■ひろたりあん通信バックナンバー
  ▼2008年6月号
地名推理ファイル歴史探偵 高丸の地名推理ファイル」
■街道を往く 大山街道編 7

消えたお地蔵様
 先月号が発行された翌日、市ヶ尾幼稚園の高橋薫園長からお電話をいただいた。

「あのお地蔵様のことは、よく覚えているよ」

 あのお地蔵さまとは、先月号で紹介した谷本(鶴見)川沿いに佇む、コンクリートで頭を造り直されていたお地蔵さまのことである。詳しいお話をお聞きしようと、さっそく幼稚園にお邪魔した。

 園長先生によると、お地蔵さまは当初、市ヶ尾から川間橋を渡った橋のたもとに立っていたそうだ。といっても、沿岸の改修工事が始まる前の旧谷本(鶴見)川は、今よりも30メートルほど西を流れていた。当然、川間橋も今の場所より柿の木台方向にずれる。当時、近くにはブロック工場があったそうだ。

 ところがある日突然、お地蔵様がいなくなってしまった。お地蔵さまがいなくなったということで、近所では、大騒ぎになったそうである。

 そして、人々が忘れた頃、今の場所に現れた。

「よかったよ〜、現われてくれて。どこに行っちゃったんだろうと、心配していたからねぇ」と、当時を振り返る高橋園長。

 ただ、帰ってきたお地蔵様の顔は、コンクリートの新しい顔に変ってしまっていた。消える前のお地蔵さまには、ちゃんと首がついていたそうだから、誰かがお地蔵様を壊してしまい、人知れず修復(?)して、戻したのであろう。当時、住宅が建てられていたそうなので、トラックか重機がぶつけて壊してしまったのかもしれない。ブロック工場も今は無く、消えてから現れるまでの消息は不明である。

 園長先生からは、先月号の間違いも指摘いただいた。幼稚園からNTT方向へ右斜めに入るあたり、大雨が降ると土砂崩れで、この辺りの田畑が埋まってしまったことから「大難(たいなん)の辻」と呼ぶ、と書いたが、この読みは(たいなん)ではなく、大難(おおな)の辻という。図書館で何冊か調べた際に(たいなん)と書いてあったので、そう書いたのだが…、この場でお詫びと修正をいたします。

 もう一点書きもらしていたことがある。旅籠「綿屋」の脇の旧道から、川間橋(三文橋)で谷本川を渡ると書いたが、その手前で、北(右)から流れてくる大場川を渡らなければいけない。この橋を「矢の橋」という。

 大雨が降ると、川間橋は少し高いところにあったから大丈夫だったが、矢の橋は完全に冠水して渡れなくなったそうだ。

 大雨といえば、昭和三十三年の九月に神奈川県に上陸した台風22号、有名な狩野川台風の時の貴重な体験談もお聞きした。

「夜11時か12時頃だったかなぁ、がやがやと音がするから変だなと思ったら、家の中に水が入ってきて、この辺り一帯は、湖のようになっちゃったんだよ。インターも国道もない頃だからねぇ、それは見事だったよ。でっかい湖になるもんだねぇ(笑)」

 不謹慎だが、その大きな湖、一度は見てみたいものである。翌日は、救助や救援物資を運ぶ、米軍のヘリがこの上空を行き来していたそうだ。

 

移動する川の流れ
 この辺りの地名「川間」は、元の川がNTTの所を流れていたからではないか?これは、あくまでも園長先生の推理である。その証拠として、古い航空写真では、田んぼが市ヶ尾高校からこの辺りを通って、農協の方をまで繋がっていること。それと、NTTの建物を建てるために穴を掘ったときに、川砂と泥の間から、腐っていない流木が出てきたこと。実際にそれを目にされた園長先生が言われるのだから間違いない。

 大難の辻の名称が示すとおり土砂崩れか、地震による崩壊か、いずれにしても、谷本川の流れは、現在私たちが目にする姿とは、想像以上に大きな隔たりがあるということだろう。

 私たちは、ここが旧道で、この辺りに川が流れていて、ここは昔田んぼや畑だったなどと、見てきたかのように大山道を語り、散策しながら納得しているが、地元の方に直接お話しを聞くことを怠けていては、真実に近づくことは絶対にないと痛感した。

水輪
「三十年くらい前に、幼稚園のお母さんたちが、大山街道について調べて纏めたものがあるよ」と、30ページほどの冊子を手渡された。「いちがお」というタイトル、市ヶ尾幼稚園母の会の八冊目の機関紙である。

 発行は昭和五十二年、今から三十一年前だ。当時の大山道の案内図入りで、市ヶ尾周辺の史蹟の説明がひとつひとつ詳細に調べて記述されている。

 編集委員のお母さんがたが、地元を歩き回って拾い上げた歴史の断片には、この地で暮らす人々の生活の匂いがする。これだけ丁寧な仕事は、へたな郷土史本の比ではない。

 猿田坂が後に恵比寿坂と呼ばれたという記述や、八雲神社がかつて防人(古代、関東から九州北部の沿岸や壱岐・対馬に派遣された兵士)の出陣の本陣となり、戦勝を祈願して酒盛りが行われたことなど、初めて聞く話も面白い。 

 また、古老から聞いた狐にまつわる話や、一つ目小僧の目借り婆さん(小僧なのに婆さんなのか?)が子どもの目を取りに来る話など、そのまま水木しげる先生の妖怪漫画になりそうだ。読めば読むほど、お母さんたちの熱意と努力に頭が下がる。

    ★     ★

 【郷土を愛する心が、子供達に通い、やがて地域にひろがり、大きな水輪となっていくことを信じたいと思いました】

 今回、足踏みすることを覚悟で、市ヶ尾幼稚園の園長先生のお話と、三十一年前に幼稚園のお母さん方が編まれた機関紙をご紹介したのは、「水輪」という文章の最後の言葉に心を打たれたからである。

 現在、青葉区政15周年に絡めて、子どものための歴史事業を計画中。大きな輪が反響しあって、いつまでも消えないような意義あるものにしたいと頑張っています。乞うご期待ください。
                                              つづく  

2008年秋(10月〜)、紙芝居の実践講座を計画しています。

詳細をお知りになりたい方は

電話 045-974-4433 

メール hirotarian@b06.itscom.net

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