■ひろたりあん通信バックナンバー
▼2008年2月号
地名推理ファイル歴史探偵 高丸の地名推理ファイル」
■街道を往く 大山街道編 3

隠居した道 
 田園都市線の線路を真ん中に挟み、国道246号と私たちが歩く旧道が、三本仲良く並んで真っ直ぐに市ヶ尾へと続いている。といっても、旧道は鉄道と国道によって矯正されてしまっているのだが…。

 その矯正された真っ直ぐな道は、緩やかに上り、真ん中辺りから更に緩やかな下り坂になる。下りきると、その先は急な上り坂となる。

 246も江田駅前から、ひたすら頂上めざして上っている。中に挟まれた起伏の無い線路を田園都市線の電車が、吸い込まれるようにトンネルに入っていった。トンネルを抜けると市ヶ尾駅だ。

「ここからは、坂をのぼらないで右斜めに行くんですね」と、津屋さん。

 緩やかな坂を下りきったところから、道は大きく右斜めに分岐している。こちらが大山道だ。ここで本来の大山道のルートを説明しよう。

 江田駅東口から高架トンネルをくぐって一旦246号に出て、歩道を50メートルほど歩いて、すぐにまた高架をくぐる。(ここまでは一緒)そのまま道なりに少し弧を描くようにして、100メートルほど先で、再び線路の下をくぐって246に出る。

 更に246を突っ切り、アンティークなフレンチレストラン「木かげ茶屋」や「紳士服のコナカ」の辺りをぐるっと回り込んだあと、三たび二四六号と田園都市線を渡って、この場所に戻ってくる。その曲線が、そのまま斜め右の道となって続いている。

 線路から離れ、50メートルほど行くと右側に路地がある。

 

 「大山道は、こっちですよ」

 津屋さんの先導でその路地に入って行く。静かな路地は、わずか100メートルほどで元の道に戻る。

 「中途半端ですね。こっちの道と、家一軒分しか離れてないし…。あってもなくてもいいというか…」

「…何百年、いや古代から数えると千数百年ですか、長〜い年月、どれほど多くの旅人がこの道を踏みしめて往来していたか。新しい道ができたことで、やっと役目を終えられたんですね。今は静かにのんびりと余生を送っているようで、私はなんとも言えない感慨を覚えますね〜」

「余生…、ですか…」

 四十余年間、半導体の研究開発にたずさわり、定年退職されたあと半自由人としてセカンドライフを満喫されている津屋さんならではの思いやりのある言葉だ。開発で消えてしまうことを考えれば、こういう形で残されているのは貴重だ。

 不明を恥じつつ道を振り返ると、公園の樹々や住宅の植え込みに囲まれ、幸せそうに余生を送っているように見えなくもない。一本だけ植えられた金柑の木も、なんだか微笑ましい。

「ところで津屋さん、ここに長谷第一公園とありますけど、これってハセじゃなくてナガヤトと読むんですよ」

「ナガヤト第一公園ですか。長い谷戸ですね」

険しい地形
 今回の大山道探索にあたっては、昨年の夏に出版された中平龍二郎氏の『ホントに歩く大山街道』という本も参考にさせてもらっている。

 その本の「荏田から青葉台」の項目に「このあたりの住宅は、とても長い階段を登らないと玄関に着かない。忘れ物をしたら大変である」と、まさにこの辺りの様子が描写されている。

 「ここから上のほうは確かに丘陵地ですね」と津屋さんが、長い階段の住宅と、その向こうに続く坂道を見上げる。

 「こういった住宅はここに限ったことじゃありませんよ。大場町やあざみ野、たまプラにだって、そこらじゅうにありますよ。新聞屋泣かせですけどね」

 「ほほほ、泣きましたか?」 

 「泣きました(泣)。というか、青葉区はどこも坂が多いんです。だから、バイクでなければ新聞配達ができないんですよ」

 「確かに、私が住んでる藤が丘も坂が多いですね〜」

 「他所(よそ)から来た人は、ここだけが際立って見えるんでしょうね」

 「多摩丘陵と、そこに入り組んだ沢山の谷戸を開発してできたのが、青葉区の町ですからね 。そういえば、市ヶ尾の地名の意味は(険しい土地)だって書いていましたね」

 「地名推理の一番最初ですね。(市ヶ尾編) 確かに、語源辞典で調べたんですけど、イチが(険しい地形)ヲが(高い所)となっています。でも、こうしてみると青葉区全体が、そんな地形になっちゃいますね」

「本当ですね〜、それでも市ヶ尾は、かつての都筑郡の中心だったわけでしょう。昔は住みやすかったんでしょうかね〜?」

 「ええ、かえって現代の方が住みにくいのかもしれませんね、なんせ車社会ですから。青葉区に喘息の子どもが多いのは、坂が多いせいだって聞いたことがありますよ 。自転車の普及率も低いでしょうね〜、調べたこと無いですけど…」

 などと話しているうちに、電柱の住所表示が、荏田北から市ヶ尾町になっていた。次の信号で道が二又に分かれている。まっすぐ進むと、青葉区役所に降りる一方通行の道に続く。大山道は右側にカーブしながら、次の信号で市ヶ尾駅から商店街を抜けてくる道と合流する。

 合流する信号の手前、『上市ヶ尾町内会館』の建物の隣に『市ヶ尾竹下地蔵堂』がある。別名『千日堂』。竹下は、長谷と同じ、この辺りの字名だ。階段の手前に十体のお地蔵様が並んでいる。

 「ここで毎年十一月三十日に『お十夜の法要』が営まれるんですよ。私は二度ほど参加させていただきました。宮澤さんは?」

 「残念ながら…一度もありません。職場が近いのに、いつも日程が合わなくて…」と、言い訳する私。

 お十夜は鉦や太鼓を打ち鳴らしながら念仏を唱える双盤念仏で、市認定の無形文化財になっている。その「お十夜の法要」を始められたといわれる統誉小人(とうよしょうにん)の墓碑が境内にある。

 墓碑はこの先の猿田坂から移されたそうだ。上人には、悪疫が流行した時、村人たちのために即身仏になったという伝承がある。

 「猿田坂に、その時の入定塚(にゅうじょうづか)が残っているんですよ」 

 「猿田坂に?ありましたっけ?何度も歩いているんですけど、気がつきませんでしたね〜」と、首をかしげる津屋さん。

 「あちこち探し回って、先日やっと見つけたんです。ただ…」

 「えっ、ただ…?なんですか?」

                                              つづく

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