しばらくなりをひそめていた長担当が、新たな企画を提案した。実は廣田新聞店は今年の春に、たまプラーザを本拠に新聞販売を営んでいた、葛田新聞販売さんの区域を継承しており、長担当は異動により「美しが丘店」の配属になったのである。「せっかくだから、美しが丘店でも特集記事をやらせてくださいよ」「企画がおもしろければな」「美しが丘店の社員を主人公に、廣田新聞店の社員の一日を紹介してみたいんです」われわれの仕事を、お客様に少しでも理解していただくために、決して悪い企画ではない。時にひとりよがりで、不発に終わることのある彼に一抹の不安を感じたが、結局賛成多数で、採用されることになった。「今回は、ドキュメンタリーの手法を取り入れてみようかと思っているんです」やっぱりな、彼の手法が功を奏すか否か、ご判断ください。
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午前二時二十分。ナカムラ君はかろうじて目が覚めた。次にハッとした時に部屋の真ん中に立ち尽くしていたが、その前に何をしていたのか全く思い出せない。トイレに入ってから、ああ、さっき入ったっけと思い出した。廣田新聞美しが丘店は朝の息吹をどこよりも早く作り出すために、すでに動き出していた。ナカムラ君も作業場に向かう。なんでもない一日の、でも、いつもいつも変わり続けるナカムラ君の一日が始まった。
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夜と朝の境界線。我々にとってそれは、新聞の配送トラックのエンジン音である。各新聞社の精鋭の記者によって書き上げられた記事は、まず、印刷工場で大量の新聞に変わってゆく。そして一定のまとまりごとにビニールでパッケージされ、新聞満載のトラックが新聞販売店にやって来る。当然、記事の遅れ、印刷機械の故障等、販売店にやって来るまでに様々なトラブルに見舞われることもある。しかしそれはお客様には全く関係のないことである。あちら側の事情とこちら側の要望の間に立って、その帳尻を上手に合わせるのが我々の腕の見せ所でもある。その意味で我々は職人である。早朝のわずかな時間の準備作業、お客様のお手もとに朝刊をお届けするまでの間に職人魂は一番熱くなる。はずである。 たぶん。
午前三時…新聞の配送が完了する
新聞販売店にはなぜか草刈り鎌がある。これは、パッケージされた新聞が運びやすいようにビニールのひもできっちりとくくりつけられているため、それを切り離すために用いる。面倒臭そうに鎌を握ったナカムラ君はそれを鮮やかに操り始めた。
ナカムラ君、改めて見るとさ、動き、素早いよね。
「…はぁ?」
新聞は各エリアの部数ごとに分けられ、折り込みチラシを一部ずつ挟み込む。その数は一区域当たり何百部にもなる。実際に見ると、苦もなくやっているように見えるけれど、慣れないとこれだけで一苦労である。
お、ナカムラ君、何を不思議そうに見てんだ?
「あれ?チラシ、入れないんすかぁ?」俺はキミのためにきょうは有休取ってんだよ…。
「え!?オレのため!?何でですかぁ?」うーん、キミのためと言うより、ひろたりあんのためなんだけどさ…。「え?ひろたりあん?」なんでもない、なんでもない…。
もちろん、ひろたりあん通信の一面に、ナカムラ君がバーンと載ることは言ってない…。
さて、折り込みチラシを入れ終わったら、新聞の組み込みである。 全紙を扱っている廣田新聞は、新聞を単純にバイクに積み込むことなどできない。そんなことをしたら、どのお宅に何の新聞を配達すればよいのか全く分からなくなってしまう。そこで、配達する順番ごとに新聞を組み込んでいくのである。間違えたら大変である。
ね。ナカムラ君。
「え、なんすか?…あれ?あれ?分かんなくなったぁ!」…すいません。
午前4時・・・配達に出発する
まだ明け切らない夏の薄闇の中をナカムラ君のオートバイが走り出す。ひとつひとつのポストに新聞を配達するという作業は非常に単調だが、そこにはいくつもの不確定要素があって、いつも同じ配達をするというのは非常に難しい。
天候がいつも違い、新聞の厚さがいつも違い、出発の時間がいつも違う。しかしお客様は待っている。新聞は紙だから、雨が降れば濡れてしまう。乱暴に扱えば破けてしまう。
