■ひろたりあん通信バックナンバー
 2009年10月号
 
小さな秋の小さな旅
   ブルーラインで行く 『よこはま古民家めぐり』

天高く馬肥ゆる秋
 夏の湿気った暑苦しい空気が、カラッと乾燥した爽やかな風に追いやられ、空が高く感じられるようになると、市場には、柿、栗、林檎に薩摩芋、秋刀魚、鮭、鯖、鰹といった旬の食材が並ぶ。

「食欲の秋ですからね。横浜の旬の味覚を探せ!なんて、どうでしょう?」

 夏だろうが冬だろうが、季節を問わず食欲旺盛な大塚君が提案する。普段ファーストフードや牛丼ばかり食べてる彼らに旬なんてわかるはずがない。

「馬肥ゆる秋だからって、二人がこれ以上太ったら、部屋がますます狭くなって息苦しいですからね、その企画はやめましょう」

 例によって毒舌を吐く 上野嬢。普段我々と同じ量の弁当(これ本当!)を食べているのに、スリムな体型を保っているから余計に腹が立つ。

「あのね、『馬肥ゆる』っていうのは、夏の間に草をいっぱい食べて太った馬のことで、秋に美味しいものを食べすぎることを言っているんじゃないの。秋になると、その太った馬に乗ってモンゴル人たちが略奪に来るから警戒するように、という中国の農民のことわざなんだよ」

「なるほど、美味しいものばかり食べて、稽古をしないとモンゴル人には勝てないよということですね」

「そうそう、二十二場所連続で外国人に優勝をさらわれているなんて情けなさすぎるよね〜…て、そうじゃない。

 でも国技の相撲だけじゃなく、衣・食・住、どれを取っても外国文化に侵食されている。日本という国は…まったく。そこで、今回は、日本伝統を求めて『よこはま古民家巡り』にしようと思う」

「また、強引な展開ですね。初めから決めていたんでしょ?」

 そのとおり。実は今年の春、さる読者の方から、横浜の古民家をめぐるスタンプラリーがあるので、特集を組んで欲しいという意見が寄せられていたのだ。それには、やはり秋がふさわしい。

「一緒に行く?」

「いえ、私たちはあれこれ忙しいんで…」

 伝統文化はこうして廃れていくのだ。

天王森泉公園・古民家ゾーン  (рO45-804-5133)
 横浜に残されている古民家は八館。さっそく調べてみると、そのうちの四つは市営地下鉄ブルーラインを利用して回れることが判明した。ならばと、地下鉄もバスも乗り降り自由な「市営地下鉄・市営バス共通一日乗車券」(大人 830円)を購入する。

 あざみ野から地下鉄に乗ること一時間と5分。終点「湘南台」の一つ手前の駅「下飯田」に到着した。十年前に開業した駅だというが、すぐ隣に相鉄いずみ野線の「ゆめが丘駅」があるにもかかわらず、駅前には何も無い。まるで、開業当時の「センター北駅」のようだ。

 駅前のバス通り(環状4号線)を南に向かって歩く。見知らぬ町を歩くのは、じつに気分がいい。しばらく行くと、境川の支流「和泉川」に出る。橋の袂に「泉区歴史の会」が建てた「中和田小学校分教場跡」の説明板があった。自分の経験からいって、郷土の歴史に住民が力を入れている町は、間違いなく住んでいる人は優しい。

 川を渡り、次の信号を右折、畑に沿ってしばらく行くと、左手に古民家が見えてきた。『天王森泉館』だ。

 古民家といっても、茅葺き屋根の農家の建物ではない。二階建てのモダンな外観は、古い役場か学校の校舎のようである。

 住所は泉区和泉、よっぽど泉が多かったのだろう。この辺りでは、その豊富な湧水を生かして製糸業が盛んであった。最盛期には二十にのぼる製糸工場が営まれていて、この建物は、その一つ『清水製糸場』の本館として明治四十四年頃に建設されたものである。

