■ひろたりあん通信バックナンバー
 ▼2008年3月号
地名推理ファイル歴史探偵 高丸の地名推理ファイル」
■街道を往く 大山街道編 4 

猿田坂の入定塚
 今年(平成20年)の初午の日は、2月12日である。この前日の晩に地蔵堂の境内にある稲荷社で宵宮の御炊き上げが行われた。

 ご近所の方々が手に手に稲荷寿司や油揚げ、お酒にバーベキューなどの材料を持参し、三三五五集まってくる。御炊き上げの炎に赤い幟が照らし出され、境内は幻想的な雰囲気に包まれ た。お囃子の太鼓と人々の喧騒が祭りを盛り上げ、誰彼となく酒を酌み交わす。昔ながらの伝統行事が今も尚、この地には残っている。

 この地蔵堂には、大正5年の春、「田園の憂鬱」の佐藤春夫が1ヶ月間ほど仮寓していたそうだ。

★    ★    ★

 稲荷社は、地蔵堂の境内右手奥にある。祭の賑わいとは裏腹に、社も鳥居もとても小さい。その稲荷社の赤い鳥居の横に、開発によって近在から移された十数基の石塔が並んでいる。その中央、ひと際大きな石塔が統誉上人(とうよしょうにん)の墓碑である。

「正蓮社統誉上人ですか、蓮社(れんじゃ)号がありますから、浄土宗の僧侶ですね」と津屋さん。

「裏には、宝暦元辛未歳と刻まれてますね。宝暦元年なら八代将軍吉宗と同じ年に亡くなったんですね」

「それで、その時の入定(にゅうじょう)塚が残っていたんですか?」

「いや、それが…。あ、とにかくご覧になりますか? このすぐ先です」

 地蔵堂の階段を降り、右折して坂を下る。中華料理のバーミヤンとその駐車場の前を通って、「幸瑞(ゆきみつ)」という名前の中華屋さんの前で横断歩道を渡り、その下の美容室「アリサ」の手前の路地を左に入る。

 地元で「猿田坂」と呼ばれている坂である。坂といっても、傾斜がきついのは最初だけで、あとは随分と緩やかだ。

「…。数日前に、この坂の下で五十代くらいのご婦人がお二人、道に迷われていたんですよ」

 場所は上市ヶ尾の交差点付近。青葉区役所に所用があり、会社を出てその交差点を渡ったときに、本を見ながら話し込まれている二人を見かけた。

「ふと、ひとりの方の手元を見ると、【大山街道】という本のタイトルが見えたんですよ。ははぁ、これは大山街道を探索していて道に迷ったんだな、と。それで声をかけたんです」

 果たしてそうであった。聞けば、東京・赤坂から大山目指して二日かけて歩かれたそうで、その日は、鷺沼から市ヶ尾までの予定だったという。

「じゃあ、その日の最終地点で迷われたんですか?」

「ええ、最後に猿田坂の場所が分からなくなったそうです。それで、持っている本を見せて頂いたんですよ」

 手にしていた本は、先月紹介した「ホントに歩く大山街道」であった。

「地図のちょうど猿田坂の辺りが、綴じ込み部分で隠れていて見づらかったんですね。この地図なんですけど」

 持参していた同じ本を開いて津屋さんに見せる。

「確かに、猿田坂の場所は分かりづらいですね」

「で、さっきの美容室の所を入るんですよ。と、坂の場所を教えて差し上げたんです。すると、『じゃあ、坂の途中の入定塚は、何処ですか?』と聞かれたんで、あわてて地図を見直したんですね。正直、入定塚なんて見たことが無かったんで…」

 やはり、綴じ込み部分にそれは記されてあった。

「ほぉ…、写真までありますね」

「でしょ! それで区役所の帰りに探したんですよ。その石碑らしきものを…」

「見つかったんですか?」

「ええ、見つかりました。アレです」

 道のちょうど真ん中、右手に二階建のアパートがある。その駐車場に写真と同じ「入定塚?」はあった。高さ1メートルほどの自然石だ。その半分はツツジの植木で覆われている。

申、猿から猿田へ
「ね、こっちから見ると、ゲゲゲの鬼太郎の顔に見えませんか?」

「さ、さぁ、それはなんとも…。 しかし、文字も何も書かれてませんね」

「青葉区に『郷土史の会』という歴史研究グループがあるんですが…」

「知っています。確か会長は薮本さんですね」

「そうです。その薮本会長にも見ていただいたんですけど、これは、違うでしょう。と、きっぱり否定されました」

「そうですね。どう見ても普通の庭石ですね〜」

「その時、薮本さんから『古道を歩く』という本を教えていただいて、山内図書館で調べてみたんですよ」

 

 昭和四十三年というから今から四十年前、著者の内田四方蔵さんのグループが大山道を探索された。その時の様子が地図と写真入りで綴られている。

「その地図によると、入定塚の跡はさっきのバーミヤンか中華屋さんの裏手になるんですよ。猿坂の右手の木立の中に二つの碑があり、その背後の崖の中腹辺りの斜面に、雑草に蔽われて入定碑が転がっていたそうです。元はもっと上の方の入定塚に立っていたとも書かれていました」

「すると、市ヶ尾小学校に続く高台の中腹ということになりますね」

「そうなります。どの資料もそうなんですけど、さっきの美容室から、この先の上麻生線の道路までの間が『猿田坂』になっていますよね」

「そうですね。私の地図もそうです」

「地元の方に伺ったら、坂道は地蔵堂の辺りから、くねりながらこの道に続いていたそうです。実は木立の中にあった二つの碑の一つが青面金剛の庚申塔なんですよ。今は地蔵堂の階段の所(前面一番左)にあります。三猿も彫られてますよ」

「なるほど、それで猿坂ですか。坂の出発点がズレたことで『猿坂の途中の右手』にあった入定塚の位置もズレてしまったんですね。じゃあ、入定塚は、中華屋さんの裏にあるんですか?」

「いえ、塚はもうありません。でも入定碑はありますよ。地蔵堂の石塔の真ん中にあった墓碑。あれが四十年前、雑草と木立に蔽われた斜面に倒れていた入定碑です」

「あー、そうでしたか。人騒がせですね。それにしても、猿坂はいつから猿田坂になったんでしょう?」

「本地垂迹説では、仏教の青面金剛は、神道の猿田彦神とされていますね。猿田彦大神という庚申塔もありますよ」

「猿は、去るに通じるので、不吉だから昔は嫁入りの行列はこの坂を避けたと聞きましたけど・・・。ただ、猿田彦は天鈿女神(アマノウズメ)と結婚して、仲の良い夫婦になった はずですよ。道祖神の夫婦は、その二人だという説もありますからね」

「あ、そうなんですか。 しかも、猿田彦は道案内の神様。だったら、嫁入りに不吉どころか、とっても縁起がいいじゃないですか〜 。そうか、案外、その説をとって猿(去る)から猿田(良縁・お導き)にしたんじゃないですか」

「ははは、だとしたら、この辺りの人は大したセンスをしてますね」

                                                                                                   つづく

統誉上人の入定塚(左)と、崖下に倒れていた庚申塚とお地蔵様                                             

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