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| ▼2008年9月号 |
| 地名推理ファイル歴史探偵 高丸の地名推理ファイル」 |
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■街道を往く 大山街道編 10 藤が丘第二公園の片隅に立つ一体のお地蔵さま。その前に、70代、いやもう少し上だろうか、ひとりの男性が跪いて熱心に拝んでいる。津屋さんと二人、邪魔をしないように黙って後ろからその様子を眺めている。いっこうに立ち上がる気配がない。私たちが来る前からだから、すでに3分以上は拝んでいる。 「このお地蔵様は子育て地蔵とも、子宝地蔵とも言うらしいですよ」 痺れを切らして津屋さんに話しかける。 「ほぉ、そうですか。それにしても、こんな道から外れて、誰も知らないような秘密のお地蔵様をよく知ってますね」
歴史探偵の本領 このお地蔵様を知ったきっかけは、藤が丘小学校の先生から の一本の電話であった。 「藤が丘に子育て地蔵があるそうなんですけど、ご存知ですか?」 2年前の秋、以前からの知り合いであるT先生から電話で問い合わせがあった。 「子育て地蔵…ですか?」 残念ながら、心当たりが無い。恐縮しながら理由を尋ねると、藤が丘小学校の創立三十周年記念誌の編纂にたずさわっていて、学区にある石仏やお地蔵様を調べているとのこと。 「十年前の記念誌には写真が載っているんですよね。だけど、それがどこにあるのかまったく分からないんです。でも歴史探偵の宮澤さんが知らないんならしょうがないですね。お忙しいのにすみません」と電話を切ろうとするのを、 「あ、待ってください。じゃあ調べてみますよ」と慌てて遮った。
(見つからないものを探すのは、探偵家業の真骨頂。ここは一肌脱ごうではないか!) …ということで翌日、藤が丘に地蔵探索に向かうことにした。 藤が丘のお地蔵様で、有名なのは農協中里支店の前にある「六地蔵」だ。2メートルほどの高さで六角柱の六面に地蔵菩薩が彫られた珍しい地蔵様である。 捜査は、その周辺から始めることにした。近所の方に聞き込みをするも、なかなか該当するお地蔵様に行き当たらない。陽も傾きかけたころ、一軒の地主さんから「藤が丘のゴルフ場の近くではないか」という、おぼろげな情報を入手した。 ゴルフ場とは大山街道沿いの「ロイヤルヒルズGC(藤が丘ゴルフクラブ)」のことだ。クラブに伺って尋ねると 「さぁ、ちょっと分からないな〜」と、素っ気ない返事。 がっかりして、外を出ようとしたとき 「あ、思い出した。子育て地蔵かどうかはわからないけど、もしかしたら公園のところに立っているのがそうじゃないかな…」と、公園の場所を地図に書いて丁寧に教えていただいた。そして見つけたのが、このお地蔵様である。 すでに日は暮れて、辺りは真っ暗になっていた。目を凝らすと、ボロボロになった幟旗にうっすらと「子育て…」の文字が見えた。小躍りしたくなる気持ちを抑えて静かに手を合わせる。心なしか、お地蔵様の顔が「よく見つけてくれたね」と、優しく微笑んでいるような気がした。
地蔵菩薩と賽の神 「市ヶ尾から藤が丘に行くときは、なるべくこの道を通ることにしているんですが、先日もおばあさんが拝んでいらっしゃいましたよ」 「衣装も綺麗ですし、お花やお菓子が置かれているところを見ると、よほど大事にされているんですね。あらっ…、よく見ると、このお地蔵様も顔が違いますね」 津屋さんの指摘どおり、川間橋の袂にあったお地蔵様同様、このお地蔵様も顔がコンクリートで出来ている。 「やはり、何らかの理由でお顔が取れてしまったんでしょうね」 ただ、川間橋の地蔵様と違い、こちらのお地蔵様は小顔でキメが細かくキレイに造作をしている。 「この近くにセイノカミドウというのがあったそうですよ」と私。 「セイノカミ?ああ、歳の神ですね」 「ええ、賽の神ともいいますが、中世以降の地蔵信仰は賽の河原と結びつきますからね」 サンスクリット語でクシティ・ガルバ。クシティは大地のこと、ガルバは胎内、子宮。つまり「万物すべてを包み込む、母なる大地の慈悲」という意味が「お地蔵様」にはある。 正式には「地蔵菩薩」。中国を経由して日本に伝わり、平安時代に貴族の間で信仰され、末法思想、浄土信仰、そして民間信仰と習合して広まった。特に子供を救済する仏様である。 親に先立って死んだ子供は、親不孝の罪であの世とこの世の狭間、三途の川のほとり、賽の河原で石積みをさせられる。せっかく積みあげた石を鬼が破壊する。積んでも、積んでも…あと一息のところで崩される。そんな辛い地獄の責め苦から救ってくれるのが、子供の姿で現れる地蔵菩薩なのである。 また、「賽の神」とは集落の境や村の中心に祀られる道祖神のこと。この賽の神(道祖神)と、村の辻々や路傍に置かれた地蔵菩薩が一つになって生まれたのが地蔵信仰である。 この公園は国道246号に接して造られているが、ブランコや滑り台のある小さな広場から国道に向かっては急勾配の傾斜地となっている。公園の右側から急な坂道を下り、国道のガードを潜れば、藤が丘の駅に出る。 駅から昭和大学病院、旭自動車学校の辺りは、かつて「細木谷戸」といった。つまり、この公園は和田の集落と外れ、賽の神や道祖神が祀られる村境なのだ。
「それにしても、大山街道はお地蔵様が多いですね。地蔵堂に集められているのも含めて、荏田からここまでで、十数基ですか…」 「そうですね。前回の鎌倉街道に比べると多いような気がしますね」 「いざ鎌倉、で軍団が急いで駆け抜けた鎌倉道と、信仰の道の違いですかね。当時の庶民の暮らしというか、生活の匂いが感じられていいですね」
「古(いにしえ)の生活の匂いを訪ねる旅。これこそが街道歩きの醍醐味といっていいんじゃないですか」
土砂崩れ ジョナサンの駐車場の横に雑草が生い茂った空き地がある。ビルとビルに挟まれた不自然な空き地、その向こうに国道246号が見える。 荏田宿から国道246に沿うようにして走っていた旧道は、江田駅と市ヶ尾駅の中間辺りで北に外れ、市ヶ尾の地蔵堂、猿田坂、川間橋で矢本川を渡り、柿の木台の丘陵地と大きく迂回して、再びここで246号と接する。 「昭和33年に狩野川台風があったそうです」 「ええ、もちろん覚えていますよ」 「あ、そうですよね。実はこの空き地は、台風の時に土砂崩れがあった場所なんですよ」 つづく
※荏田宿〜長津田までの地図をクリアファイルブックに綴じたもの。現在もえぎ野まで完成しています。それ以降の地図は連載にあわせて随時お届けします。
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