 一階は、農家と商家が合わさったような間取りで、中を歩いていると、岐阜県にある母親の実家にいるような錯覚に陥った。二階は、三ツ間をぶち抜いた座敷。窓の向こうに広がる黄金色の田んぼがまぶしい。窓の鍵はキコキコとネジを回すやつだった。懐かしい。

 敷地は公園になっていて、裏庭には『湧水の森』という竹林やワサビ田があった。隣に『くわくわ森』があるという。製糸場だけに、桑が植えられた森かと思ったら、普通の雑木林だった。(なんだよ。くわくわって! ワクワクして損した)

舞岡公園・小谷戸の里 (рO45-824-0107)
 駅に戻り、「あざみ野行」に乗る。下飯田駅から五つ目、「舞岡」で降りる。 

 ここは、地名推理ファイル・鎌倉街道編と湧水特集で何度か訪れた。駅から舞岡公園の入口までは、道祖神や石仏を眺めながら小川アメニティ散策路を歩く。十五分ほどで公園入口に着く。そこから、自然豊かな谷戸田を歩くこと五分。長細い舞岡公園の一番奥、『小谷戸の里』にたどり着いた。

 ここには、戸塚区品濃町にあった旧金子家住宅の母屋と納屋が移築、復元されている。明治後期の建築だそうで、木造平屋建て、寄棟造りの茅葺屋根。整形四間取りと呼ばれる田の字の間仕切りは、江戸時代末期から明治初期にかけて座敷で蚕の飼育をするときに、壁を取り払ったためだという。

 軒に干してあるトウモロコシ、「どんぐり」と子どもの字で書かれた掛け軸。納屋があるのも嬉しい。

 ここには『やとひと未来』という事務局の建物が隣接されていて、自然観察会や水田や畑の耕作体験などのイベントも行っている。

 現在は「案山子まつり」の真っ最中だそうだ。どうりで、谷戸田の中に「たねまる」や「イモトアヤコ」が立っていたはずだ。様々なキャラクターの案山子の中からお気に入りを選び投票するという催しで、十一月二十五日に行われる収穫祭で選ばれた案山子が表彰される。

 その「収穫祭」は舞岡公園最大のイベントだそうだ。当日は二百人のスタッフが、谷戸餅や谷戸鍋、甘酒、焼き芋などを作って売る。毎年三千人ほどおお客さんが訪れる。「地元の人たちは、マイ箸マイ茶碗を持参するんですよ」と、事務局の女性。

 昔は、豆腐を買うにも、夜鳴きソバを買うにも、自分でザルや丼を持っていったものだ。もちろん、リユース食器というのも良い試みだが、地元の人だけの小さなイベントだったら、こういうのも有りかも。自分で食べたものは自分で洗う。究極のエコではないだろうか。

せせらぎ公園 (рO45-592-6517)
 帰りは、そのまま舞岡公園を抜けて南側入口に出た。目の前に京急ニュータウンのバス停がある。一日乗車券を使って回る場合は、市営バスを待って乗る。間違っても江ノ電のバスに乗ってはいけない。

 上永谷駅でバスを降り、再び地下鉄に乗る。めざすは都筑区の仲町台。

 仲町台駅の北側に『せせらぎ公園』に向かう。この公園は、去年の十一月号特集「緑道散歩」で最後にたどり着いた公園だ。

 大きな池の向こうに古民家は建っていた。旧内野家住宅。銅版葺きなのは、保存管理上の都合で、本来は茅葺きであり、建物自体は江戸時代中期から後期と古い。

 なにせ、内野家は大阪夏の陣で功を挙げ、荏田に領地を与えられ現代に続くという旧家だ。

 「広間型三間取り」という間取りは当時の農家の特長だそうで、「タキギヨケ」という炉は、横浜付近の民家独特のものだという。

 その広間に座って終日池を眺めながら、のんびりすごしたいものだが、そうもいかない。裏手に回ると、これも立派な長屋門が建っていた。この門は東京の目黒区にあったもので、内野家とは関係ないが、当主が横浜と関わりがあったため、ここに移された。長屋は無く門だけである。

