|
てふてふが一匹韃靼(だったん)海峡を渡つて行つた。(『軍艦茉莉』所収昭和4年)…詩人・安西冬衛の名は知らなくても、「春」と題されたこの一行詩は、多くの人の記憶に残っているのではないか。
韃靼海峡は樺太と中国大陸を隔てる間宮海峡のこと。その海上を、一匹の蝶がひらひらと舞っている…、蝶に海を渡ろうという意思があるのかどうかは知らぬが、スケールの大きな情景をたった一行にまとめたこの詩に出会った時、大げさではなく衝撃を受けた。
「お父さん、てふてふって何のこと?」と平成生まれの娘。「蝶々だ、昔はこんな仮名遣いをしていたんだ」「昔って、お父さんが子どもの頃?」父親を戦前生まれと思っているらしい。
この詩の「てふてふ」という平仮名遣い、蝶がひらひらと舞うさまを、視的にも表現して効果的だ。「蝶々」なら印象が違ったかもしれぬ。作者の安西冬衛を「座せる闘士」と形容した文章を読んだことがある。安西は、二十二歳の時に関節炎で片足を失っている。現代詩改革に魂を注ぎつつ、海峡を渡らんとする蝶に、自由への憧憬を託したのか…なんて詮索は無用だろう。
廣田新聞店の創業者で作家の廣田花崖が、事故で下半身の自由を失ったのも二十二歳だった。それから十年の文章修業を経て、筆一本で独立した花崖も「座せる闘士」と言えよう。寒村だったこの地を愛し、弱き農民たちを愛し、かつ怜悧な観察眼で農村の真実を見据えた花崖。宮澤よ、共に花崖の大いなる遺産を、ひろたりあん通信に注ぎ込もうじゃないか…まあ、文章力はともかく…。
★ ★
★
何故、湯河原なのかとの皆さんの御質問は御尤(ごもつとも)である。私は不幸にして、これを皆さんに白状してしまはなければならぬことに立到つた。然し、或ひはこれが私の幸(さいはひ)であるかも知れない。
と、いきなりの旧仮名遣いの書き出しは、湯河原で出会った古き文豪や画家たちの幻影に感化されたせいである。私は、湯河原で浸ってきたのは、温泉だけではないのだ。
湯河原ゆき
去る六月の初め、私は全国旅行業協会神奈川支部の通常総会に出席するため、湯河原に向かった。なぜなら、私は「ひろたりあん通信」の編集スタッフであると同時に、ひろたりあん旅倶楽部を運営するにあたっての旅行業務取扱管理者でもある。
決算報告や役員を選出するための総会には、当然出席しなければならない。神奈川県下あまねく同業者が集い、親睦を深める意味もあるので、会場には決まって観光地のホテルなどが選ばれる。今年の総会は、湯河原温泉の最奥にある「大滝ホテル」であった。
ところで皆さんは、湯河原という町にどんなイメージをお持ちだろう?
すぐお隣の熱海と合わせて、関東の奥座敷などと呼ばれているので、社員旅行などで利用された方も多いのではないだろうか。私も十数年前に社員旅行で一度だけ泊まったことがある。
熱海もそうだが、こうした温泉街は、町自体を観光するというよりは、社員旅行やツアーの宿泊地として利用される方が多い。当然、湯河原の想い出も、露天風呂、干物、コンパニオン(もしくは芸者さん)となる。
恥ずかしい話だが、私も前回の社員旅行のせいで同様の印象しかなかった。
然るに、それが何と浅はかな思い込みであったか、今回の湯河原行きで思い知らされることとなった。以下、その顛末である。
明暗(名案)
総会の翌日、出席した一行は、チェックアウトを終えると、バスに乗って一斉に帰って行った。残ったのは私一人。せっかく湯河原に来たのだから温泉街を散策しながら帰ろうと思い立ったのは、ここが湯河原の最奥だからである。
「不動滝」というバス停から駅までは、およそ6q弱。のんびり散策しても、二時間とかからない。ずっと下り坂だから、関係書類や着てきたスーツなどの余計な荷物も大して苦にならないだろう。
面白ければ、ついでに記事にしてしまおう。経費も節約できるし…ひひ、なかなかの名案だ。
下る前に、すぐ隣にある不動滝を見学した。落差15メートルの小さな滝だが、水量が豊富で結構な迫力である。朱色の灯籠が幻想的で趣がある。不動滝という名の滝は全国に何百とあるが、この滝は夏目漱石の小説『明暗』に登場したことで有名になった。
『明暗』は、大正五年の五月から十二月まで朝日新聞に連載されていたが、漱石が胃潰瘍で亡くなったため未完となった。因みに、湯河原では一つの畑で数十品種の柑橘類を栽培している農家が多い。なので一年中ミカンが売られている。
