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人は誰にも愛すべき故郷があり、「ふるさと自慢」をしたがるというのは、ある種人間の性(さが)ではないかと考える。
「さが」といえば、以前「佐賀県」というコミックソングがヒットしたが、佐賀は何にもないと卑下しつつ、あれはあれで裏を返せば、故郷に対する愛情に満ちた「ふるさと自慢」の一形態ではなかったか。
人はみな、故郷の名所や旧跡を自慢し、風光の明媚さ自慢し、郷土料理を自慢し、自慢するものがない場合は「何もない」ことを自慢するのである。
歴史探偵 高丸こと、宮澤「呑兵衛」高廣は、生粋(?)の名古屋人で、彼の強烈な名古屋自慢を聞いていると満腹になる。
なぜ満腹かというと、元来食いしん坊である彼の自慢が「食」に関することに限られるからだ。「ラーメンは寿がき屋だぎゃぁ」「ひつまぶし、いっぺん食べてみやぁ」「ボンカレーよりオリエンタル、ハヤシもあるでよー」「味噌カツの元祖は、味噌串カツだがや」「天むすもうみゃーよ」
もう!うみゃーうみゃー、みゃーみぁーうるさいったらない。「宮澤」改め「みゃー澤」と呼びたいくらいである。
そんな彼にも、一つくらい取り柄はあるもので、歴史、特にこの地方の郷土史には造詣が深い。
今回は「つづき五山」というネタを仕入れてきて、探訪して記事にしたいという。この地に住む以上は、この地を故郷と思い、この地を愛し、大切にしたい。「この地にも自慢できる歴史があるんですよ」と声高に語る宮澤担当の、第二のふるさと自慢に、たまには耳を傾けてみようか。
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「奈良県に『大和三山』があるように、この都筑区にも『つづき五山』があるんですよ」
思わず辺りを見回した。大和三山といえば、『万葉集』にも詠われた国の名勝(国指定文化財)。一人旅で行った明日香村の甘樫丘(あまかしのおか)。そこから眺めた『畝傍(うねび)山』『耳成(みみなし)山』そして『天の香具(かぐ)山』の姿。悠久の歴史を感じさせる美しい大和路の風景は、今も目に焼きついている。
しかし、この日本を代表する新興住宅街「港北ニュータウン」に…山なんてあっただろうか?山、山、山、やまぁ〜と???
「ん…!おっ、あるじゃん!」
市営地下鉄・センター北駅とセンター南駅のちょうど真ん中。「市営地下鉄」の高架下、今立っている早渕川の岸辺から見渡すと、こんもりとした山が
確か見える。
センター南駅の西に
『茅ヶ崎城址公園』。同じく、すぐ東隣に『都筑中央公園』。 そして、センター北駅の西、横浜市歴史博物館に隣接する『大塚・歳勝土遺跡公園』
その線路をはさんだ反対側には『中川八幡山公園』 。
山というより、ある意味『丘』だ。歴史的な価値をもつ二つの遺跡公園、住民が自然にふれあえる
ふたつの憩いの公園、緑の公園が四つ。ん?四つ?『つづき五山』ってことは、五つですよねぇ?
