12月号
 「ようやく実った、F村担当の長き半年
             寺家ふるさと村体験水田」格闘記」
写真  一介の会社員であれば、上司の命令にはなかなか逆らえないのが世の常であり、それは新聞販売店でも同じであるのは、旅倶楽部の森本の旅行記での愚痴を例にとるまでもない。そんな悲劇(?)にさらされたのが、藤ヶ丘店所属のF村担当である。市の緑政局から紹介された「寺家ふるさと村体験水田」を紙面で紹介しようと、独断で決めたのは確かに私である。しかし、その連絡を藤ヶ丘店にしたのは、あくまでも「やってみませんか?」という意思確認であって命令ではない。その時の電話の相手がI主任で「大丈夫です、ウチがやります、F村がやります」との快諾を得たのだから、私に何ら責任がないのは明白である。つまりは上司の無責任な安請け合いによって、彼の半年にわたる格闘が始まったわけで、F村さん、恨むならIさんですからね。ちなみにIとは、同じく当通信の井熊担当のことである。

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写真  六月から十一月までの半年もの間、長い時間をかけて体験させていただいた(?)「寺家ふるさと村体験水田」から、ようやく解放される日がやってきました。終わってみれば案外楽しかったな…、などとは口が避けても言えません、炎天下の中での田植えや草取り等の作業は、決して楽ではありませんでした。でも、日本人の命の源ともいえる米作りに、わが身をもってかかわれたことで、よい経験ができたかなとも思っています。それもこれも、有無を言わせずに私に取材命令を出してくれた、編集キャップやI熊主任のおかげです(少しイヤミです)。

 寺家ふるさと村体験水田」の取材指令を受けたのは、五月の終わり頃でした。六月二日のオリエンテーションから十一月二十三日の収穫祭までの全七回、新聞配達稼業にとって、仮眠のとれる午前中がつぶれてしまうのは辛いことですが「いや」とは言えません。反面、米作り経験のない私にとっては、ほんの少しですが楽しみでもありました。稲を植えて、秋に刈り取れば終わりだな、軽いもんだ…それは素人の甘い考えでしかありませんでした。私たちが体験するのは、何もない無の田んぼから、何百キロもの米を産み出すという作業、まさにゼロからのスタートだったんですよね。

写真 第一回目 六月二日 オリエンテーション
 最初はただ説明を聞くだけと思っていたら、やはりそうは甘くなく、次回の田植えの準備、田起こしがありました。トラクターで田んぼの土を掘り起こし、肥料を混ぜて酸素を入れるわけです。考えれば当たり前なんですが、水が張られた田んぼの前で、みんなが手をつないで一斉に念じれば、土の中から稲の苗が頭を出す…、なんて超自然的な方法で稲作が成立しているわけではなく、きわめて科学的にキチンと種をまくところから米作りははじまるわけです。最初に種もみを塩水につけ、沈んだ重いものだけを選び、約一週間水に浸しておきます。種もみが膨らんだら苗箱にまき、ビニールで保温しながら苗を育てるんですってね。その間に田の土壌作り、水を張り土をかき混ぜて平らにし、水の深さや水はけにムラがでないようにするのです。聞くことすべてが私にとって新鮮で、思わず聞き入ってしまいました。もっとも、この一連の作業は、係の方がやってくださっていたので助かりました。今は機械があるけど、昔はすべて人の手でやっていたんですよね、それがどんなに大変か、考えただけでも「ぞっ」としますよね。

第二回目 六月九日 田植え
 本当の意味で、米作りを身をもって体験したのは、田植えからです。きれいになった田んぼに、巨大なクシのようなもので線を引きます。その線にそって約二十五センチ間隔に苗を四、五本ずつ植えていくだけ、け、見た目は楽勝の作業なのですが…。私たちは朝な夕なに新聞を配達しているわけでして、それは時間との闘いでもあります。持久力も瞬発力も毎日鍛錬しているわけです。ところが、私のようなベテランになると、磨き上げられたテクニックで、いかに体力を消耗させずにお客様を満足させる仕事ができるかという探究に日々を費やしています。逆にいえば、体力の鍛錬を怠っているともいえるわけで、田植えはそんな私の体力との闘いでもありました。最初のうちこそ、連れのT田担当とバカ話をしながらの遊び気分の作業でしたが、持分の半分も終わらないうちに会話はなくなりました。足を取られる泥の中で、中腰の作業の辛さは、やってみないとわかりません。足、腰はパンパンに張り、「もうダメ!」根性なしの豊D担当が早くもリタイヤ。 せっかく減りかけた私の苗が一気に増える。そうなると仕事もいいかげんになり、稲が浮いてきたり、七、八本くらいまとめて植えたりで、これもT田(彼は学校の後輩)の野郎のせいです。結局は他の参加者に助けてもらって、ようやく終えることができました。重労働のあと、谷を渡ってくる風が心地よく、懐かしいような泥の香りが子供の頃を思い出させてくれました。