画(え)の楽しみ
不動滝から「藤木川」に沿ってしばらく行くと、茶色い建物が見えてきた。『町立湯河原美術館』である。
夏目漱石や内田百閨A山本有三などが逗留した『天野屋』という老舗温泉旅館を改修して建てられた美術館で、三年前までは『湯河原ゆかりの美術館』という名称だった。
未完の『明暗』の中にも天野屋は登場する。近代日本画の先駆者・竹内栖鳳(たけうちせいほう)のアトリエがあったことから、常設館は栖鳳の絵画を中心に構成されている。
また二階の『平松礼二館』には、雑誌『文芸春秋』の表紙絵などで有名な日本画家・平松礼二氏の作品が常時二十作品ほど紹介されている。
氏のプロフィールを見て驚いた。氏は東京生まれにもかかわらず、高校は名古屋の旭丘高校を卒業されている。
旭丘高校といえば、卒業生に二葉亭四迷
や坪内逍遥、そして現名古屋市長の河村たかし…と、愛知県屈指の名門校だ。
自分の母校であるわけはないが、実家のすぐ近所だ。そんな他愛もないことに親しみを覚える。
それにも増して感動したのは、「モネの睡蓮」を拝めたことだ。といっても絵ではない。美術館の裏に天野屋の頃からの庭園が残っているのだが、ここに平松画伯がモネ財団から贈られた睡蓮がある。ラッキーなことにこの日、みごとに可憐な花を咲かせていた。愉快!


非凡なる凡人
「ここが天野屋さんだったとすると、国木田独歩が逗留していた中西屋さんはどこでしょうか?」と、受付の女性に聞くと。
「ああ、それならこの美術館の川を挟んだ向かい側です。でも、今は何もありませんよ」とのこと。
川の向かい側のその場所は、広い駐車場になっていた。
湯河原を愛した文化人の代表といえば、やはり独歩であろう。
明治34年、肺結核の療養のためにこの地を訪れた独歩は、その時のことを小説『湯河原より』と『湯ヶ原ゆき』という紀行文に書いている。
その中に「人車鉄道」という乗客を乗せたトロッコ状の客車を、数人の人間が押してレール上を走る乗り物が登場する。小田原から熱海まで走っていたそうだ。とても信じられないが、その客車は湯河原の町中に展示してあった。

中西屋を気に入っていた独歩だが、静養中にも関わらず、旅館を訪ねてきた親友の田山花袋と「痛飮」したり、タバコを吸ったりしたことで逆に死期を早め、翌年三十七歳でこの世を去った。すぐ近くの『万葉公園』には、独歩の碑と足湯施設『独歩の湯』まである。
独歩が泊まった宿で思い出したが、独歩は、溝の口の大山街道沿いにあった亀屋旅館を舞台に「忘れえぬ人々」という小説も書いている。
国木田独歩の碑が高津図書館に残っているが、その題字を書いたのは島崎藤村である。
話は逸れたが、中西屋には、芥川龍之介、志賀直哉なども宿泊している。
お湯を恋する人
美術館の下、温泉場中央の路地には和風旅館が立ち並ぶ。
温泉街の雰囲気が色濃く残っている路地の奥に日帰り入浴の温泉があるというので行ってみた。
旅館の裏口のような入口に「ままねの湯」という看板がかかっている。
水道の水をペットボトルに入れている女性がいた。水だと思ったら源泉だという。ボトル一杯80円だそうだ。
浴室は左手横の階段を下ったところにあった。地元の人だろうか、子ども一人に大人が三人入っていた。
「あの、料金は…?」と訊くと、「箱に入れて」と言う。見れば、菓子箱のフタのような箱がある。大丈夫か?と思いながら200円をいれ、共同浴場のような小さな脱衣所で洋服を脱いで、浴室に入る。
8畳ほどの浴室の半分くらいの湯船がデーンと真ん中にある。石鹸もシャンプーも無い。湯をかぶり、身体を沈めると、これがすこぶる熱い!しかし、熱い風呂好きの私にはタマラナイ。
現代(いま)の若い子たちは一分も入っていられないだろう。他のお客さんが湯船の回りに腰を下ろして休んでいる意味がわかった。でも、加温も加水もしていない天然温泉はこうでなくっちゃいけない。腰を下ろすと肩まで浸かるほどの深さも絶妙だ。
これほどの熱さなのに、湯上りはさっぱりと気持ちいい。先ほどの女性に「ありがとうございました」と思わずお礼を言ってしまった。
本当に「いいお湯だった」。大手術の術後に湯治に来た人が湯に浸かっていると、傷口から縫った糸が徐々に取れてきたという話を聞いた。切り傷、すり傷もみるみるうちに治るという霊泉。これでたったの二百円
とは…湯快!
