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「早くお風呂に入りなさいってばぁ!」
これで三度目になる妻の言葉は、明らかに怒声が含まれている。さっきまで生返事だけで、決してテレビの前から離れなかった娘だが、さすがに殺気を感じたのか、あわてて浴室に駆け込んだ。と思ったら、ほんの数分で出てくる。
「お風呂は?」「今入ったじゃん!」「ちゃんと洗ったの?」「ちゃんと洗ったよ!」娘の見たいテレビ番組がある夜に、繰り広げられる母子の攻防である。
「ほんとに『カラスの行水』なんだから」妻が溜息をつく。
風呂上りの娘が、父に問う。「お父さん、カラスの行水ってどんな意味なの?」「お風呂が短いってことだよ」「どうしてカラスの行水っていうの?」「カラスの行水は短いからさ」「行水って?」都会で生まれ都会で育った現代っ子は、行水を知らない。
家庭に冷房装置などなかった時代、夏に涼をとるにあたり、庶民はさまざまな知恵を使ったが、水を利用したものも多かった。行水はもちろん、打ち水や、スイカを冷やすのも水を使った。その水が井戸水や湧水であれば、申し分ない。冷たい水で顔を洗えば、全身の汗がさーっとひいていく…あの感覚は忘れがたい。
大酒を呑むと、後で喉が渇いてくる。そんなとき自然の湧き水があれば…。たぶん、そんな単純な思いがきっかけなのだろう、万年宿酔の宮澤「呑兵衛」高廣が、横浜の湧水をめぐって来た。彼を常に苦しめる酒ではあるが(自業自得か?)たまには、仕事に役に立つこともあるらしい。
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車両の停車する振動で目を覚ました。駅名を確認しようと窓をのぞく。
「…ん?伊勢…佐木ちよ…。し、しまった!!」
市営地下鉄「伊勢佐木長者町」だ。
慌てて飛び降りる。横浜駅まで起きていたのに、あと二駅というところで眠ってしまった。桜木町駅から二駅も乗り越してしまった。「ま、いっか」
戻るのもめんどうなので、そのまま階段を上った。駅の出ると、札幌や名古屋の中心地に似た大通り公園がある。もっとも、二つの町に比べて規模も小さければ、人通りも少ない。園内のオブジェに、梅雨の晴れ間の太陽がッと照りつけてい
る。 午後三時。今年最高の暑さだ。
計画では、桜木町で降りて日ノ出町をめざすはずだったのだが…。ま、計画といっても電車の中で地図を見ながら思いついただけなので大したもんではない。地図を開き、伊勢佐木町と目的地までの距離を測る。
「あれ。なんだよ〜」 なんのことはない。日ノ出町の目的地は、ここからでも桜木町からでも、たいして変わりはなかった。それではと、日ノ出町方面に歩きかけて…気が変わった。意味は無い。
ただ、なんとなくそう思った。まさに行雲流水。踵を返して反対方向、もうひとつの目的地に向かって歩き出した。
「湧き水探偵」
昨年の八月、長野県の伊那に取材に行ったついでに、松本市に立ち寄った。
しばらくぶりに松本城を訪ねたあと、市内の中心を流れる女鳥羽(めとば)川周辺をブラっと歩いてみた。すると、土蔵造りのお店が建ち並ぶ古い町並の一画に手押しポンプがあるではないか。その横の小さな池からはポコポコと水が湧き出していた。聞けば、松本市内のいたるところで、このように綺麗な清水が湧き出ているという。
夏盛り。さっそく、地元の人に場所を聞きながら、散策をしてみることにした。すると、神社の境内。駐車場の隅。美術館の裏。そこかしこで、湧水スポットを発見。
なかでも、「源智の井戸」と呼ばれる八角形の大きな井戸には、大人から子どもまで、ペットボトルを片手に絶え間なく人がやって来るではないか。
さすがは、アルプスに囲まれた城下町。市内のど真ん中で、こんな素晴らしい自然の恵みを味わえるなんて…。冷たい水で顔を洗い。乾いたノドに清水を流し込む。
「う、うめぇ〜♪」なんて、松本市民は羨ましんだろう。
松本に限らず、こうした湧水の町は日本全国にある。私が行っただけでも、越前大野。岩手県盛岡。静岡県三島。岐阜県郡上八幡。あ、岐阜県の美濃市の母の実家では、普通の民家の庭で、普通に冷たい湧水が飲めたものだ。
もちろん神奈川県にもある。箱根や丹沢、以前特集記事の取材で行った「秦野」でもしっかり味わっている。
だが、しかし。なんといっても、日本で最初に近代水道が敷設されたこの横浜。人口360万の大都会には…
「さすがに無いだろう〜」
と、お思いでしょう。ところがどっこい。調べてみたらあったのです!