「もう一つは、目の前にあるその山。吾妻山公園。これを入れて五つなんです」
横浜市営地下鉄のすぐ横。早渕川の北100メートルほどの所に、小さな山がある。気がつかなかった。合わせて五つ、これが『つづき五山』だ。
「都筑という名前は『万葉集』に出てくるほど古いんですね。来年、横浜の歴史は百五十年ですが、この都筑には、千三百年近い歴史があるんですよ。昔この辺りは、丘陵地と谷戸(やと)がずっと続いていました。港北ニュータウンが開発されるときに、その丘陵地を元の地形のまま残すようにして、公園は造られたんです。まるで山のように見えるでしょう。だから『つづき五山』。そして、その五山の真ん中を流れる『早渕川』と、公園をつなぐ『緑道』。これらはまさしく都筑区の宝物なんですね」
足には長靴、軍手をした両手にはゴミ袋。そのゴミ袋を車のトランクに詰め込む手を止めて、都筑区の魅力について熱く語る『早渕川ファンクラブ』代表の福富洋一郎さん。
この日は『早渕川ファンクラブ』の方々が定期的に行っている「やらまいか(静岡の方言で、やってみようじゃないか)」の日。 「みんなで川の掃除をやらまいか」ということで、ファンクラブの方々によって早渕川のゴミ拾いが行われていました。
青葉区の最北端、美しが丘西に源流を発し、綱島で鶴見川に注ぐ早渕川。都筑区の中央を東西に流れ、この港北ニュータウンの辺りがちょうど中流域にあたる。コンクリートで固められた典型的な都市河川ではあるが、その両岸は遊歩道になっていて、区内の貴重な潤い空間、憩いの水辺となっています。
しかし、その大切な早渕川も、心ない人たちによって大量のゴミが捨てられ、いたるところビニールや空き缶などの残骸が顔をのぞかせていました。粗大ゴミを平気で捨てる輩もいます。以前、不法投棄の自転車を数えたら80台以上もあったそうです。
このままでは川が死んでしまう。何とかしなければ、そんな思いから1994年7月、早渕川を愛する市民によって『早渕川をかなでる会・太陽グループ』が発足しました。
「早渕川をかなでる会」の名前は、英語のHARPから来ているそうです。「HA」は
「Hayabuchi」の「Ha」から、「River]の「R」、「Project]の「P」。
つまり、早渕川を「いい川」に育てていくプロジェクト=『Hayabuchi River Project』=HARP=英語の竪琴のハープ=ハープを奏でていこう。というので早渕川をかなでる会」が出来たのです。
「じつは、発足してから5年たったころ、早渕川の流域の姿が、『タテゴトアザラシ(英文でHARP SEAL)』に似ているということに気が付いたのです。『たまちゃん』は、『アゴヒゲアザラシ』ですけど、早渕川流域は『タテゴトアザラシ』なんですねぇ。おもしろいでしょ」
『早渕川をかなでる会』の活動を引き継ぐ形で2002年6月に『早渕川ファンクラブ』は設立されました。
早渕川ファンクラブのHP=http://hayabuchi.chips.jp/
ファンクラブの皆さんによるゴミ拾いは、区役所通りの境田橋から茅ヶ崎橋の間およそ800メートルにわたって行われましたが、わずか1時間半のあいだに6個のゴミ袋が満杯になるほどのゴミがみつかりました。
そのゴミを片付けながら伺った福富さんの「つづき五山」に対する熱のこもったお話し。その中から思いかけず飛び出した言葉。『都筑の宝物』
今月は、その言葉にすっかり魅せられてしまった私、歴史探偵・高丸が
、『港北ニュータウン』の街に足を運び、この目で確かめた『都筑の宝物』たちをご紹介してみたいと思います。
『茅ヶ崎城址公園』
4月29日の『みどりの日』、「港北ニュータウン緑の会」主催のイベント「、つづき五山めぐり」に参加しました。
センター南駅の改札に集まった20名ほどの参加者の方々と一緒に、まず最初に向かったのは駅の西にある「茅ヶ崎城址公園」。
この城跡を訪れるのは久しぶりです。
四年前の特集記事の取材(実は、それが特集記事のデビュー作なのだ)で足を踏み入れた時は、樹木が鬱蒼として真っ暗。少し不気味な感じがしたものです。
現在は、城址公園としての整備が着々と進められていて、そのおかげで、樹木の半分ほどが伐採されていました。
工事のため、立ち入り禁止になっていますが、この日は特別に許可をいただいていて、実際に中に入ることが出来ました。