ここ温泉場中央にある旅館は、ほとんどが源泉を加温・加水をしないで使用しているので、泊まりで来るときはぜひ利用されたい。なんと、素泊まり二名で8000円台だそうだ…痛快!
忘れえぬ人びと
温泉場中央の路地を抜け、再び藤木川沿いに歩く。左手に『伊藤屋』という古い旅館がある。明治21年創業、島崎藤村が名作『夜明け前』の原案を練ったという老舗旅館だ。
黒田清輝・有島武郎・三遊亭円朝なども宿泊した。
伊藤屋の前の橋を渡り、坂を上ると伊藤屋の別館「光風荘」がある。
昭和11年2月26日、陸軍の皇道派の青年将校が対立していた統制派の打倒と国家改造を目指し、首相官邸等を襲撃した226事件で、東京以外で唯一舞台となった場所である。
その坂を更に上ると『こごめの湯』という日帰り入浴の施設がある。熱い湯が苦手な人はこちらをオススメする。入浴料は千円だけど…。
藤木川が千歳川と合流する落合橋の所に観光会館がある。ここでは「花菖蒲展」が開かれていた。夜になると、万葉公園で催される「ほたるの宴」のための夜店も出るという。(蛍か〜、間に合うように戻って来よう)と、先を急ぐ。
ミステリー列車にはまった
落合橋からは千歳川沿いに歩く。この川が市境で、向こう岸は熱海市となる。
湯河原は多くの文人墨客が訪れたと書いたが、この町を愛して、ここに永住しようと決めた有名人は数多い。中には記念館まで建ててしまった作家もいる。トラベルミステリーの第一人者、西村京太郎先生だ。
その『西村京太郎記念館』は、落合橋から2qほど下流の千歳川沿いにあった。
自動ドアが開くと、いきなり床に黒い人型が描いてある。鑑識が描くアレである。一階の喫茶室でオリジナル炭焼きブレンドを注文すると、サイン入りコーヒーカップで出てきた。このカップ、飲み終えたあとは記念に持ち帰ることができるのだ。
受付と展示室は二階にあり、四百点近い著作や生原稿が展示されている。中でも目を引くのが、中央にある鉄道模型の大ジオラマだ。
ボタンを押すと、新幹線や在来線が走り出す。しかし、ミステリー作家のジオラマにはヒネリがあった。
道路や海岸など、いたるところで事件が発生しているのだ。駆けつける刑事、鑑識課員、検問の警官、被害者などが配置され、パトカーの赤色灯も光っている。実にリアルで、時間が経つのを忘れてしまう。
旅に出る時にずいぶんと携帯したトラベルミステリーの文庫本。純文学もいいが、やはり自分には、大衆文学の方が肌に合うようだ。
宇宙忍者との遭遇
記念館を出て、次に向かったのは『かぼちゃ美術館』。自宅がそのまま美術館になっている。庭に「太っ腹 飾らぬ容貌 たくましく」の看板があった。自分のことかと思ったら、かぼちゃの話だった。
チャイムを鳴らすと、館長の桑田真菅氏が「いらっしゃい」と直接応対してくださった。スリッパを履いて二階へ上がる。ドアを開けると、あの水玉で出来たかぼちゃの絵で世界的に有名な画家・草間彌生(くさま・やよい)さんの百号のかぼちゃが飛び込んできた。
二部屋をぶち抜いた展示室は、まさに草間ワールド。現代アートはイマイチ苦手だが、このかぼちゃは嫌いではない。水玉模様をジッと見入っていると、どこか異次元に連れて行かれそうになる。
もうひとつ展示室があるからと案内された別棟の新館、ここも異次元空間だった。さらに二階に上がって驚いた。六畳ほどの薄暗い勉強部屋(?)その中に立っているのは、まさしくバ、バ、バルタン星人!