しかも、市内に名水と呼ばれる湧水が七つもあったのです。「マジ?」これは実際に行って確かめてみるしかない。
てなわけで、名付けて『わき水探偵・高丸の名水理ファイル』の始まり、始まり〜。 ※因みに、水理とは水の流れるみち。水脈を意味
する。
打越の霊泉
横浜市内にある七つの湧水。そのうちの四つは、港周辺に存在する。
伊勢佐木長者町の駅から「横浜根岸道路」を根岸方面に歩き、神奈川3号狩場線の高架下を流れる中村川を渡って石川町に出る。石川町、青葉区とは因縁浅からぬ町だ。現在のたまプラーザからあざみ野にかけての一帯は、かつて都筑郡石川村と呼ばれていた。昭和14年、横浜市の市域拡張計画で港北区に編入されるとき、本来なら「石川町」になるところ、この中区の石川町があったために「元石川町」にせざるおえなかったのだ。
農村から新興住宅地へと姿を変えた青葉区の「石川」と違い、こちらは港周辺によく見られる下町の風情が色濃く残った町並みである。
その石川町5丁目の交差点から坂を上ること約250メートル。道路わきのマンションの片隅。石垣の間から「打越の霊泉」は湧き出していた。
ここは、かつて横浜市電(路面電車)を通すために、山を削って切通しにした所だそうだ。「大正一二年の関東大震災や昭和二〇年の大空襲のときは、この水が数万市民の命を救った」と側らの石碑に書かれている。
その横の看板には「水質が不安定なので飲用は避けてください」と書いてあった。飲もうかどうしようか迷っていたら、目の前にワンボックス・カーが停まり、中から二人の男女が出てきた。どうやら、お父さんと娘さんらしい。車からポリタンクを取り出して霊泉を汲みだした。
「すいません。この水飲めるんですか?」とお父さんに聞くと、「飲めるよ」との答が返ってきた。お二人は、伊豆と、この打越の水を隔週で汲みに来ているそうだ。帰り際、「そこには、念のために書いてあるだけだから、お腹に自信があれば飲んでみるといいよ」と言われた。つまり、自己責任というやつだ。お腹周りならともかく、お腹に自信は無いが、せっかくだから飲んでみる。うん。冷たくて、まろやかな口当たり。ウマイ!
ワシン坂の清水
そのまま坂を上り「山元町」のT字路を左折。地蔵坂上の三叉路で、こんどは右に折れ坂を下る。
桜道を通り山手公園にぶつかったら、そのままの道を本牧通りと平行して進む。途中、「君が代発祥の地(妙香寺)」の石碑の前を過ぎると、次の信号には「キリン園公園入口」と書いてある。
「キリンしかいない動物園?」…そんな、わけはない。日本最初のビール工場「麒麟麦酒発祥の地」の公園が信号を左に行くとある。その公園に続く道を『ビアザケ通り』という。(ビールと酒だ。なんだか、湧水なんかやめて、生ビールが飲みたくなってきた)
「打越の霊泉」から歩くこと30分。小湊町の防衛庁宿舎横、「ワシン坂入口」と書かれた信号のところに第2の湧水はあった。その名も「ワシン坂の清水」。ワシンの意味は、日米和親条約から付けられたとも、ワシンという外国人が住んでいたともいわれているが、定かではない。ワシン坂を上っていくと「港の見える丘公園」に出る。
樹木に覆われた崖の下(崖の上はカネボウ化粧品の教育センター)。コンクリートブロックから突き出た樋から、チョロチョロと水が出ていた。小さな子供が水鉄砲をして遊んでいる。そこへ2リットルのペットボトルを自転車のカゴに何本も載せたおじいさんがやってきて「おい、ボウズ。ちょっとどいてくれるか」と声をかける。その後、バイクに乗ったオジサンや買い物帰りのオバサンが、次々と集まってきた。みんな顔馴染みらしく、ガヤガヤと異様に賑やかになった。これこそまさに井戸端会議だ。
「打越の霊泉」同様、看板に「水質が不安定なので…ウンヌン」と書いてある。近所の方に尋ねてみると、「昔からこの水を飲んでいるけど、身体を壊したことなんて一度もないよ」と笑い飛ばされた。
「うまい酒はうまい水からしか作れない」日本初のビール工場がこの山手台に生まれた背景には、こうした名水が豊富に湧いていたこととも無縁ではないのだろう。
黄金橋の湧水
ワシン坂から本牧通りに出て、桜木町行きのバスに乗る。麦田、柏葉を通り、先ほどの山元町の交差点から再び「打越の霊泉」の前を通る。窓からもう一度「霊泉」を拝み、デュデュビデュビデュビデュビデュバ♪と伊勢佐木町のバス停で降りる。
繁華街を抜け大岡川に出たら、川に沿って歩道を歩き、黄金橋で対岸に渡る。その橋のたもとに三つめはあった。
ご覧のように、まるで出しっ放しの水道状態。ジャカジャカ出ている。看板には、これまでの「避けてください」ではなく、「飲めません」と書いてあった。
(こんなに出てるのに〜残念。それにしても、うしろは川だ。どっから来るんだろう?この水。不思議だ)
これまでの三つの湧水は、横浜開港時、港に立ち寄る外国船が、飲用水として積み込んでいた。
積み込んだ水は赤道を越えても腐らなかったそうだ。(本当に不思議だ?)
