■ひろたりあん通信バックナンバー
2002年 9月号
 この町にも歴史があった!祭りがあった!
          歴史探偵の石川地区 お祭り酔いどれ案内
 「歴史探偵」を自称して、 写真 当編集部の「アカデミズム」の独占を目論む謀略家、ニューフェイス(というにはトウが立っているが…)宮澤担当は、諜報活動にも余念がなく、特にたまプラーザ地区の旧住民たちに取り入って情報を収集しているらしい。相手の口を割らせるために、彼がとるのが「酒を飲ませる」という方法のようで、その点において彼の「趣味」と「実益」が完全に合致している事実を否定する者はいない。そんな努力?の結果、昨年地元の祭りの「撮影係」としての参加を許されたそうで、その時のことを記事に仕立てて、広く紹介したいという。「今年は、十月十二日に宵宮、翌日が本番なんです」よいみや?…「酔」っ払った「宮」澤担当の略じゃないのか?私の危惧に反して、結局、宮澤担当の提案は会議で全員一致で承認されたのである。天下統一という遠大なる「野望」に、策士・宮澤高廣はまた一歩近づいたのである。

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写真  テケツクテケツク テンテン♪
 ドンドンヒャララ ピーヒャララ♪


 祭囃子が何処からともなく聞こえてくる。すると心がウキウキ、体はソワソワ♪ 子供の頃を思い出し、遠い故郷を懐かしく感じる人も少なくないのではないだろうか。仕事も手につかずうわの空で上司に注意されるほどの祭り好きも多い(それは私)。

 とにかく日本人は概して祭り好きである。
 私が住むたまプラーザやあざみ野も夏祭りが盛大に行われる。商店街や自治会が多彩な催しを企画し、さまざまな出店をだしては地域の住民を楽しませるために力を注いでいる。
 夏休みの最後の土曜日、あざみ野のまつりは主催者もビックリするほどの人出でごったがえしていた。
 盆踊り、花火大会、浴衣に身を包んだ女性たち、小遣いを握り締めて屋台に並ぶ子供たち、金魚すくい、風船釣り、やきそば、綿菓子、ほろ酔い機嫌のオヤジさん。みんな、年に一度の夏祭りを楽しんでいる。
 (しかし、待てよ。確かに楽しい祭りではあるが、何かが違う。祭りというよりイベントに近い。何かが足りない。)

写真  テケツクテケツク テンテン♪
 ドンドンヒャララ ピーヒャララ♪

(そうだ、お囃子が無い!)
 ワッショイ ワッショイ
 セイヤッ! セイヤッ!

(お神輿も無い!)

「新興住宅として有名なたまプラーザ近辺で三社祭のような下町の伝統的な祭りを期待する方がどうかしている」

 と思っている方も多いのではないでしょうか、特に最近こちらに越してきた皆さんどうですか?

 それは大きな間違い勘違い。二月号の特集や地名推理ファイルをお読みの方はご存知のように、この地域には古代からの歴史があるのです。えっそんなの読んでない!ウ〜ン困った(編集部註 弊社のホームページにバックナンバーがあります。アドレスは下記参照)。

 とにかく、この町はかつて石川村と呼ばれた頃からの歴史があり(今月号地名推理ファイル参照)伝統芸能もしっかりと受け継がれていたのです。

 などと言っているこの私もそれを知ったのはつい数年前。二十年近く住んでいるのにまったく恥ずかしい限り、偉そうなことは言えません。

写真 平川神社
 去年、ひょんな事から地域の秋祭り(平成十三年十月)の記録を残すよう依頼され、及ばずながら友人たちと一緒にビデオカメラ片手に協力することになったのが、それを知るキッカケになりました。

 所は美しが丘四丁目の「平川神社」、「平川神社」の創建は江戸時代(千七百年代)ではないかと言われています。昔は「山王様」と呼ばれ人々に親しまれていました。鎮守の森は良く保存されていて、周辺の神社の中でも飛び抜けて立派な、また時代を感じさせる社が建てられています。特に拝殿の彫り物は村社とは思えないほど優れていて見応えがあります。

祭りの準備
写真  祭りの数日前から、氏子総出で準備がはじまります。幟立て、飾りの花づくり、慣れた手つきで手際よく神輿や山車、舞台が仕上げられていきます。

準備が整うとお囃子が町に繰り出します。
「平川のお囃子」は「保木の囃子」の流れを汲み二百年以上の伝統があり、代々親から子へ先輩から後輩へ、戦前戦後と幾多の困難を若者たちの手で乗り越え受け継がれてきたものだそうです。現在、囃子連は小中学校の子供から大人まで四十名以上。保木の大太鼓や牛込の獅子舞と共に横浜を代表する伝統芸能の一つに数えられています。

