■ひろたりあん通信バックナンバー
 2008年5月号
 大山はとうふを食べて思ふもの
  
鉄ばか、歴ばか、大山参詣珍道中!

 仲間三人の酒席で「最良のつまみは何か?」という話題になった。

 「炙った海苔を、わさび醤油で食べる!これがいいよなあ」

 とj、相槌を求めたが、二人の「はあ?」という表情には、微かに「おまえは女房にそんなものしか出してもらえないのか」という憐憫の色が混じっている。

 「それじゃ、おまえらは?」と問うと「豆腐」と口を揃えた。

 妻に手をかけてもらえない点では、五十歩百歩じゃないか。でも確かに豆腐もいい。「冷奴をわさび醤油で食べる、これがオツなんだ」すると「おまえは女房にネギも刻んでもらえないのか」と憐憫の色を深くする。この場に妻がいなくてよかった。それにしてもだ、おまえら、豆腐の角に頭をぶつけて死んじまえ! だ。

 「でも、豆腐の誕生以来、誰一人と豆腐に頭をぶつけて死んだバカはいないだろうな」 もっともだ。

 今月号の特集取材が、先方の都合で中止になった。その代案として、大井町線沿線を取材したいと宮澤担当が提案してきたが、インパクト不足でもちろん却下。

 「大山に登って来い、これは命令だ」大山街道の歴史エッセイを連載する彼が、大山参詣未経験は笑止千万ではないか。山登りに不自由な体型を懸念する宮澤担当に「大山名物の豆腐料理を食ってきてもいいから」と言い含め、渋々ながら了解させたが、可哀そうなのは山登りに超不自由な体型の大塚担当で、無理やり道連れにされた。

 彼はきっと私に対して「豆腐の角に頭をぶつけて死んじまえ!」と呪っているであろう。かまうもんか、豆腐誕生以来そんなバカは多分一人もいないのだ。 

 

★          ★          ★ 

「あれっ、なんで止まってるの?」

 バスの停車時間が異様に長いのに気がついた。

「道が狭いから、対向車線を下ってくるバスを、やり過ごしているんですよ」

 なるほど、しばらくすると伊勢原行きの路線バスが上から下りてきた。車がすれ違えないほど狭い道。この道こそ、荏田や市ヶ尾、長津田から続く大山街道なのである。

 伊勢原の駅から大山に向かうバスは、東名高速のガードをくぐり、産能大学近くの石倉橋付近で、この大山街道に合流する。駅から終点の「大山ケーブル駅」のバス停までは約二十五分。ケーブル駅といっても、ここからケーブルカーに乗れるわけではない。ケーブルの駅は、ケーブル駅から土産店や宿坊が並ぶ「こま参道」という階段の道を、さらに十分ほど上っていかなければいけない。

 大山。青葉区・都筑区からは、丹沢山塊の山並とともに、ピラミッド型の美しい山容を見せる。別名「雨降山」。雨乞いの神様でもある大山は、古くから神の宿る山として崇められてきた。

「宮澤さん、なぜ大山なんですかねぇ?」参道を歩きながら大塚君が不満げにつぶやく。

「まあ、そういうなよ。ひろたりあんの二十年の歴史の中で、実は一度も大山を取り上げてなかったんだから」

 たぶん、山登りという過酷な企画を提案する者がスタッフの中にいなかったのが理由だろう。

「私だって、絶対出しませんよ」 

 だろ。今回の取材は、編集キャップの強権発動である。一応提案してみた「東急大井町線・ぶらり途中下車の旅」の企画がボツになったことよりも、彼にとって体力を使う企画がそもそもありえないのだ。

ケーブルカー
 正直しんどい。土産物屋さんを覗く余裕もない。私より十歳も年長の宮澤さんも、さぞかしへばっているだろう…と振り返ると、なんと、きゃらぶきの佃煮屋さんで、「新・ふきのとう」の佃煮を試食していました。

「この苦味がいいんだよね〜」

 こっちは心が苦(にが)いです。

 やっと「追分駅」に辿り着きました。もちろん、鉄道バカとしては、ケーブルカーに乗らないわけには、いきません!私大塚は早々と自分の足で登っていくことを放棄いたします。