そろそろ日も暮れてきた。この辺りは、いかがわしいお店が多いので、そそくさと退散することにした。
岸谷の湧水
日ノ出町から京浜急行に乗り込み生麦で下車する。山手台にあったキリンビールの工場は、関東大震災で壊滅。この生麦に移転している。
そのキリンビールの工場とは反対側へ陸橋を渡って降りる。商店街の角を右折。すぐまた左折して細い路地を抜けていくと「第二京浜国道(国道一号線)」にぶつかる。
「岸谷の湧水(きしやのゆうすい)」は岸谷のバス停の先の歩道脇にあった。一見すると、コンクリートで出来た洗面台。蛇口が取れて水が漏れているようにも見える。知らない人は、これが湧き水だなんて思わないだろう。
写真を撮っていると、15リットルは入るかと思われるポリタンクを、カートに載せた男性がやってきた。聞けば、近所の自動車販売店のオーナーだという。この水で珈琲やお茶を淹れてお客さんに出すと喜ばれるそうで、こうして毎日汲みに来るとのこと。
「あれっ、ペットボトル持ってこなかったの?この水で氷をつくって、水割りに入れて飲んでみな。美味いよ!」と、自分の家の水のように自慢したあげく、カートを引いてお店に帰っていった。
昭和12年、第二京浜の建設時に発見されたというから、これまでの三つよりもずっと新しい。この道路を車で通る時に「どの辺だろう?」なんて、キョロキョロしないで下さいね。湧き水運転は事故の元ですから。
林光寺&西光寺の湧水
横浜線に乗り換え「鴨居」へ行く。鶴見川の方ではなく、ロータリーのある南口に出て、駅前の道路を、新横浜方面に歩いて五、六分。右手に林光寺と西光寺二つの寺の名前が彫られた石碑がある。下が林光寺で更に坂を上った隣に西光寺がある。
林光寺には「奇利吹きの滝」がある。かつて修行に出る山伏が身を清めたそうだが、今の水量では頭も洗えない。
目的の湧水は西光寺の本堂脇にあった。筧(かけい)を伝わって流れてくる水は、そのまま池に流れ込む。

住職さんに聞くと、昔はもっと水量があったそうだ。周辺の開発の影響で水の勢いも衰えてしまった。この寺へ来る途中の交差点付近は、かつて清水谷戸と呼ばれていて、年中、道が濡れていたという。この一帯が湧水が豊富な土地なのだろう。
やはり、この水で炊いたご飯は格別だったそうだ。現在は、檀家さんのために井戸の水を汲み上げて、お茶を振る舞っている。
老馬鍛冶山不動尊・霊泉の滝
さーて、お待たせしました。横浜七つの名水、最後に控えしは「老馬鍛冶山不動尊(ろうばかじやまふどうそん)の霊泉の滝」。場所は、なんと都筑区中川と青葉区荏田のまさに区境。すぐ目と鼻の先なのだ。
国道246号と早渕川が交わる関根橋から中川に向かって歩き、突き当りのT字路を右に曲がり50メートルほど行くと、樹木が生い茂る崖のふもとに小さな池がある。崖の中腹には、滝不動尊が鎮座する。そのすぐ下の長い樋の先から湧水はチロチロと流れていた。
この滝の水は、どんな旱魃のときにも涸れたことがなかったそうで、土地の人々には霊験あらたかなお不動様として長く慕われていた。説明板には、「昔から喘息、百日咳、風邪ひきなど、お水をいただきながらお願いすると必ず治癒した」と書いてあった。(カラオケを歌い過ぎたときはいいかもしれない)
散歩の途中の、お父さんと小さな女の子が滝に立ち寄った。まずお父さんが、樋の横にぶら下がる金属製のマグカップでゴクリ。大丈夫かどうか確かめたあと、女の子にも飲ませていた。「冷たくて、オイシイ♪」
