■ひろたりあん通信バックナンバー
 ▼2008年7月号
地名推理ファイル歴史探偵 高丸の地名推理ファイル」
■街道を往く 大山街道編 8

 「樹齢六百年ですか。それにしてもりっぱですねぇ。火事があったのが明治3年ですから、460歳くらいで大やけどを負って、更に138年も生きたことになりますか。大した生命力です」

 津屋さんが、感心しつつ一里榎の古木を眺める。幹を縦に裂くようにぽっかりと開いた空洞、火災で負った大きな傷跡が痛々しい。

「荏田と恩田にもあったそうですが、今残っている榎は、ここだけですからね。不老長寿のご利益のある榎として名所になってもいいくらいですよ」

 そばに寄って撫でてみたら、ご利益があるかもしれない…と思ったが、ここは他人の家(土志田さん宅)の庭だ。いくら門扉が無くて、入口から数メートルの距離だといっても、勝手に入れば不法侵入になる。

移された木
 主要な街道に一里塚を設置するようになったのは慶長九年(一六〇四年)だという。一里塚には目印として松や榎が植えられた。

 「榎が植えられた理由が面白いんですよ。確か、一里塚に松を植えたところ、松並木と紛らわしいというので、家臣が徳川家康にどうしましょうと尋ねたんですね。それで、家康が『余の木(別の木)を植えよ』と答えたのを、家臣が聞き間違えたんだそうです」

 「ヨノキをエノキにですか? 宮澤さんが荏田宿で、榎から猪木を連想したのと大して変わらないですねぇ、ははは」

 「そうなんですよ。でも、岐阜県の大垣に榎戸と書いて『よのきど』と読む町があるんで、一概にダジャレでは片づけられないんですよね。ただこの話、家康が信長や息子の秀忠になっていたり、『余の木』じゃなくて『ええ木』と言ったことになっていたり、土地によってまちまちなんです」

「なるほど、言い伝えにはよくある事ですね。あ、ところで、この榎は区画整理で場所を移動したんですよね。元々はどこにあったんでしょう?」

「あっ、それなら知っています。この道のこの辺りです」

 この道とは、一里榎が一里塚の目印なのだから、もちろん大山道である。

 「榎の右の塀際に、これもりっぱですが椎の木がありますよね。この椎の木の向こう。つまり、塀の外の道路の真ん中…、ん〜、よりちょっと左ですか」

 わかりやすく説明すると、大難(おおな)の辻のNTTの前を斜めに入る細い路地が旧道の幅で、そのまま田中屋マートのあった大通りを渡ると、道幅が1・7倍ほどになる。この広がった分が区画整理の時に土志田邸側に拡張された。それに伴って道沿いにあった榎も、今の位置に数メートル移動したのである。

 「じゃあ、いくらも動いていないんですね。区画整理で移植されたと聞いたから、もっと遠いところから移されたのかと勘違いしましたよ。よく考えたら火災に遭っているんですからね。これはうっかりしていました」

 「今は火事の時の傷跡がこちら(門の方)を向いていますよね。ここにあった時は、邸の方を向いていたんですよ」

 「なるほど」

 「因みに、この椎の木も移植されたんです。ただし、こちらは多摩川の渡しの所にあって、誰も貰い手がいないので、土志田さんが30年ほど前に譲り受けたそうです」

 「ほぉ、そうですか。それにしても詳しいですね」

 「実は土志田さんからお聞きしたんです。それから、この門の前には水路があって、ここに小さな橋があったそうです」

ふるでえもん
 一里榎から50メートルほど進むと、T字路で大きな壁にぶつかるが、大山道の旧道はそのまま、まっすぐ続いていた。現在、壁の上は住宅地になっているが、一里榎から見ると住宅地の上に顔を出す電柱のあたりまで、切り通しの坂道が続いていたそうだ。

 「いやー、相当な傾斜ですね」

 「しかも赤土だったので、車はすべって登れなかったそうですよ」

 坂道の右側には畑、左側には竹やぶが道を覆うように繁っていた。その竹やぶには奇麗な清水が湧いていて、山裾を流れるせせらぎには、川(沢)蟹が、茂みにはコジュケイが沢山いたそうだ。

 そんな長閑な坂を思い描きながら、二人は行き止まりのT字路を左に曲がり、新道に出てから歩道を西に登った。

 「その切り通しの道は、この先にある医薬神社に出るんですね」

 「そうです。医薬神社の場所は今と変わっていません。ですが向きは180度方向転換しています。立て直す前はこちら(市ヶ尾方面)側が正面でした。つまり、坂道は医薬神社の参道だったわけですね」

 医薬神社の名前は東光寺というお寺の山号から付けられた。天正年間(安土桃山時代)に創建されたという東光寺(正式には、医王山薬師院東光寺)は、明治初年の廃仏毀釈で廃され、祖先の御霊を祭る医薬神社となった。

 この辺りの集落の人々は、こぞって神道に宗旨替えをしたそうだ。因みに、この辺りの集落を「和田」という。ここから先、急な坂がたくさんあったことから「和田の七坂」と呼ばれていた。

 信号の右手に医薬神社が見えてきた。神社の裏手(かつての正面)にも入り口があり、そこには道祖神や地神塔などの石仏が祀られている。さきほど曲がったT字路の辺りにあったものが、ここに移されたのだ。

立て直す前の医薬神社正面(上)

正面が反対になり、大山道の旧道だった場所は

下のような駐車場になっていました。

「津屋さん、東光寺はここから道を少し下って、左に行く道を登ったところにあったそうですよ。平坦な千坪ほどの畠で、その辺りを『ふるでえもん』と言ったそうです」

「ふるでえもん…ですか?」

「古い大門ですね。大門は東光寺の大門です。東光寺は火災などで何度も移転したそうですから、寺の跡は他にもあるそうです」

                 (この項、医薬神社の宮司・谷本さんにお聞きしました)


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