 「昔の人は大山街道を何十キロも旅してから、山に登ったんでしょう?とても信じられませんよ」

 「参道だけでへばっている君の体力の方が信じられないよ。仕方ない、じゃ、先に行って下社で待っててよ」と、歴史探偵、まさかの登頂宣言です。

 「宮澤さん、あとで後悔しますよ、絶対!」と引き留めようとしても、言うことを聞きません。

 「こうみえても、日本全国…そう、四百以上の山城を歩いて制覇、攻略してきたんだ。山登りはまっかせなさい」

 攻略って…十年前のことでしょ。知りませんよ、助けてコールの電話をしても、助けになんか行きません。いや、行けませんからね。

 私大塚は、さっさっと窓口でケーブルカーの往復切符を入手します。だって山は登りより、下りの方がしんどいって聞いてますから(笑)

 ケーブルカーは、二十分間隔で運転されています。係員さんのアナウンスがあり、改札が始まりました。ついにケーブルカーの車両とご対面です。緑色の車両「おおやま号」です。かわいいパンタグラフが3つも付いていました。

 箱根や高尾山・奥多摩の御岳山、これまでにもいろんなケーブルカーに乗りましたが、大山は初めてです。車内に乗り込むと製造メーカー(日立)の銘板を確認します。なんと昭和四〇年(製造)と記されていました。それ以来、ずーっと使われ平成5年に更新工事をされたようです。私より5歳先輩です。宮澤さんより5歳年下です。

 ただ、鉄ちゃんの常識としては、普通の電車だったらこの年代の電車はとっくに引退していてもおかしくないのですが…。 

 ケーブルカーが動き出すと同時に観光アナウンスが放送されます。内容を聞いて驚きました。戦前にあったケーブルカーは、戦時中に営業中止になり、軍にそのレールを接収されてしまったそうです。

 そう言えば、以前鉄道博物館に取材に行ったとき、ケーブルカーの原理が解説されていました。

 つるべ井戸のようにケーブルで車両が繋がれているケーブルカーの場合、通常の電車とは違い、行き違いをする分岐器(ポイント)は、レールが動いて切り替わる仕組みではなく、内と外の車輪の形の違いで切り替わるのです。

 この年になって初めて仕組みが理解できました。恥ずかしながら感動的な出来事でした。詳しく知りたい方は、鉄道博物館とこの大山ケーブルカーに見学に来てください。

女坂の七不思議
 石段の片隅にヒメレンゲが咲いていた。黄色くて小さい花だが、まぶしいほどに輝いている。小さな命に元気をもらって出発だ。

 追分駅から下社までのルートは、「男坂」と「女坂」の二つがある。当然「男坂」の方がきつい。道標にも「下社まで四十分、楽々女坂」と書いてある。しかも、女坂には「七不思議」というミステリースポットがあるらしい。根性よりも好奇心。自分の意に反して、泣く泣く女坂を選ぶ。面白い記事を書くためだ。こんな私を誰が責めよう。

 坂といっても、ほとんど石の階段である。その階段をひたすら登っていくと、最初に出会ったのは「大師が杖を突いて湧き出た「弘法の水」。

 弘法大師の湧き水伝説は全国各地にある。隣の秦野にも「弘法の清水」というのがあった。さほど珍しくもないので、ここはスルーしよう。

 続いて現れたのは「いつの間にか童の顔に変わった子育て地蔵」だ。いつの間にか…というのが漠然としている。それよりなにより、このお地蔵さんデカイ。顔も体もデカイ。まわりのお地蔵さんが小さいせいか、よけいに大きくみえる。ふと大塚君の姿と重なった。きっと彼の両親もどこかの子育て地蔵にお祈りしたに違いない。(それも熱心に祈りすぎた観もあるが…)。

 因みに私たち二人をメタボ兄弟と揶揄するスタッフがいるが、一緒にしてほしくはない。彼と私とでは、メガマックとビッグマックほど差があるのだ。

 三つめの不思議「爪切り地蔵」。こちらのお地蔵様も体が大きい。が、小顔である。弘法大師が道具も使わず手の爪で一晩かけて彫ったという。何事も一心に集中努力すれば実現できるとの教えだそうだ。

「フリッツ・フォン・エリックか!」 このツッコミ、分かるのは四十代以上だろうな〜。

 四つめの「根元が細い逆さ菩提樹」は、どこが逆さなのかと目を凝らしたがわからなかった。それもそのはず、十年前に植え替えた二代目で、今はいたって普通の菩提樹なのだ。

大山寺
 「大山のお不動さん」で親しまれる「雨降山大山寺(あぶりさん・だいさんじ)」に到着した。大山に弘法大師の逸話が多いのは真言宗の寺だったからだ。

 この寺のご本尊は鉄で出来た不動明王で、関東三大不動のひとつに数えられている。因みに、あとの二つは成田山新勝寺と新撰組副長・土方歳三の菩提寺、日野の高幡不動である。

