■ひろたりあん通信バックナンバー
 ▼2008年5月号
地名推理ファイル歴史探偵 高丸の地名推理ファイル」
■街道を往く 大山街道編 6

生き残った名前
 
先日、元石川高校の生徒さんから電話をいただいた。

 NHKと全国放送教育研究会連盟が主催する『NHK杯全国高校放送コンテスト』のラジオドキュメンタリー部門参加作品制作のためのインタビューをしたいとのこと。普段、取材する側なので、突然の申し込みには、いささかとまどい緊張した。

 番組のテーマは「元石川」。自分達の学校の名前である元石川の地名に「元」がつくのはなぜか? 素朴な疑問を卒業する前に解決したい!という思いがドキュメント番組制作の動機になった。

 当日訪れた三人の女子生徒の方から「石川村が元石川になった経緯」「石川の地名の由来について」「中区の石川町との関係」など、の質問をいただいた。三年前、元石川高校のオープンスクールで授業した内容なのだが、彼女達が入学する前の話だ。

 生徒さんだけでなく、顧問の先生も非常によく地域の歴史を勉強されていることに驚いた。元石川高校では過去にも驚神社についての番組を作られたそうだ。こうした若い人が地元の歴史に興味を持ってくれることは本当に嬉しい。

 元石川の地名については、「地名推理・元石川編」にも書いたが、中区の石川町が先にあったため、同じ町名をつけられず、なんとか石川という歴史ある名前を残そうと地元の方々が苦心され「元・石川」という名前をつけた。おかげで若い人が、なぜ「元・石川」なの? と興味を持つことになった。

 この意味は大きい。石川町にすんなり決まっていたら、誰も地名の由来を調べようとは思わなかっただろう。歴史の遺産には、こうした残し方もあるのだ。
 

名も無きお地蔵さん
「新しい川間橋で谷本川を渡る。

「津屋さん、ちょっといいですか」

 橋を渡ったら、すぐに右に曲がり、川沿いの道を行く。30メートルほど行くと、プレハブの建物があり、その前に、トタンで出来た小さな祠がある。

「お地蔵さんですか?」

「ええ、そうです。ただ・・・」

 身体と下の台座はどこにでもあるお地蔵様だが、頭はコンクリートの塊で出来ている。セメントでつなぎ合わせた丸く大きい顔は、アンパンマンのようで、いかにもバランスが悪い。

 「頭が無くなってしまったので、誰かが可哀そうに思ってくっつけたんでしょうか?ちゃんと赤い毛糸の帽子を被せてもらっているし、お茶も供えてありますから、きっと近所の方が大事にされているんでしょうね」

 通りがかりの人が拝んでいくのだろう、台座の上にはお賽銭も置かれている。そう考えると、バランスの悪かった顔も愛嬌のある可愛いい顔に見えてきた。

 「荏田の庚申塔のまわりを綺麗に掃除されている鈴木美行さんもそうですが、日本人たるもの、神仏を敬い大事にする気持ちだけは失いたくないものですね」

「まったくです」

※このお地蔵様について、ご存知の方がいらっしゃいましたら、ぜひ、お教えください。

大難の辻と一里榎
 
大山道に戻り、川間橋からもえぎ野方面に向かって歩く。

「このあたりは鶴見川でなく谷本川と言いますね。多摩丘陵を流れる谷戸の川が集まったから付いた名前でしょうか?」と津屋さん。

「私も最初はそう思っていたんですが、五箇村用水の話を聞いてから、ちょっと違うなと…」

「違いますか」

「川の水を田んぼに引き込めないほど、低いところを流れていたということは、この川自体が谷川だったんじゃないでしょうか」

「なるほど、谷川という意味の谷本川ですか」

「以前、鶴見川を源流まで自転車で走ったんですけど、結構下の方を流れているんですよね。今以上に昔は深い谷だったんじゃないかと思うんです」

「氾濫もたびたび起きたといいますから、地形も変わったんでしょうね」

「昭和三十三年の台風の時も、ここ中里地区は大きな被害があったといいますからね」

 度重なる被害から、中里地区の農家は鶴見川の改修を県に陳情し、昭和三十九年、「谷本川沿岸土地改良区」として認可を受けた。

「さっきのお地蔵様も、もしかしたら台風の時に流されたのかもしれませんね」

 市ヶ尾幼稚園のところから右斜めに道がある。実は、川間橋の少し下流にあった三文橋から、この道に大山道は続いていたのだ。

「この先の道は、昔は急な坂道だったそうで、大雨が降ると土砂崩れが起きて、この辺りの田畑は埋まってしまったといわれてます」と津屋さん。 

 そのために「大難(おおな)の辻」と呼ばれている。

 斜めの道を入ると、市ヶ尾町から上谷本町になる。だが、NTTの前を過ぎ、道路を渡ると、住所は柿の木台に変わる。

 すぐ横、柿の木台の信号交差点角に、もう店を閉めてしまわれたが、「田中屋マート」というスーパーがあった。ここは江戸時代、田中屋という薬屋さんだったという話が残されている。三代将軍徳川家光の病気を治したマムシ治療薬を販売していたそうだ。

 道を横断したら、そのまま坂を上っていく。すると、次の角右側の民家の庭に「一里の榎」と呼ばれる樹齢六百年の古木がある。昭和四十七年、区画整理で現在地に移植された。横浜市の指定銘木古木に選ばれている。幹のまん中の空洞は、明治三年の火災によるものだ。

 樹齢六百年というと室町時代だ。この樹もまた、気の遠くなるような歳月を立派に生き残っている。 

                             つづく

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