「茅ヶ崎城を見ずして、中世の城郭を語るなかれ」と研究者の間でいわれるほどの傑出した城。その城跡に足を踏み入れる。城マニアがそれを聞いたら、泣いてくやしがるに違いありません。 それほど、この城跡には価値があるのです。
遺構は良好な状態で保存されていて、空堀、土塁、郭(くるわ)などの構造が容易に確認できます。
築城者は不明ですが、十五世紀後半に最大規模に構築されたというから、江戸城を造った太田道灌や後北条氏の活躍していた頃でしょう。
その時代には、このあたりで何度も合戦があったという話が伝えられています。
発掘調査が行われる以前は、源頼朝や義経の祖「多田行綱」の館跡だという言い伝えがありました。江田駅近くの『荏田城跡』が源頼朝の家臣『江田源三』の城だったという話もそうですが、なぜか
?この辺りに源氏ゆかりの伝説がたくさん残っているのです。
茅ヶ崎八景
伝説といえば、この城には「埋蔵金伝説」が残されています。「黄金千貫、二千貫、朝日照る夕日かがやく所にぞある」という詩も伝えられていて、このことも城マニアにとっては興味のつきない
謎なのです。
この茅ヶ崎という土地は、江戸時代の終わり頃「金沢八景」や「近江八景」になぞらえて「茅ヶ崎八景」と呼ばれていたそうです。
「城山の秋の月」
「谷戸の中の蛍と堅田の落雁」
「清水の夕照(せきしょう)」
「境田の暮雪(ぼせつ)」
「四五六峠の夜の雨」
「正庵(しょうあん)の一本松」
「大塚の青嵐(せいらん)」
「観音の晩鐘(ばんしょう)」
城跡を中心に、田園や峠道。早渕川とその支流の荒磯川。自然豊かな茅ヶ崎村の景勝が大正時代まで楽しめたそうです。
サザンオールスターズの歌のおかげで茅ヶ崎といえば湘南を誰しもイメージしますが、もしかすると、有名になったのは、こっちがさきだったかもしれません。
『大塚・歳勝土遺跡公園』
城跡から北に向かい、茅ヶ崎橋で早渕川を渡る。車に気をつけながら横浜生田線を横断して坂を上り、涼しげな竹林を上っていくと、広々とした『大塚・歳勝土遺跡公園』に出る。
大塚・歳勝土(おおつか・さいかちど)遺跡は、関東最大規模の環濠集落「大塚遺跡」と、それに付随して見つかった方形周溝墓群の「歳勝土遺跡」との総称です。集落とお墓が完全な形で発掘されるのは稀なことで、福富さん言うところの
「西の吉野ヶ里、東の大塚・歳勝土と並び称される遺跡」というのも、まんざら大げさな話ではないのです。
遺跡からは、弥生時代中期の約九十棟の竪穴式住居と約十棟の高床式建物跡が発見され、大量の土器や石器、装身具なども大量に出土しました。この集落には百人を越える人々が集団で生活を営んでいたと考えられています。
言うなれば、古代のニュータウン。今も昔も人々が暮らしやすい土地というのは同じなのかもしれません。
この遺跡公園には、牛久保村(現在の都筑区牛久保町)にあった旧家「長沢家」の民家を移築した「民家園」が隣接しています。民家園では、七草粥やお月見、芋煮会、手打ち蕎麦講習会をはじめ、さまざまな催しや講習会が年間を通して開かれています。
たった一軒だけですが、新しいマンションに囲まれた片隅に、故郷の雰囲気の漂うホッとする空間がありました。
都筑民家園のHP=http://www8.ocn.ne.jp/~minkaen/
『吾妻山公園』
遺跡公園から隣接する「歴史博物館」へは、橋を渡って直接行くことができます。その博物館の裏、市営地下鉄の線路脇にある小さな山が「つづき五山」のちょうど中心にあたる『吾妻山』なのです。
ここも現在整備中で入れませんが、博物館の上からのぞくと小さいながらも、緑あざやかな憩いの公園が出来上がっていました。
その吾妻山の脇を走る市営地下鉄のセンター南駅〜センター北駅区間の高架下を利用して整備された歩行者・自転車専用道路が、この3月末に開通しました。
名付けて『みなきたウォーク』正式名称は「港北ニュータウン一四号線」。
赤いレンガが敷きつめられた道は意外なくらい静かで、駅に向かっていると、どこかテーマパークの会場を歩いているような錯覚を覚えます。北と南の駅間というのは、たったの七九〇メートルと結構近いので、のんびり歩くには最適です。
この『みなきたウォーク』と交差する早渕川の河川敷も、現在、『親水広場』として整備されつつあります。この広場が完成すれば、この一帯は綺麗な花が咲き乱れる夢のような空間になるに違いありません。
よくある質問。センター北とセンター南、じゃあ「センター(真ん中)」ってどこ?
