■ひろたりあん通信バックナンバー
 2007年12月号
 ウメコ健在なり!
   小田原城本丸決戦 城マニア・高丸 VS 動物オタ・勝野

 小田原って、なんか可哀想な気がするなあ」

 友人が突然、小田原市民を敵に回すようなことを言い出す。

 「だってなあ、伊豆に行くにも、箱根に行くにも、小田原はただ素通りされるだけだろ?」

 彼いわく、行楽の車のせいで、道路は渋滞するわ、排気ガスはまき散らかされるわ、そのくせ小田原には誰も見向きもしない。せいぜい、かまぼこか干物を買うくらいしか用がない…等々。 

 せめて、小田原市民に気を遣って「小田原は人がよすぎるよなあ」と言い換えてあげればいいのにと思う。それに小田原には名城小田原城だってあるじゃないか。

 小田原に、勝野担当が宮澤担当をともなって取材に行くという。日本史への造詣が深い宮澤担当が一緒ということは、当然小田原城の特集を組むのだろうと考えるのが普通だ。その自慢げぶりが鼻持ちならない、彼の針小棒大なる歴史ウンチクによって、神聖な(?)紙面が汚されるのは面白くないが、世に日本史ファンは多く、彼の歴史コラムが一定の支持を集めているのは事実で、三等編集責任者としてはただ辛抱するのみだが…

 ところが、勝野の原稿は象の話ばかり。「これはどういうことだ?」

「いやあ、僕もだまされたんですよ、勝野のやろうめ」

 聞くと、象は、小田原城の記事に花を添える形で、少し取り上げるだけだったらしい。「いやあ、やられちまったなあ」策士、宮澤呑兵衛をたばかるとは、勝野恐るべし。

 副題に「城マニア・高丸 VS 動物オタ・勝野」とあるが、実際は宮澤の完敗だったようだ。不思議と私も、溜飲が下がる思いがするである。
 


★          ★          ★ 

 この日の評定(会議)は、なにやら重苦しい雰囲気に包まれていた。いつもなら上座中央の床几(椅子)に、デンと腰を下ろしているはずの家老(編集キャップK氏)がいない。なんでも営業部隊差配のため欠席だとのこと。代わりに参謀格の宮澤氏が、山本勘助でも気取っているのか、厳しい顔つきで座っている。

勝野殿、今日の案は、ちと練り直さねばなりませぬぞ」

「な〜に、井口殿、案ずるにはおよばぬ。宮澤殿、屁理屈は達者だが、意外と単純なところがある。ま、ワシに任せておかれよ」 

 案の定、評定の流れは宮澤尾張守高丸の思うままに進んでいった。市ヶ尾衆、もえぎ野衆、鴨志田衆と、次々に屁理屈をこねられたあげく企画案は却下。NTC南衆の小林殿の足柄ビール工場見学という案に対しては、

「この寒いのにビール工場とは…。時節を考えられよ! しかも、場所は足柄とな?八月が御殿場、九月が宮ヶ瀬、十月が丹沢、最近は、領国から遠く離れた所ばかり、ひろたりあんは地域密着ということを忘れたか? それに、軍費(経費)に幾らかかると思っておるのだ。さてさて…お主も懲りぬお方よの〜、案を出せばいいというものではないわ。出直してまいれ!」と、皆の前で面罵されるありさま。

 あの男に軍費うんぬんを言われるのは片腹痛いが、それを持ち出されたら、こちらの案も危ない。

「次! たまプラーザ衆」

「は、我らたまプラ衆は、お・・・小田原に参りとうござる」

「なに、小田原じゃと?…勝野殿、わしの話を聞いておらなんだか? 地域密着と申したのを…」

「あいや、しばらく。小田原には、難攻不落の名城、小田原城がござる」

「わかっておるわ。先ごろの大河ドラマでもやっておったが、越後の上杉、甲斐の武田という最強軍団に攻められたても、頑として落ちなかった戦国屈指の名城じゃ」

「その小田原象、いやオダギリジョー…、いや、小田原城を見事落として(取材して)みせまする」

「ナニ、小田原城を?お主が? …ムハハハ、わしはまた、お主のことだから、かまぼこか干物の取材かと思ったわ。しかし、競い馬が専門の勝野殿に、城や歴史がわかるかのう?」

「むろん、その方面は、宮澤殿にご同行していただき、お知恵を拝借させていただかねばなりますまい。なんといっても、廣田城の山本勘助、いや竹中半兵衛、黒田官兵衛、いやいや諸葛孔明ですからのう」

