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「鎌倉のハイキングコースはどうか?」と、編集キャップがひと言。
「どうか?」とは、「行け!」という強い指令であることが、最近になってわかってきました。否も応もありません。
「ダイエットにもなるだろうが」という言葉が出てくる前に、「行かせていただきます」と返事をしていました。
「大塚君、コースを選んでおいたから」と、翌日宮澤さんから地図を手渡されました。古都「鎌倉」には、ハイキングコースが六つあるそうで、渡された地図はその中のひとつだそうです。
「天国コース…ですか?気持ちよさそうですね。花園が広がっていて…温泉とかもあるんですかね」
「天国じゃなくて天の園と書いて『てんえん』コース。天国だったら自分が行くよ。あ、ちなみに私は急ぎの仕事があって行けないので、上野君と二人で行って来てね」
それに関しては願ったり叶ったりですが…、その『天園コース』を調べると、鎌倉アルプスと呼ばれる山の尾根をぐるっと巡るコースで、北鎌倉の駅からゴールの鎌倉宮まで約6q!「アルプス一万尺♪」て言うけど二万尺の距離があります。
「これってハイキングじゃなくて、山登りじゃないですか! いじめだ〜」
「まぁまぁ、これも健康を思っての親心というもの。それに天気が好ければ、富士山や伊豆半島も見えるそうですよ」と、隣で呑気に笑う上野が、親心を持ち合わせているようには見えません。私にとっては、地獄コースに決まっています。
鉄道バカへこむ?
10月某日、私たち二人は、横浜駅から横須賀線に乗り込み、北鎌倉駅を目指しました。
「北鎌倉で降りる時は、先頭車両に乗る方がいいんだよ」、久しぶりの電車旅、鉄道バカの面目躍如でウンチクを披露。
「そうなんですよね。以前、一番後ろの車両に乗ってしまったら、改札までが遠くて、遠くて、イヤになっちゃいましたよ」
「・・・」(なんだ、知ってたのか…、がっかり)
北鎌倉駅に着きました。まずは腹ごしらえ、ということで、宮澤さんから「安くて美味しいよ」と教えられた駅前の蕎麦屋『やま本』さんの暖簾をくぐります。
席に着き、メニューを見ながら何にしようか決めかねていると、お店のおばちゃんが「冷たいのがいい? それとも温かいの?」と声を掛けてくれました。
「冷たいのがいいです」
「『とろろざる』なんていかが?」「じゃぁ、それで♪」
「大盛りにしなくていいかしら」
「えっ…、い、いや普通で…」
「ごめんなさいね。いい体格してるから…つい。あははは」と笑いながら厨房に向かうおばちゃん。
「気の利くおばちゃんですね〜」と上野。
「はは…利きすぎだっちゅうの」
でも、出てきたお蕎麦は美味しかった。
「やっぱり、大盛りにするべきだった…かな」
帰らなくてよかった
お店を出て、駅前の道を建長寺に向かいます。
地図を見ると、サザンの桑田さんの出身校、名曲『夕陽に別れを告げて』の舞台である鎌倉学園と、建長寺の間に道があるようになっていましたが、どうやら、ハイキングコースは鎌倉五山第一位、由緒ある「建長寺」の境内を通り抜けるようです。
拝観料(三百円)を払い境内に入ります。通り抜けるだけで拝観料を取るというのは、?なんですけど…。
ハイキングコースは、建長寺を左から回りこんだ裏にある『半僧坊(はんそうぼう)』の階段を登るところから始まります。「いきなり階段なの?」と上野はぼやき。私は絶句…。
入口の狛犬に背中を押され出立。途中何度も休憩しながら、ただ黙々と階段を上っていくと、待ち構えているかのように烏天狗の軍団が現れました。まるで「ほら、頑張れ!」と叱咤激励してくれるようで、なんとか上までたどり着きました。

