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子どもの頃、日本の地理に興味があった。
日本地図をながめながら、まだ見ぬ土地に思いをはせつつ、自由に旅行ができない子どもの身を呪った。その満たされない欲求を、いくらかでも救ってくれたのが「時刻表」だった。
新幹線網が今よりもずっと疎だった時代、さまざまなバリエーションで、日本全国を列車が行き交っていて、特急列車に乗って、あるいは夜行寝台に乗って、と少年の仮想旅行の選択肢は無尽蔵にあった。
上京して、東京で学生生活を送り始め、仮想旅行は現実の旅行に姿を変えるはずだった。もちろん選択肢は無尽蔵のはずだった。ところが、ようやく子どもから卒業したとき、青年は新たな現実に気がつく…、旅行にはお金がかかると。そして、地方出の学生はたいてい貧乏であると。
結局は周遊券片手に、鈍行列車を使い、ユースホステルで雑魚寝(時には駅で寝袋)という選択肢だけが残ったのである。
「鉄道マニア」を「鉄ちゃん」と呼ぶ。たとえば大塚担当、その鉄道知識は多岐にわたり、しかも充分に深い。なのに、未だ日夜研鑽をやめず、なんら利益を供与してくれない鉄道知識の蓄積に、時間と金を惜しみなく使い続ける彼は「鉄ちゃん」の鑑だ。
かつて「時刻表」を抱えて鉄道旅行を趣味としただけの私とは、根本的に異なるのだ。以前彼に「鉄道名人」の称号を与えたが、名人ではまだ足りない。だから私は、尊敬をこめて「鉄道バカ」と呼ぶのだ。大塚よ、極真空手の巨星、大山倍達に倣って、鉄道バカ一代を貫いてくれ。
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今月号で予定していた企画がボツになったそうです。すでに年末、そして新年を迎えようとするこの時期に、一から取材し原稿を書こうなんて物好きはそうはいません。僕だって御免です。頭を痛めている編集キャップと宮澤さん。
「どうします? 今更取材を快く引き受けるような『バカ』はいませんよ」
「うーん、あっ、そうか!一人いるじゃないか『バカ』が!」
「?」
「要するにアメとムチだよ、『バカ』を動かすには」
「はあ…」
多分そんなやり取りがあったんだと思います。
「大塚君、取材してきてくれないか?」とキャップ。
「いやですよ、年末年始はゆっくりしたいですよ」
「取材先が鉄道博物館でもか?」
鉄道と聞いて、鉄ちゃんの血が騒ぎ始めます。
「地道な貢献を続けてくれたおまえに対するお年玉と思ってくれ」
「はいっ、ありがとうございますっ!」
「鉄道バカっぷりを、思う存分発揮してくれ」
やっぱり物好きな『バカ』とは、僕のことだったんですね(涙)。
鉄道バカのこだわり 「さぁ〜て、大宮までどうやって行こう」
鉄道マニアは、最短距離・最短時間で移動しようとは考えません(僕だけ?)。「久しぶりに八高線に乗ろうかな」 ということで、田園都市線で「長津田」、横浜線で「八王子」、そして八王子から川越線直通の八高線・川越行に乗り「川越」で埼京線新木場行きに乗り、「大宮」に辿り着きました(最短で来るより、一時間ぐらい余計にかかりましたかね♪)。
大宮からは、ニューシャトルに乗り換え。都内でいえば「ゆりかもめ」横浜でいえば「シーサイドライン」みたいな乗り物です。一応電車の範疇の乗り物ですが、タイヤで走るんです。「ガタン、ゴトン」っていう、レールのつなぎ目の音はしません。ニューシャトルで一つ目の駅、「鉄道博物館駅」で降ります。
鉄道博物館は、あちこちのメディアが取り上げています。だから、ありきたりなことはしたくありません。僕大塚にしかお伝えできない切り口で、読者の皆様にお届けしようと思います。
改札を出ると、オープン時間前なのにすでに行列(唖然)。「入館待ちの方はこちらへ」とプラカードを持った係の方がいました。