「ガハハハ、で、あるか」

「あ、そうそう、小田原では四年前から町おこしの一環として、『小田原おでん』に力を入れておるそうな。それに柳屋のあんぱん。これも馳走つかまつる」

「おお、柳屋のあんぱんに小田原おでんとな! ふむ、あいわかった。たまプラ衆、勝野、井口の両名に小田原攻略を許す」

「はは、ありがたき幸せ」


お城の中の動物園
 小田原城の南口の駐車場で車を降りた三人は、お堀にかかる住吉橋を渡り、平成九年に復元されたという銅(あかがね)門をくぐり二の丸に入る。思ったより広大な敷地に、初めて来たという井口担当は目を丸くするばかり。

「いつも、駅から天守閣を見るだけだったから…、こんなに広いとは思いませんでしたよ」

「なに言ってるの。これだって一部だよ。最盛期には周囲九キロの総構えで、町全体をスッポリと城域に取り込んだ、日本最大規模の城が小田原城なのだ。

 お、あそこに『歴史見聞館』がある。ちょっと勉強していこうか」という宮澤さんを慌てて押し留める私と井口担当。

「宮澤さん。取材の約束をしているから、先に本丸へ行きましょう」

「取材の約束? あ、そうなの?…なら、しょうがない」

 見聞館を素通りして、二の丸から本丸へ続く階段を上り、正門である大きな「常葉木門(ときわぎもん)」から本丸に入る。ここで知らないで訪れたお客さんは、誰もが驚くことになる。

 なぜなら、天守閣がそびえる本丸の敷地はそのまんま動物園になってるのです。

「城の中に動物園があるといえば、有名なのが姫路城や和歌山城だけど、本丸が動物園なんて、まずここだけじゃないかな」

「さすが日本の城を400以上もまわっただけのことはありますね」

「正確には465だ。 おっ、象のウメコも健在じゃないか。それにしてもこいつ、いったい何歳になったんだ?」

「えっ、宮澤さん、ウメコのこと知っているんですか?」

「当たり前だろ。小田原城は二十五年前に来てから、これまでに7、8回来ている。昔はライオンや熊もいたんだ。中でもウメコは、この天守閣が建つ前からここに住んでいるんだからね。まさに小田原城の城主といってもいいくらいだ。なんだか、ウメコに会うとホッとするよ」

還暦を迎えた象
「そうだったんですか…、じ、じつは…今日の取材のメインは、このウメコなんです」と、恐る恐る新聞の切抜きを差し出す二人。

「何これ? ナニナニ小田原城の象、ウメコ還暦、絵本に…」
 六十歳を迎えたウメコの還暦を祝うイベントと、そのウメコの話を、秦野市の主婦が絵本にしたという記事です。

「象の取材だけで、小田原までは無理だと思って…城の取材も付け足したんです」

「ということは…取材の約束している相手っていうのは…もしかして」

「ウメコの飼育員の方です」

「それを早く言えよ、象は象でも、ウメコなら話は別だ。じゃあ、先に飼育員さんを取材して、お城の方はあとにまわそうよ」

 

 「昭和二十五年の九月に、小田原で『こども文化博覧会』が開催されたんですよ。動物園はそれがきっかけで開園しました」

 ウメコの飼育員の二見さんは、ウメコが来日した時のことから、話してくださいました。『こども博覧会』は「戦争で荒廃した、こどもに夢と希望を与えよう」という主旨で、当時全国各地で開かれました。お城が使われたのは、広い土地が城跡くらいしかなかったからです。

 戦時中、象が薬殺されたりする話が残っているように、象を再び目にすることは、子供達だけでなく、大人たちにとっても、平和が戻ってきた喜びを実感できたことでしょう。

「タイから推定三歳で日本にやってきたんですけど、来日してから何日間かは、検疫のため上野動物園にいたらしいんです、そのとき一緒だったのが、『井の頭自然文化園』にいる「ハナコ」なんですよ」

 ですから、ハナコもウメコと同じ、六十歳。ちなみに、現在日本で一番長生きの象は、神戸市立王子動物園の「諏訪子」六十四歳です。

「当時のウメコの体重は450s。今は3トンくらいですね。最初は1メートルちょっとでしたから、飼うにはよかったんでしょうけど、これだけ大きくなっても、小田原城が国の指定史跡ですから、象舎が広げられないし、いじれない。一番のネックはそれですね。 

 狭くて可哀相だから、どこか他の施設に移した方がいいんじゃないかという意見もありますが、歳が歳ですし、何十年も暮らした環境を考えると…。とても神経質なので、トラックに乗せて移動させられるかという問題もありますから…」

 国の史跡に動物園があるのは相応しくないと、小田原城から次々に動物が姿を消しています。ウメコが存命のうちは存続は保証されていますが、親しんできた市民の気持ちはどうなんでしょうか…。

「18年世話をしてますけど、横になっている姿は、一度も見せたことないんですよ。突然後ろから近づくとびっくりして、振り向いた瞬間に鼻がムチのように飛んで来るので、近づく時は『ハイ、ハイ、ハイ』などと声をかけたり、手やモノを叩いたりしながら近づきます。命にかかわりますからね。そういう意味では、野生を失っていない。でも、どこまで自分のこと象と思っているのか分からないですね(笑)。