しかし、お客様は刷り上がったばかりの新聞を待っている。我々の仕事は、例えて言えば、サーフィンのようだ。大きい波、小さい波をかいくぐりながら、不確実なものに確実な軌道を描いてゆく。ただ、あんなにカッコ良くはない。
人通りの全くない道をナカムラ君のバイクは走り、また立ち止まり、ナカムラ君がポストに駆け寄ると、息を切らしながら待っている。ナカムラ君は淡々と配達してゆく。その手つきは同業者から見ても見事なものだ。
きちんと新聞を折り畳んで、しっかりポスティングするということは、見た目以上に難しいのである。バイクを止めることにしても、止める場所が悪ければ、バターンと倒れてしまう。
上手な人は年に一回も倒さない。もちろんナカムラ君もその一人である。
「でもホント、ヒマっすよねぇ、人の配達についてきて。ちょっと!なに写真撮ってんすか?!」 え?あのぉ…そう!キミのファンに頼まれてさ…。「マジっすか!」いや、うん…。
午前6時・・・配達終了・折り込み作業
配達が終わってもまだ仕事は残っている。次の日の折り込み広告を機械でまとめる作業である。広告代理店で作られた折り込み広告は、印刷されると、深夜から早朝にかけて販売店に運ばれてくる。その数は多いときには七十種類以上に及ぶ。しかしそのままでは配達できない。各家庭にそれぞれの広告をお届けできるように、機械でまとめ上げるのである。ナカムラ君はさっそくその作業にかかる。しかし、この作業くらい、熟練のワザが必要とされるものはない。ちょっとした操作で機械はご機嫌を損ね、折り込みはビリビリに破れてしまう。こう見えてナカムラ君は手練れの職人である。
午前9時・・・折り込み作業終了・朝食
やっと仕事が終わった。さて、ご飯である。 販売店では朝食と夕食を用意してくれている。これは独身男性には大助かりである。ナカムラ君、ムシャムシャ食っている。
お疲れ!今日も暑かったね。「俺、夏大っ嫌いなんすよね」え、どうして?「暑い!暑いのがダメ」そんなこと言ったら冬は寒いじゃん。「着ればいいじゃないすか。ちょっと動けば暖かくなるし。夏はこれ以上調節できないっすもん」キミの場合はその肉が脱げればいいんだけどね・・・「え?」なんでもなーい。「お客様に"あったかくなって良かったわね"なんて言われると、嬉しいんだけど何て答えたらいいのかわかんなくなるんすよ」んー。複雑な気持ちになるわけだ。
午後1時・・・折り込みを組み込む
折り込み機械を動かさなかった社員が出社し、機械で何種類かにまとめた折り込みをさらに手作業で一種類にまとめ、きちんと体裁を整える。これでやっと折り込みの準備完了である。ナカムラ君は寝ている。
午後3時・・・ナカムラ君出社、夕刊配達
夕刊も基本的には朝刊と作業は一緒である。ただ、折り込み広告が入ってないのと、朝刊のみで読んで頂いているお客様をとばして配達しなければならないところが違う。慎重に配らないと間違える。
午後5時・・・ 夕刊終了、明日の準備をする
夕刊の配達が終わると明朝の最終的な準備を行う。旅行や出張などで、お客様から止めてくれというご要望があったとき、そこのお宅に配達しないように手配する。また、お引っ越し等で新しくお世話になるお客様に、間違いなく新聞が届くように処理しておかなくてはならない。当然、各区域の部数は常に揺れ動いている。それを微調整して本日の仕事は終了である。
ナカムラ君は何年目だっけ。「え、六年目っす。」結構長いよね。雪の日とか大変でしょ?「そりゃ大変っすけど、毎日降ってるわけじゃないすから。そういうときはイベントだと思って配達します。…あの、ファンって、どんなヒトですか…?」
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ナカムラ君に今、書きかけの原稿を見せたところである。すると、「えーっ!ナカムラ君はやめて、ヨシタカ君にしてくださいよぉ!」と、妙な怒り方をしていた。ナカムラ君、ありがとね。
葛田新聞は廣田新聞たまプラーザ店・美しが丘店に姿を変え、お客様に何ができるかを考えながら今日も変わり続けている。そこにはいつもいつも変わり続ける毎日を乗り越え続けるナカムラ君の姿ももちろんあるはずである。
中村義孝、二十四歳。彼女年中募集中である…。
(担当 長)
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