しんどいけど、来てよかった。ここ『勝上巘(しょうじょうけん)展望台』から見る景色は本当に最高です。残念ながら富士山までは見ることができませんでしたが、眼下に、鎌倉の町や由比ヶ浜、稲村ヶ崎まで見わたせました。
「瑞泉寺・覚園寺方面」の案内に従い、そこから山道を歩き始めます。
クライミングハイ(?)とでもいいますか、だんだん気分が良くなってきました。靴紐を締め直し尾根道をズンズン歩きます。まあ、いつまでもつか、本人にも不明ですが…。
時折、左手眼下に住宅地が現れます。宮澤さんが言っていた「鎌倉は城だよ」という言葉がよく分かります。この天然の山々が城壁となって、鎌倉の都を守っていたんですね。
残り一万尺の迷い
半僧坊から歩くこと40分。わかれ道がありました。道標には「瑞泉寺」方面約3q、もう一方の「覚園寺(かくおんじ)」方面は約1qとあります。喉がカラカラですが、不覚にも、飲み物を仕込むのを忘れてました。
(この自然道を3q歩く間に自販機があるとは思えないな)と迷った私は、「覚園寺」方面に一旦下りることにしました。
とにかく飲み物を…と急いだせいで途中で見事に転んでしまいました。
「怪我はないですか?」と優しく気遣ってくれる上野嬢。
しかし「その巨体をかついで帰るわけにはいかないんですから、気をつけてくださいね」(そんな言い方しなくても…)
気を取り直し、慎重に進んで行くと、「足もと注意」の看板が…。
「遅いっちゅうの!(怒)」
「覚園寺」近くの住宅街に出ました。「覚園寺はこちら」の標識に促され、ひとまず門の前へ来ましたが「あぁ…、自販機がない」とがっかりしてへたり込むと、「大塚さ〜ん、自販機ありましたよ♪」と上野が手招きをします。
覚園寺境内に、アイボリーホワイトの自販機が周囲の雰囲気になじむように立っていました。「もっと目立つように置いてくれよ!」と文句を言いながらも、冷たいお茶を喉に流し込んでヒトゴコチ。
横浜市内最高地点
わりと呆気なく復活を遂げた二人は、降りてきた道を再び上り、コースに戻りました。 自分のペースを守り慎重に進みます。
急な坂道を上り、ふと前を見ると、子どもが一人ぶらぶらと歩いています。こんな山の上にどうして?親はいないのか?
と、子どものあとを追いかけると、急に視界がパッと開けました。
「大平山(おおひらやま)海抜159・4m」、なんと、ここが横浜市内最高地点(市境・山頂は鎌倉市域)です。

でも眼下に広がるのはゴルフ場。えっ、ゴルフ場? 少し興ざめです。それに、山の斜面では、幼稚園児たちが大勢遊んでいるではありませんか。さっきの子どもの謎が解けました。
下の広場に下りて見上げると、まるで猿山(失礼)のようです。なんと、ここへは、自動車でも来られるようです。必死で歩いてきた私達の苦労が…と複雑な気持ちになりました。
広場を通り抜け、再び山道に…、すると『天園峠の茶屋』がありました。自販機もあります。まったく、勘が外れました(そのまま来てればよかった…とほ)。
峠の茶屋のすぐそばの大きな岩の上に登ると、勝上 とは、また違った角度から鎌倉や相模湾を一望出来ます。
「さすが、六つの国が見渡せる六国峠というだけあるね」と私が言うと「六つの国って、どこですか?」と、余計な質問をする上野。
「相模でしょ、武蔵でしょ、それから伊豆…、え〜と、…あとは歴史探偵にでも聞いてよ」
「歴史探偵といえば、宮澤さんも来たかったでしょうね。こういうの好きですから…」
ちなみに残りの三国は、上総・下総・駿河だそうです。
(この項 大 塚)