 頭がかゆいときは、だまって頭を下げるんですよ。そうしたらデッキブラシでこすってあげるんですけど、あと、口の中もブラシで磨くんです。そうすると、うっとりと恍惚の顔をしてますよ。そういうところは可愛いですね。それに結構頭もいいんですよ。以前、リンゴが、檻の外の届かないところに転がって行ったんですよ。そうしたら、そばにあった藁を自分の鼻で編んで、紐状にしてから、鼻を使って、りんごに当てながら、少しずつ、少しずつ、自分の方に転がして取ったんですよ」

 道具を使えるのは猿だけじゃないのです。若い頃は、さまざまな芸を披露してお客さんを喜ばせていたそうです。

 食事は、サツマイモ、ジャガイモ、かぼちゃ、にんじん、キャベツ、稲藁などで、一日に七十キロ位食べるそうです。

「芋などは一個、一個、悪いところを取っています。お腹を壊したら大変ですからね。大好物は笹の葉ですね。逆に嫌いな食べ物は、キウイ、マスクメロンなどのケバだった物。還暦の祝いにケーキを作ったんですけど、イチゴとメロンは残してましたよ(笑)」

 普段は9時から15時まで運動場に出ていますが、天候が悪かったり、調子によっては、途中で中へ入ったりということもあるそうです。

「天候が悪く扉を開けないでいると、足で扉をバッコンボッコン蹴るんですよ。ケガすると困るので開けるんですけど、雪があったりすると、出るか出ないか迷った挙句、お尻から出ようとするんです。笑いますよ。あと、お客さんでパステルカラーの服とか、キラキラするものはダメみたいです。毛皮もダメですね」 

 野生の本能なのでしょうか。気に入らないと、水をかけることもあるそうです。

 ある時、会社でイヤなことがあったというサラリーマンがやってきて「ウメコを見ていたら、ウメコも自分をジッと見てくれて、なんだか優しく励ましてくれてるようで、気持ちが晴れました」と喜んで帰っていったそうです。

「実はウメコはネクタイしている人が嫌いなんですよ。だから、ジッと見ていたのは、気に入らない奴がいるんで、睨んでいただけなんですね。たぶん、その時は完全にロックオンしていたんですね。よかったですよ。水をかけられなくて(笑)」

 

 ちょうどこの日は、象舎の隣にある鳥舎を取り除く工事をしていて、重機の騒音が園内に響きわたっていました。その重機の前には背広を着た工事担当らしき二人の男性が。

 ジッとその後姿を見つめるウメコ。ロックオン完了。やにわにプールに駆けていったかと思うと、鼻先でシャッと水を吸い。戻ってくるなり「バシャッ!」

 もう一度水を吸って、二発目をかけようと戻ったら、頭からびしょぬれの二人の男性は、「こらっ!」怖い顔で睨まれると、そのまま何事もなかったかのように運動場に吐き出すお茶目なウメコ。

偶然目撃しましたが、やってくれます。

 

 

 「私が小学生のときに小田原にやってきたウメコに今、孫と会いに来ています。」「今妊娠しているので、この子供が大きくなるときまで元気でいてください」などなど、還暦祝いのメッセージは、千五百通も届いたそうです。この日も、おばあちゃんとお母さんに連れられて、ウメコに会いに来たというお子さんがいました。三世代、もしかしたら四世代でウメコに会いにくる方もいらっしゃるかもしれませんね。

 最期に二見さんから、横浜市の皆さんへのメッセージです。

「ウメコの還暦のお祝いのメッセージを、横浜の方々からもたくさんいただきました。今は寒い季節ですが、箱根や伊豆に行かれるついでにでも、ちょっと小田原城に寄っていただいて、ウメコの元気な姿を見に来てあげてください」

 二見さんには、書ききれないほど沢山ウメコのエピソードを伺いました。ありがとうございました。また遊びに来ます。

                                      (勝 野)


「こらっ、お主ら! わしをたばかりおったな。わしが説明した小田原城のことは、ひとつも書いてないじゃないか。しかも、柳屋ベーカリーのあんぱんは売り切れているし…。む、無念じゃ〜」

「いいじゃないですか。おでんは食べられたんだから」

「ぬぐぐ〜、確かに。小田原浜町かまぼこ通りの『小田原おでん本店』はウマイ♪情緒のある店構え、清潔で落ち着いた店内のカウンターがいい。ネタも豊富でいろんな味が楽しめますよ。取材の帰りということで、お酒が飲めなかったのが…あ〜やっぱり無念じゃ〜」 

http://www.kamaboko.or.jp/odenkai/honten/index.html

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