 壁に、さまざまな行事の予定が貼ってあった。その中に句会があった。聞けば、この古民家で句会をやるのは初めてだという。しかも、講師は女優の藤田三保子さん。あの「鳩子の海」の成人した鳩子役、あとは「Gメン」の女刑事。日時は、10月の20日と11月17日…、行ってみようと思ったが、考えたら俳句の素養などまったくなかった。

都筑民家園 (рO45・351・5024)
 地下鉄で仲町台からセンター北へ行く。都筑民家園は、横浜歴史博物館に隣接する大塚歳勝土遺跡公園の中にある。

 ここには、都筑郡牛久保村(現在の牛久保町)にあった旧長沢家の母屋と馬屋が移されている。建築年代は不明だが、柱の一部にチョウナ仕上げが見られることや土間境の柱が大黒柱ではないという古い形式を残していることから、横浜に残っている民家の中でもかなり古いのではないかと言われている。

 現在、敷地内に社寺建築の第一人者、宮大工の松本高広氏によってお茶室が建設中である。それに合わせてコンクリート張りの池も自然の池に改修するそうだ。

 部屋の壁に東山田資料館館長の栗原満直氏の古民家の絵が飾られていた。都筑区内にあった二十四の古民家の絵が配され、まん中には「いにしえの暮らししみ込む古民家の 時と共にし消えゆ虚しさ」の歌が記されている。

 栗原さんには、「夢の吹く丘」のインタビューの時にお話を伺ったが、「大事な文化遺産をなんとかして残していきたい」という、日頃の思いがこの歌にこ込められていると改めて実感した。

 古民家が消えてしまう寂しさは、地元で生まれ育った人なら尚更だろう。 都筑区はまだいい。二棟もこうして保存されているのだから。高度成長期に開発が始まった青葉区には、ひとつも残っていない。市ヶ尾の「綿屋さん」。江戸時代から続く「出梁(だしばり)造り」という旅籠の建物はなんとか区民の力で後世に残していって欲しいものである。

長屋門公園 (рO45・364・7072)
 地下鉄の路線からは外れるが、もう一つ紹介したい古民家がある。 場所は瀬谷区、相鉄線三ツ境駅から南に1qほど、歩いて十五分のところにある『長屋門公園』だ。

 公園には、明治二十年建築の旧大岡家の長屋門と、江戸中期の旧安西家の主屋が移されている。長屋門は、木造二階建てで、二階ではかつて養蚕が行われていたという。やはり、養蚕や製糸は横浜の歴史と切っても切れない関係にあるのだ。 旧安西家の主屋は、天王森と同じ泉区和泉町から平成四年に移された。

 主屋の庭に井戸があるが、ガチャポン式のこの井戸、飲むことはできないが、現在もしっかり活躍しているとのこと。裏手に回ると炭焼の窯があるなど、今まで紹介した中で一番趣がある古民家だ。

 訪ねた日は、長屋門の一階で絵画展が行われていた。ここでは、落語や映画鑑賞会なども常時催されている。長屋門と刻印された饅頭とお茶のセットで200円も美味しい。

 「十五夜お月見コンサート」が開かれるというので、後日再び訪れた。主屋の座敷には、すでに大勢のお客さん。庭に用意された椅子も埋め尽くされている。仕方なく土間の方にまわる。コンサートは朗読劇から、琴、ギター、尺八の合奏へと続く。

 ふと、天井や梁、竈の闇に目をやった、幽玄な音色が、無くした記憶を呼び覚ます。人が大勢いるのに恐い。何かがひそんでいそうな漆黒の闇。便所に行きたくても行けなかった子どもの頃の恐怖…。伝統は懐かしいが怖ろしい…。

 慌てて外に出ると、長屋門の白い塀が、満月のあかりにぼぅっと浮かびあがっていた。一瞬だが、江戸時代の町に立っている気分が味わえた。

 帰り道、三ツ境駅近くで居酒屋に入った。めぐった古民家を振り返りながら、しみじみと杯を傾ける。肴は旬の戻り鰹だ。

「うん!伝統文化も大切だが、やっぱり秋はコイツにかぎる」  

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