不安的中、二人は休憩中
任せたとは言ったものの、段々不安になってきた。なにせ神社仏閣への興味どころか、信仰心さえ持ちあわせていないバチ当たりな二人。古都鎌倉に二人だけで行かせたのは、どう考えても無謀である
結局、私(宮澤)は、早々に仕事を片付け、二時間遅れで馬ならぬ電車に飛び乗り、彼らのあとを追って、いざ鎌倉!
建長寺の境内を抜け、半僧坊の階段を駆け上がりながら(もしかしたら、ここでリタイアしたかも)と、最悪な展開を脳裏から振り払いつつ、まるで修験者のように山道を急いだ。
途中、前を歩いている何組かのグループが私の姿を見て「皆さ〜ん、道をあけてくださ〜い」と道を譲ってくれた(マンガだったら、足もとから土埃が出ていたに違いない)。
跳ぶように天園コースを駆け抜け、ゴールの「瑞泉寺」に到着。時間的には、この辺りにいなければおかしい。しかし、拝観料を払い境内に入るも、彼らの姿はどこにもない。もしかして、途中で追い抜いたか…?
天然記念物「黄梅」で有名な『花の寺・瑞泉寺』。
幕末の志士・吉田松陰が何度も訪れた寺としても知られている。
そして、何よりも本堂裏手にある、開祖「夢窓国師」が岩盤をえぐって作ったとされる岩の庭園を見落とすことはできない。
鎌倉ならではの景観をしばし満喫したあと、次に「杉本寺」に向かった。
途中、源頼朝が建立した『永福寺(ようふくじ)』の跡を通る。二階堂という地名は、永福寺が二階建ての建物だったから付けられたという。
『杉本寺』は、鎌倉幕府ができる450年も前に行基によって開山した鎌倉最古の寺である。
本尊は十一面観音、坂東三十三箇所第一番札所に定められている。
頼朝が寄進した運慶作の仁王像。苔むした石段(立入禁止)、茅葺きの本殿が、古刹らしい風情を醸し出している。この寺はオススメ、鎌倉に来たら是非ここまで足を延ばしていただきたい。
損なヤクワリ
次に向かった『鎌倉宮』は、落ち着いた侘び寂びの世界から一転、青い空に白と赤の珍しい鳥居、トリコロールが爽やかな、なんとも不思議な神社であった。
巨大な獅子頭がデーンと賽銭箱の後に鎮座する拝殿も珍しい。その拝殿に手を合わせ、振り返ると、ようやく二人が現れた。
聞けば、足が痛くなったので『天園峠の茶屋』で休憩していたのだそうだ。暗くなってきたので、慌てて下りてきたのだという。もちろん、二階堂周辺は散策していない。嫌な予感は的中した。
「はぁ〜、やっぱり追い抜いていたか。とにかく、鎌倉宮だけは取材してよ…。
この神社は明治二年の創建と新しいが、拝殿の裏に鎌倉時代末期に後醍醐天皇の皇子・護良(もりよし)親王が幽閉された土牢があってだな…」と、説明を続けようとしたがやめた。
この伝説の信憑性が疑わしいということもあるが、大塚君の今にも死にそうな顔を見ていたら、難しい話をするのが気の毒になってきた。
「あ、『厄割り石』がありますよ」と、なぜか元気な上野嬢が指を差す。

看板には、「盃に息を吹きかけ、大きな石に投げて割り、体の厄(悪い所)を払って下さい」とある。
「宮澤さんは、悪い所がたくさんありそうだから、やったほうがいいですよ」と、私に杯を渡す。
「よーし」それならと、百円を払い素焼きの杯に息を吹きかけ、「オレの厄はおまえら二人だ!」と、思いきり杯を石に叩きつけた。
すると、粉々に割れた破片が顔に跳ね返ってきたではないか。
「うわっ、危ねっ!」
「あははは、厄が戻ってきちゃいましたね」と大笑いの上野。
大塚はというと、石段にへたりこんで、遠い目をして冷たいお茶を飲んでいる。 やれやれ、当分この二人とは縁が切れそうにないようだ。
(この項 高丸)

馬ならぬ電車に飛び乗り、いざ鎌倉!
結局最後は損な厄割り
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