怪獣宇宙人の類でこれほど秀逸なデザインはない、と日頃大絶賛していたバルタンとの遭遇。聞けば、館長の桑田さんは、以前東宝にいたそうで、このバルタンは正真正銘、撮影に使われた本物だそうだ。
彼に出会えただけでもだけで湯河原に来た価値があるというものだ。
たんたんタヌキの…
興奮冷めやらぬ気持ちで歩いていたら駅に着いてしまった。腹が減った私の目に、バルタンならぬ「たんたんたぬきの坦々やきそば」の幟の文字。
湯河原の源泉は狸が見つけたという伝説から、湯河原の町おこしで開発されたご当地焼きそばである。
駅前の『ゆがわら一番亭』という店で食してみたが、これがウマイ♪ ピリ辛のタレも私好み、野菜や魚介の具も豊富でボリューム満点。
まさか、これほどの量だとは思わないので、ビールと餃子を頼んだのだが、この餃子がまた美味い!ペロリと平らげてしまった。
湯河原では五十店舗でこの坦々やきそばを食することができるが、それぞれに特徴があって、そのバリエーションを楽しむのも一興である。
腹ごなしに、もう少し足を延ばし『人間国宝美術館』に向かった。
駅前を通り過ぎ、洋菓子店の角を曲がったら、ギフトショップがあった。
普段なら通り過ぎるはずの女性向けのオシャレなショップ。店にいる女性、そのただならぬオーラに、つい目が吸い寄せられた。
5月29日にオープンしたばかりという、このお店の看板に『五月みどり・趣味のギフトショップ ヴィーナス』とある。そう、女優・五月みどりさんのお店なのだ。そして、オーラに包まれたその女性こそ、五月さんご本人だったのだ。五月さんも
数年前に生活の場を湯河原に移されたお一人である。

お店に入ると、五月さんから笑顔で声をかけられた。まさかの展開に…緊張で何も喋れない私。小柄で可愛くて…変わらぬ美貌は奇跡というしかない。
お店には、五月さん手づくりのティッシュボックス(紙やシルクの造花で彩るフローラルクラフト)、五月さんお気に入りのアクセサリーやストラップ、文具、そして可愛くてオシャレな老眼鏡などなど…しかも、どの商品もリーズナブル。湯河原にまた一つ魅力のスポットが誕生した。

購入した紙ナプキンで作ったデコパージュの可愛いクリップと
五月さんの油絵がデザインされたハンカチ。しっかりサインもしてもらいました。
さて、湯河原駅から歩くこと10分ほど、JRの線路沿いに『人間国宝美術館』はあった。陶磁器、漆工芸・金属工芸・染織品・ガラス工芸など、文字通り重要無形文化財保持者=人間国宝の工芸品が展示してある美術館だ。
湯河原在住の陶芸家・細川護熙元総理の作品も展示してあるが、何といっても、名品をたっぷりと鑑賞し終えたあとに出される抹茶が嬉しい。しかも人間国宝の焼いた茶碗で…。
迷った末に大好きな萩焼の茶碗を選んだ。「4」の下に「0」が六個、値段を見てビックリしたら、紙数が尽きた。
ほ、ほ、ホ〜タル来い
のんびり歩いたはずが、紙面の都合で駆け足になってしまったが、 少しは湯河原の魅力わかってもらえただろうか?
例えば、五所神社や城願寺(境内にある、土肥実平が植えたという樹齢八百年のびゃくしんは必見である)や土肥城跡
。更に足を延ばして、源頼朝が石橋山の戦いに敗れ、敵の追撃を逃れるために潜んだという『しとどの窟(いわや)』などなど。
歴史探偵としては、湯河原の史跡なども当然ご紹介したかったのだが、それは次の機会へ譲ろう。(といっても…次はいつのことやら)
湯河原は温泉はもちろん、こうした文学やアート、そして歴史スポットが豊富なだけでなく、花火大会やサンバパレード。8月の「やっさまつり」など、年間を通して数多くのイベントも開催され
ている。
つまりは、温泉だけでなく、じっくりと宿に腰を落ち着けて町中を楽しんでもらいたい観光地であるということを知っていただきたいのだ。湯河原の魅力を体験したら、
きっと住んでみたいと思うに違いありませんよ〜。
あ、そろそろ日が暮れてきました。ほ、ほ、蛍の光を楽しみに『万葉公園」まで戻るとしますか。


湯河原より 宮澤
|