しばらくするとオープン時間の十時になり、行列の人々が入館券販売機に案内されます。そのあとをついていこうとすると、係の方に止められ、「しばらくお待ちください」とのこと。その間、入り口前のD51機関車の『顔』を撮影(交通博物館の入り口にあったものです)。そうしているうちに「どうぞ券売機へ」と案内をされました。入館料は、大人千円です。SuicaやPASMOでも入館できます。
ゲートを過ぎて一番に目に飛び込んできたのが「SLシミュレータの整理券の配布は終了しました」のプラカードでした。さすが一番人気のアトラクション、やっぱり開館前の行列のさらに前の方で並んでいないと無理なようです。
気を取り直して、まずは建物の外、「パークゾーン」にやってきました。ここは、ミニ運転列車が走っています。基本的には子供向けですが、そんなの関係ねぇ〜! ところが、これも整理券がもらえなかった、オッパッピーです(号泣)。
首都圏を今現在走るいろいろな電車がみごとにデフォルメされた姿で、行き交っています。一番驚いたのが「警笛」です。本物そっくりの音がします。ただ、レールの敷かれ方が実物ではありえない曲がり方をしていたのはご愛敬というところでしょうか。
ラーニングゾーン・コレクションゾーン 次に階段を登り、建物の中へ「ラーニングゾーン」にやってきました。
ここは、鉄道の機械的な仕組みや原理を勉強できるところです。交通博物館から引っ越すにあたり、新しいものを制作したみたいですね。ここでの内容は、「鉄ちゃん」には基本ですので省略します(笑)。
建物2階を奥に進みます。ここはコレクションゾーン。古い鉄道部品や標識・設備などなど、懐かしい品々が並びます。この中の一番の気に入ったのは自動券売機。
小学生の頃、子供料金のボタンがプレートに隠れていて(写真ではプレートがなくなっています)、これをめくりながら、ボタンを押したものです。小学校高学年の頃は、子供料金の切符を持って改札を通ると、切符切りの駅員さんににらまれているような気がして(六年生のとき一六〇センチ以上あり、中学生と間違われる気がして)、わざと小学校の名札をつけて、電車に乗ったのを思い出しました。
11時になりました。このあと12時から鉄道模型ショーがあるので、早めのランチにします。同じことを思っている方がいるようで、すでに行列でした。
メニューは、昔の食堂車のそれを再現したものだそうです。選んだのは、カツカレーセット。在来線の食堂車の思い出はないのですが、東北新幹線のビッフェで、立ちながらカレーライスを食べたことがあります。
当時の東北新幹線ビッフェには、スピードメーターが付いていて、二〇〇キロ以上の表示がされるとカレーの味が分からなくなるくらいワクワクしたものでした。
セルフサービスのカウンターから料理を受け取り、席に着きます。高崎線や宇都宮線・埼京線の電車が窓の外を行き交います。東北新幹線車内で食べたカレーの付け合わせは「らっきょう」だったような気がしましたが、このカツカレーには福神漬が添えてありました。
鉄道模型ショー
腹ごしらえができたので、鉄道模型ショーの行列に並びます。時間は十一時半です。すでにたくさんの人がいます。見渡すと、子供連れの家族とシニアの方が半々ぐらいでしょうか。
時間になり入場します。日本一の大きさを誇るHO(エイチオー)ゲージのレイアウトです。係のお姉さんが子供たちにアナウンスをします。
「みなさーん、ショーが始まると暗くなりますが、いい子で座っていてくださいねぇ。できる子、手をあげてお返事してくださ〜い」
子供たちが一斉に「は〜い」といいお返事をします。なごみますねぇ。

ショーが始まります。在来線の特急のアナウンスの前に、必ず聞くことができた懐かしい音色が響きます。鉄道唱歌のオルゴールです。思わず目頭が熱くなります(オーバーかな)。