私も女の子の表情を確かめてからゴクリ。(最近、私もラジオにも出演している。ノドのために今度ペットボトル持ってこよう。)
看板には「近代食生活の向上に伴い、体質の弱体化もありますので、持ち帰って沸かしてから利用してください」とあるが、今現在お腹がおかしくなった形跡は無い。どうやら弱体化はしていないらしい。(肥大化はしているかもしれないが)
滝の横の石段を上るとお堂がある。小さいが雰囲気のある境内には、井戸の跡があった。
滝の前の道は旧大山街道である。滝を背にして左へ行くと、荏田宿に出る。街道を往く大勢の旅人にとって、ノドの渇きを潤すこの滝の水は、一服の清涼剤だったに違いない。
権現様の湧水
ひぃ、ふぅ、みぃ、よぉ、あれ!一つ足りない。七つのはずが六つしかないではないか。
お気づきになりましたね。足りないのは、戸塚区の『舞岡谷戸の湧水』ここへは、地名推理ファイルの、鎌倉街道探索のついでに寄ってみた。
寺家ふるさと村の、何倍も大きな里山公園である舞岡公園。管理している人にたずねると、ここの湧水は現在、公園内の田んぼにひくためだけに使われているそうだ。舞岡の駅から雨の中、傘をさしながら田園を歩くこと30分。一番奥というか上流に水源らしき池があった。しかし、その水は水彩画を描いたあとの筆洗の水と同じような何んともいえない色をしていた。
飲める飲めないの話しではない。これでは名水とは言いがたいので除外した。
その代わり、近場にとっておきの湧水を見つけたのでご紹介しよう。
近場も近場、その湧水は青葉区の鉄町にありました。鶴見川の「水辺の広場」から黒須田川を遡ること1キロ。権現橋という橋で黒須田から鉄町に渡る。川を渡ったら次の路地を右折、民家の間をさらに百メートルほど進んだ左側の駐車場の奥の薄暗い藪の中。目をこらすと小さな鳥居と祠がある。その祠の下から湧き出す水。これが知る人ぞ知る『権現様の湧水』だ。
かつて、この湧水の前の住宅街は田園が広がっていた。黒須田村では、生活用水や農業用水として、この権現様の湧水を大切に使っていた。
この水で育てた黒須田の米は、甘味があり寿司米としては最高に美味しかったそうだ。
説明書きが無いので飲んでみる勇気はないが、流れ落ちる水の音は、聴いているだけで心地よい。
この湧水から目黒学園の里山の向こう、桐蔭学園の周辺にもいくつかの湧水を確認した。
先述の石川町、新興住宅地となった「たまプラーザ」周辺も、ほんの30年ほど前までは、湧水や井戸の水を飲むことが出来た。
しかし、開発の名のもとに山は削られ、樹木は伐採され、地面はコンクリートやアスファルトで固められた。これでは、どこにも雨水が浸み込む余地がない。水が浸み込まなきゃ、ふたたび地表に
溢れ出すわきゃない。
せめて、今ある湧水だけは涸れないで残ってもらいたいものだ。
飲める飲めないは別として、澄みきった透明な水がコンコンと湧き出すさまは、夏の暑さを忘れさせてくれる。ことわざに、「酔いざめの水下戸知らず」というのがある。下戸、つまり酒を飲めない人には、酔っ払った朝に飲む一杯の水のうまさは分からない。という意味だ。同じ湧水を探すなら、乗り物を使って探すのではなく、自分の足で歩いて探してもらいたい。汗びっしょりかいて、やっと見つけた天然の湧水は、ひと味もふた味も美味しいに決まっているのだから。
夏の小さな旅。さあ、空のペットボトルをバッグに入れて、あなたも湧水探しに出かけませんか。
宮澤
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