 参拝を済ませ、先を急ぐ。五つめの不思議は「話をしながら渡ると、橋から落ちたり、忘れ物や落し物をするといった災いが降りかかる無明橋」(説明板による)。

 幸いなことに周りには人がいない。ひとりで話をしていたら怪しい人だ。さっさっと渡る。

 続いて六つめ「潮騒の音が聞こえる潮音洞」を見つけた。洞(ほこら)に近づき、心を鎮め、耳を澄ますと、潮騒の音が聞こえてくるらしい。さっそく四角い穴に、耳を近づけて心を鎮める。

 「ゴッゴッゴッ」うん?「ゴッゴッゴッゴッゴ…」おおっ! 聞こえてきた。

 「ガシャンガシャン」…?てっ?

 なんのことはない。すぐ近くを登ってくるケーブルカーの音であった。

 さあ最後の不思議、七番目は「手を触れてお祈りすれば、眼病が治るという眼形石」である。

 眼の形といわれても…?どこが?とにかく(視力がよくなりますように…)と、石を撫でてお祈りする。

 見ると、石の上には美しい十一面観音菩薩の像が…。この仏像を撫でたら、観音様のようにスリムで、鼻筋の通ったイケメンになれるのなら…、とりあえず、観音様も撫でておく。

 七不思議を巡りながら登ってきたせいか、さほど苦もなくここまで来た。その反動か、目的が無くなってからの一段一段がきつい。しかし、目の前を三、四歳のお子さん連れのご夫婦が登っているではないか…。

 負けちゃあいられない。最後の階段は、笑う膝を叱咤しつつ登った。

一転にわかに掻き曇り…
 下社駅でケーブルを降り、境内で待つこと二十分、やっと携帯が鳴りました。

 急いで下社広場の茶屋に行くと、宮澤さんは片手にソフトクリーム、片手にお茶碗を持ちながら、茶屋のおばちゃんと談笑していました。

「大塚君も食べない?桜ソフト。桜の葉っぱが入っていて、メチャクチャ美味しいよ」

「いや、僕は歩いていないから…」

「そうだね」

(そんな、あっさり言わなくても…)

「これを食べたら、下社で参拝。そのあと頂上の本社まで行くからね」

「えっ! それ、真面目に言ってます?」

「当たり前でしょ」

「ここだって標高685m、眺めはいいですよ」

「景色を眺めに来たんじゃないよ。参拝、参拝、本社を拝まなきゃ何しにきたかわからんだろ」

 すると、茶屋のおばちゃんがひと言。「この時間から頂上に登ると、ケーブルカー無くなるわよ」

 二人とも、仕事を片付けてから出発したため、会社を出たのは10時過ぎ。現在13時を少々回っています。

「4時40分が最終だけど大丈夫? 往復だけで三時間かかるわよ」

 私の足なら片道で六時間です。やめましょう。すると天の恵みか、頂上付近に雲がかかってきました。

 「う〜ん、さすが雨降山。くっそー、あきらめるか〜…」残念そうな宮澤さんですが、内心ホッとしているに違いありません。

 下社に参拝し、時間に余裕ができたので、すぐ近くにある「二重の滝」を見学しました。

「この滝は、雨乞いの滝っていうんだけど…、大塚君、もしかして先に来てお祈りしてたんじゃないだろうね 。雨よ降れ〜っとか」

「ま、まさか…、(お祈りは家を出てくるときからしてたんですけど…)ははは」

「なに笑ってんの?ま、いいけど、帰りくらいは歩きなよ」

「残念。私はこれで」と往復切符を警察手帳のように見せます。

「かっ〜!そんなことだろうと思ったよ。じゃ、私は男坂で帰るから」

「またまた、あとで後悔しますよ、下りの方がしんどいんですから、絶対!」と引き留める間もなく、階段を駆け下りていきました。

とうふ処「小川屋」
 正直、後悔した。男坂の階段は、上から見ると目がくらむほどの急角度。一歩一歩慎重に足を運ぶ。気を抜いたら転落しそうだ。(それにしても、行きにこちらを選ばなくてよかった)