答、まさにここなんです。
『中川八幡山公園』
自センター北駅の西、早渕川に向かって半島状に突き出た小高い山が八幡山公園です。
ここからは、縄文前期、中期、弥生時代の遺跡が発掘されました。そのためなのか頂上には、縄文をイメージしたような四本の石の柱のモニュメントが立っています。
この頂上から見る景色は五山の中でも断トツの素晴らしさといってもいいでしょう。
特に桜の季節。十本の大きな桜の木が一斉に花を咲かせ、舞い散る桜吹雪の向こうに広がる大パノラマ。
遠くには丹沢の山々や、富士山。港北ニュータウンの街並みもグルリと見渡せ、まさに手に取るように分かりますよ。
圧巻です♪
『都筑中央公園』
『八幡山公園』の南、早渕川の対岸に見えるのが、「つづき五山」最大、いや都筑区内で最も広い『都筑中央公園』です。
この公園の特徴は何と言っても、里山の風景がそのまま残されているところでしょう。これは四年前に発足した『里山倶楽部』の会員の手によって、湿地や雑木林を守り育て、自然の保全と修復がなされているからです。
公園内には「ばじょうじ谷戸窯」と「宮谷戸窯」の二ヶ所の炭焼施設があり、出来上がった炭は公園内の水の浄化・消臭・畑の活性剤などに利用されています。
ほかにも畑つくり、野鳥、昆虫などの調査観察、親子自然体験など『里山倶楽部』では会員同志の親交を深めながら、さまざまな活動をされています。
都筑中央公園・里山倶楽部のHP:http://www1.tmtv.ne.jp/~satoyama/
センター南駅から都筑区総合庁舎、昭和大学北部病院の東側を抜けてアクセスすれば、展望広場やステージ広場といった、里山とは違った市民がのんびりとくつろげる、広々とした空間が広がっています。
また、公園内には縄文前期の人々が貝殻を捨てた『境田貝塚』もあります。そう。縄文時代、この辺りまで海が入り込んでいたんです。
宝物発見!
丘陵地だった「つづき五山」は海に突き出た岬。 茅ヶ崎の崎はズバリ御崎(岬)を意味します。
古代、岬は御崎であり、『聖なる地』だったのです。境田貝塚の東の茅ヶ崎社。そして、センター北駅の西の大棚社をはじめ、何故か鶴見川流域にだけ数十社も存在する『杉山神社
』。その多くは、御崎の突端の聖なる地に存在していたのだと、そんな話をさる人から聞いたことがあります。
真実はわかりません。しかし、これまでの話で、この都筑の地が古代から中世、近世、そして現代まで、人々に愛され培われてきた土地だったということは充分お分かりいただけたと思います。
12年前、港北区と緑区が四区に再編成される際、どこにでもある抽象地名ではなく、千数百年前の歴史ある「都筑」という名前が選ばれました。
このことは大変に意味のあることです。まさに『都を築く』という願いをこめて、日本最大規模の計画都市「港北ニュータウン」は造られたのですから。

来年は、中山駅と日吉駅を結ぶ横浜市営地下鉄4号線が開業します。
未来に向かってどんどん発展していく港北ニュータウン。しかし、そんな新しい街にも自然や伝統が息づいていました。
その古き良きもの。自然や風土。歴史や伝統を守り、次の世代に残していこうと活動されている
方々、もっと綺麗な街、どこにも負けない素敵な街にしようじゃないかと地道に活動されている方々も大勢いらっしゃいました。
また、三月号の本紙「夢の吹く丘」で紹介したヒップホップクルー「サントウカ」のように、都筑の街を愛し、この街から自分たちのメッセージを発進していこうと活動している若者たちもいます。
自分の街を愛し、自分の街を大切にする気持ち。それこそ本当の「都筑の宝物」なのです。
新しくて古い。古くて新しい。この街には宝物がいっぱいありました。
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