宵宮(よいみや)
 祭りの準備が整うと、神社の境内では宴が始まる。だれかれ無しに酒を酌み交わし、年に一度の再会を喜び合う者、明日の祭り本番の景気づけをする者。部外者の私達も勧められるままに酒を注がれ、撮影そっちのけで楽しんでしまっている。(困ったものだ)
舞台では軽快なお囃子に合わせて(おかめ)(ひょっとこ)や(翁)など多種多様な面を付けたお神楽が始まり、おどけた仕草がお客さんの笑いを誘う。これもまた伝統ある囃子神楽の演目である。

 さあ祭り当日、朝八時には神社に集合。昨日の酒もどこへやら、サラシを巻き、ライトブルーのハッピを身にまとった男たちが神輿をかつぎセイヤッセイヤッの掛け声よろしく町へ出る。囃子連の山車が後に続き、子供神輿が加わって、普段静かな住宅街がにわかに活気づく。途中の休憩場所で酒やジュースをふるまわれ、いつものコースを通って進んでいく。こちらは昨日のアルコールが残った体で必死で撮影。いつの間にか神輿には女性の姿が、いや外人さんも加わっている。一昨年は近くに住む俳優さんも参加したそうである。

   お昼前、平崎橋近くの佐登屋さんの前に到着。(地元では昔観音堂があったことから堂前と呼んでいる) ここで小一時間休憩しお昼となる。子供たちが無邪気におにぎりをほおばる姿を撮影していると、遠くの方からお囃子が聞こえてくる。平川の囃子とは違う音色だ。

 すると南の方から紫のハッピの神輿と屋台が、そして西からは黄色のハッピ、ドーン、ドーンの大音声とともに大太鼓もやってきた。

写真
ビックリ!驚神社の祭礼
 黄色は荏子田の方々、そして大太鼓は有名な「保木の大太鼓」である。船頭の山車も加わり、その一帯は色とりどりのハッピをきた人々で大賑わい。 写真 祭り囃子のオンパレードと言うか見本市のようだ。紫色のハッピの背中には「驚」の大きな文字が書かれている。そうなんです。今日は、驚神社の祭礼でもあるのです。すなわち、古く石川村の集落が一堂に会す盛大な伝統的なお祭りだったのである。

 石川の各地区、荏子田の八幡社、船頭の御嶽社、保木の十社宮、牛込の神明社、そして平川神社からやって来た神輿や山車は、この堂前に集結してここから宮元の驚神社へ奉納するため行列を組んで向かうのである。単なる普通の村祭りと思っていたのに(すいません。)こんなに大きな祭りだったなんて、知らなかった。まさしく驚きである。

写真 驚神社の祭礼
 正午。保木の大太鼓を露払いに平川、荏子田、船頭、そしてお迎えの役目の宮元が最後尾の順で、途中、「牛込の獅子舞」を加えながら驚神社に向けて祭り行列は進んで行きます。横浜市内でもこれだけの祭りは珍しいのではないだろうか。まさに壮観な眺めである。

 驚神社に到着するとホラ貝が鳴り響き、「牛込の獅子舞」が神社に奉納される。境内下では各地区の人たちはここでしばしの交歓をし、競演が行われる。狭い道路や参道に笛や太鼓が鳴り響き祭りは最高潮をむかえる。
そして、それぞれの神社に向けて帰途につくのである。
 夕暮れの平川神社境内、驚神社までの往復の長い道のりを練り歩いた疲れは残っているものの、誰の顔にも祭りをやり遂げたと言う満足感が浮かんでいる。そして最後に振舞われるトン汁と酒の旨いこと。やっぱり、酒はいい…いや、祭りはいい!

 秋の祭りは収穫祭であった。田園都市沿線から田園風景がなくなり、町の景色が変わっても、お祭りだけは人々の手によって脈々と受け継がれていたのです。

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写真  今回は読者の皆さん、特に新しく住民となられた方に、この町にも伝統的な祭りや歴史があることを知っていただきたく。去年の記憶を頼りに記事を書いてみました。 特に平川が中心になってしまいましたが、保木、荏子田、船頭、牛込、宮元とそれぞれが同じように歴史があり、伝統を守って祭りを盛り上げるために関係者の方は努力しておられます。  たまには自分たちの住んでいる町の伝統と歴史にふれてみる祭りもいいものですよ。今後、地名推理ファイルで石川の各地区については紹介するつもりです。  今年の祭りは十月十二日が宵宮で、十月十三日が祭り本番となっています。ぜひ皆さん出かけてみてください。そして良ければ参加してみてはいかがでしょうか。
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