 男坂は行きも帰りも敬遠されているのだろう。途中誰に出会うこともなく追分駅に着いた。

 何とか無事に降りてきたら、待っていた大塚君が開口一番「なに食べますか?」ときた。

 「そんなの豆腐に決まっているだろ」

 「やっぱり、そうですよね」 なんだか不満そうだが、大山といえば豆腐だ。

 『とうふ処 小川屋』という老舗の店に入る。汗ばんだ衣服でお邪魔するのが憚れるほど、静かで上品な店構えだ。

「私は3150円の梅コースを」 

 お座敷に通され、席に着くなり料理と日本酒を注文する。

「じゃ、僕は…、2415円の竹でいいです。歩いてませんから…」
 遠慮しているのかダイエットのためか分からないので無理に勧めない。

 キンキンに冷えた阿夫利大山というい生地酒が涼やかなガラスのお銚子とお猪口で出てきた。まずは、そいつをグビリ。う、うまい! (断わっておくが、これは自腹である)


 さすが老舗。旬の食材を使った豆腐料理は絶品であった。とくに豆乳を使った湯豆腐は、豆腐を食べた後に引き上げ湯葉が楽しめる。カラフルな揚げ出し豆腐も美味。豆腐と侮るなかれ、コースともなると結構満腹である。

伊勢原温泉
「お腹もふくれたし、あとは温泉だな」と、宮澤さんが言い出しました。

「ここに温泉があるんですか?」こま参道にある宿坊には「日帰り入浴可」の文字が並んでいるが…。

「それもいいんだけど、伊勢原温泉というのが太田道灌の墓の近くにあるんだよ」

 それじゃあ、ということで道灌の史跡を訪ねつつ、伊勢原温泉に向かうことになった。

 伊勢原駅に帰る途中のバス停「道灌塚前」で下車し、5分ほど歩くと洞昌院というお寺につきました。

「ほら、ここが太田道灌の墓だよ。胴塚となっているけど、首塚は東名の向こうにあるんだ」

「はぁ…?」

 宮澤さんは神妙な顔で塚に手を合わせていますが、道灌が何をやった人が知らない私には、いまいちピンときません。 なぜか墓の入り口には黄色い花がいっぱい咲いていました。

「山吹の花だよ。七重八重 花は咲けども山吹の 実のひとつだに無きぞ悲しき 狩りに出ていた道灌が、急な雨で蓑を借りようと立ち寄った家の娘が、一輪の山吹の花を添えてこの歌を詠んだんだよ。蓑が無いことと、実の無いをかけたんだね。有名な話だよ」

「はぁ…?蓑が無ければ、素直に蓑はありませんと言って謝ればいいのに、昔の人はまどろっこしいですね」

「……君らしい発想だよ。あ、それから、この近くには道灌を守って討ち死にしたという家臣たちの墓。「七人塚」もあるんだよ。こっちこっち」

 そう言って「七人塚」も案内されました。

「宮澤さん聞いてもいいですか?太田道灌って何をした人でしたっけ?」

「なんだ知らないの?」

「知りませんよ。宮澤さんと違って歴史オタクじゃありませんから」

「オタクって…鉄道バカに言われたくないな〜」

「バカかもしれませんけど、こっちだって小田急のロマンスカーと名鉄のパノラマカーの違いもしらない人に言われたくないですよ」

「そうなんだよな〜、あれは絶対どちらかがパクってるよ」

 因みに道灌は戦国時代の武将で、江戸城や川越城を造ったことで有名だそうだ。

「この近くに道灌の主君である上杉定正の館(糟谷館)があるんだけど、道灌はそこで殺されたんだよ。道灌の才能を怖れた上杉定正が館におびき出して、騙し討ちにしたんだけどね。館跡 にも行ってみる?」