懐かしさに浸っている暇もなく模型ショーが進んでいきます。朝・昼・夜と時間の経過を再現し、山手線・新幹線・夜行寝台列車と動かしていきます。夜が明けてショーのお話は終わるのですが、夜通し新幹線が走ってしまっていて、リアリティに欠けるのが残念です(えっ、誰もそんなことは気にしてないって)。
4階の屋上に出ました。そこでは、フェンス越しではありますが、颯爽と駆け抜ける新幹線を目の前で見ることができます。
贔屓目ですが、JR東日本の新幹線は種類が多くて楽しめます。時刻表片手に、大宮駅の時刻を参考に次は何系の新幹線が来るか考えながら眺めているというのも「おつ」な楽しみ方かもしれません。この時期は寒いのでという方には、室内から眺める場所も3階にあります。

特急『あいづ』急行『ばんだい』
鉄道バカの原点ここにあり。
最後に今回のメインイベント、1階の「ヒストリーゾーン」実物車両展示コーナーへと降ります。
「485系」特急型電車と「455系」急行型電車とのご対面です。
ここでは、上野駅の当時の場面を再現しています。両親の出身が「会津若松」だったので(僕は東京生まれ)、東北新幹線ができるまで、田舎に行くときは必ずどちらかに乗りました。
鉄道博物館の方のご配慮により?(んなワケはなく、たまたま)485系の列車愛称のプレートが「あいづ」になっていました。今回の企画をやるにあたり、実家の母に「あいづ号の写真残ってないかな」と電話してみたのですが、あいにく見つからないとのことでした。でも、目には焼き付いています。たしかにこの構図です。ボンネット型先頭車両に白いプレートに「あいづ」の文字を目にして、またも、懐かしさにうるっとしてしまいました。
隣にいるのが455系。これにも、エピソードが。当時、上野を十二両編成で発車した「455系」電車は、福島県の郡山駅で切り離しをしました。前の六両は、山形行き「ざおう」や仙台行き「まつしま」で、僕たちの乗る、会津若松行き「ばんだい」は、上野よりの後ろ六両でした。郡山に列車が到着すると切り離しシーンを見たいと思い、作業をする係の方のじゃまにならない辺りで見ていると、係のおじさんが「ぼく、ここに座ってていいから」と運転席を指差し、促してくれました。
「いいの? ほんとうにいいの?」と何度もおじさんに聞きながら遠慮がちに座りました。「でも、機械にはさわっちゃだめだよ」と言われ、「うん、さわらないよ」と答えたことまではおぼえているのですが、あまりのうれしい出来事にあとは夢心地でした。運転席の計器類を見ていたのはおぼえていますが、肝心の切り離しのシーンはどうでもよくなっていました。係のおじさんの粋な計らいは、一生の思い出です。

今回、実物を初めて見たのが、ナハネフ22です。初代ブルートレイン(20系)の車両です。実は、鉄道博物館オープン5日目に、プライベートで来たんです。その時は、このナハネフ22の中に入ることができました。
「こんな貴重な車両に人を入れていいんだろうか!」と驚いたんですが、やっぱり今回は「立ち入ることができません」となっていました。
前回、三段式の寝台を初めて見ることができ、左右に分かれたガラスの左側の場所(写真参照)が展望スペースだったということが分かり、感動したのでした。
近頃、寝台特急が廃止されるニュースをよく耳にします。この車両に付けられている特急の名前「あさかぜ」も今は走っていません。学生時代24系のブルートレインには乗りましたが、それさえももうすぐ乗ることができなくなりつつあるのが、非常に悲しいですね。
まだまだ、お伝えしたいことがあるのですが、またキャップに「長すぎる」と文句を言われそうなのでこれぐらいにしたいと思います。
男なら、いや老若男女問わず、一度は鉄道博物館に足を運んでみてください。長い歴史と各地の風景を見てきた車両たちがきっと心のすき間を埋めてくれるはずです。
(大 塚)

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