第三回 七月十四日 草取り
 稲を植えて一ヵ月、田んぼの草取り。雑草を取り(取った草は丸めて泥の中に埋めます)、稲の根元をかき混ぜ、土の中に酸素を入れる作業なんですが、暑さとの闘い。毎度毎度の中腰の作業ですが、とにかく暑い、背中が燃えるように暑い、暑い。でも、たったの一ヵ月しかたってないのに、二、三倍くらいに伸びていて、少しうれしい。

第四回 七月二十八日 カカシ作りと草取り
 鳥除けのためにカカシは欠かしません(ダシャレではありませんが…)。この回ではカカシを作って田んぼに立てました。グループに分け、各自が持ってきた古着や新聞紙などでカカシを作ります。ここでの主役はやっぱり子供です。私たち大人は、子供たちのサポート役…だったはずなんですがね。なかなか思うようにできず、大人も子供に戻って、四苦八苦しながら作りました。 写真 今思うと、一番楽しかった作業かもしれませんね。できあがったカカシを田んぼまで運んで、立てると、なんともそれらしく見えるものです。でも、こんなカカシじゃ、鳥にナメられるかもしれないな、と少し心配になりましたが。

 田植えから二ヶ月近くたち、稲はヒザ上ぐらいになりました。稲の海というか、芝生のようというか、私たちの植えた稲は着実に育っています。でもその可愛い子供の生育をジャマするのが雑草です。憎き子供の敵を成敗するのも親のつとめ、例によって中腰の作業です。稲が伸びた分、葉先が腕や顔にあたって、少しこそばゆい、少しかゆい。そしてまた暑い。汗をかきながら草を抜く。憎き雑草は、稲以上に育っているのもあり、また稲に似た草もあり、一目で区別がつかなかったりします。聞くと雑草の主はヒエなんだそうです。

第五回 八月十八日 草取り
 また草取りです。辛いだけで地味な作業です。こないだ草取りをしたばかりなのに、なんでこんなに生えるの?というくらい生えています。しかも雑草のクセによく育っているのが悔しい(おまえのために肥料をやったんじゃないぞ!)。稲は腰くらいまで成長しているため、中腰になると葉先が目に入る。前回の草取りのとき半袖のTシャツ姿でかゆい思いをしたので、今回は長袖を着てきてよかった!オレってかしこい!と思ったのもつかの間、育った稲は顔にかかり、顔がかゆい。自分の中途半端さが露見してしまった次第です。そしていつもながら、とにかく暑〜い!

オプション 九月二十二日 竹取り
写真  稲刈りに備えて、稲を干す竹材をとりに行く予定でしたが、雨で中止。夕刊配達に備えて、ゆっくりと仮眠をとりました。ラッキー!

第六回 十月六日 稲刈り
 うれしいぐらいに、ウソのように稲穂ができている。一株たった四、五本しか植えなかった苗が、二、三十本に増えているんですよ。私たちは、新聞の梱包のテープを切るのに鎌を使っていますが、その鎌づかいの腕を発揮できる時です。ザクザクという音がえもいわれないくらいに気持ちいいんです。数株切っては一束にして竹竿に架ける。 写真 半年間の苦労の結果が竹竿にどんどん架けられていきます。こうなると中腰の作業の辛さを、それほど感じなくなります。案外私は現金な性格なのかもしれませんね。それとも、一連の体験で、私の足腰、あるいは根性が鍛えられたのかもしれません。あらためて、私を勝手に担当者に任命した、編集キャップと井G主任に感謝しなければ(もちろんイヤミです)。刈った稲は数日間干され、よく乾いたら脱穀されます。残すは収穫祭のみ。餅つきをし、皆で交流会を行います。自分たちが作ったお米を食べられるなんて、楽しみだなあ。

第七回 十一月二十三日 収穫祭
 待ちに待った収穫祭…なのに、なんと私は、社用で出席できなくなったのです。 写真 もしかすると、これもキャップとI熊主任の差し金か?結局一番美味しいところを、同僚の若松、小林、岩片の三担当に持っていかれてしまった、悔しいよー。あとで聞くと、収穫量はうるち米五百八十キロ、もち米が三十四キロだったそうで、分配量は一人当たり十キロになったそうです。当日は、お餅をついたあと、田んぼの前で豊穣を感謝しながら、お餅と豚汁を食べたそうです。 その時とった撮った写真を見せてもらいましたが、若松担当のやる気のなさそうな餅つきに、怒り(?)すら覚えました。誰が育てた米かわかってんのか!食い物の恨みが恐ろしいことを、よく教えてあげなくっては。

 皆さん、お米って半年もかけて作られるんですよ。子供の頃、ご飯一粒だにムダにすると「目がつぶれるぞ」とか、親に注意されたことを思い出しましたが、この歳になってようやく本当の意味がわかったようです。飽食の時代とはいいますが、皆さんもお米を大切にしてくださいね。日本人はやっぱり米、ご飯。日本人で本当によかった。(福 M)

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