「いや、いや、そこまではいいです。それより早く温泉に行かないと雨降りそうですよ」

 大山をふり仰ぐと、山頂は黒い雲で完全に覆われていました。

「おお、本当だ。こりゃ登らなくて正解だったな〜」

「ね、そうでしょ」


 伊勢原温泉は塚から1キロほど北にありました。温泉街といっても、宿泊施設は二軒しかありません。

「やっぱり、道灌にあやかって『山吹温泉旅館』でしょ」

宮澤さんの妙なこだわりで、ぐるり遠回りをしてそちらに向かいました。しかし、ロビーには誰もいません。

「すいませ〜ん」「ごめんくださ〜い」と大声で呼ぶと、奥から女性が出てきました。日帰り入浴をしたいと告げると、

「あ、今日はお休みなんです」と素気ない答えに二人ともガックリ。

「せっかくここまで歩いてきたのに…」

「ていうか、温泉にお休みってあるの?さっきお客さんの姿見かけたけど…。予約の看板にも名前があったよねぇ」

 気がつくと、宮澤さんびっこを引いてるではありませんか。悪態のひとつもつきたくなる気持ちは分らなくはありません。

もう一軒、大きな建物の「ニュー天野屋」というホテルに向かいました。こちらはやっています。入浴料、千円を払って地下の温泉へ。建物は少々古いが、湯船は広々としていて結構いけます。この時間、誰も入っていない貸切状態なのもグッ!汗を流し、筋肉もほぐれた宮澤さん、帰りのバスの中では幸せそうにイビキをかいていました。

★          ★          ★ 
 

めざせ頂上
 一週間後のゴールデンウィーク初日。筋肉痛も癒えた私は、ふたたび大山にチャレンジした。やはり山は頂上に登らなければ意味がない。

「また来たの?そ〜お」下社広場の茶屋のおばちゃんも覚えていてくれた。やはり、あの日は、4時頃から雨が降り出したそうだ。

 山頂へは下社の脇から登る。 こちらも本坂と「かごや道」の二つのコースがある。二つの道は途中で合流する。「かごや道」は、駕籠で登るために造られた道だということなので、本坂より楽なのだろうが、ここは素直に本坂を登り、帰りに「かごや道」を使うことにした。

 霊山に入る前に登拝門の前で初穂料百円を払い、祓麻(はらいぬさ)を自ら振ってお祓いをする。

 登拝門をくぐると、いきなりの急階段だ。だが今日はすこぶる体調がいい。階段を登りきると、ここからは山道となる。石の階段も男坂女坂のように整然としていない。だが、自分的には、そのほうが逆に登りやすい。いろいろな筋肉を使うせいだろうか。

 気がつくと道標に四丁目と刻まれていた。下社からは、一丁目から頂上の二十八丁目まで、一丁目ごとに道標がある。新、旧二つずつあるので、まぎらわしいが、これがあるお陰で自分の居場所がはっきりする 。ひたすら山を登るよりはやる気も出るというものだ。

 それに加え、千本杉、夫婦杉、ぼたん岩、天狗の鼻突き岩と女坂同様、こちらにも見どころがある。そして一番の見どころは、もちろ二十丁目の富士見台だ。浮世絵にも描かれた富士山を見る絶景ポイント。

 残念ながら、この日はガスがかかっていて、空の色と識別つかず、目を凝らさないとわからないくらいうっすらとした富士が拝めただけだった。ま、見えないよりはましか。

 途中、スミレ科の小さな山野草や真っ白なマメザクラの花が目を楽しませてくれる。野鳥の鳴き声も耳に優しい。そして何より、登山客同士で交わされる「こんにちは」の挨拶。清々しい気持ちが、疲れを払いのける。

 二十七丁目の鳥居をくぐる。あと少しだ。

 二十八丁目、ついに標高1252mの山頂に着いた。

 狭い広場には大勢の登山客。そこここでお弁当を広げて寛いでいる。

 奥の院の拝殿に参拝し、阿夫利神社の御神木である「雨降木(うこうぼく)」と呼ばれるブナ古木の横に立って、東を望む。

 誰もいなければ大声で叫びたいくらいだ。毎日、毎朝眺めている大山の頂上に、今立っている。明日から違った気持で大山を眺めるんだろうな。

 感慨にしばし浸り、頂上をあとにした。

 帰り道。厚木かどこかの米軍基地の人たちだろうか、髪を短く刈り込んだプロレスラーのような屈強な外人さんの団体とすれ違った。

「コニチハ」「コニチハ」。爽やかな笑顔で挨拶を交わす。

 最後の一人は汗びっしょりで、今にもぶっ倒れそうな様子だったが、ニッコリ笑って「コニチハ」と挨拶してくれた。

 こんなふうに世界中の誰もが優しくなれたら、決して戦争なんて起きはしないのに…。かごや道を駆け下りつつ、人の優しさと愚かさについて考えたが、すぐにやめた。 深い森のどこかで鳴いている鳥の声が、その思いを遮ったのだ。

 名も知らない鳥は、杉の林の中をいつまでも、いつまでもこだましていた。「コニチハ」「コニチハ」と…

                                       (宮澤)

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