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「みなさ〜ん、最近歩いてますか? 散歩っていいですよ〜、さぁ、散歩に出かけましょう!」
というわけで、新年号「鉄道沿線を訪ねて」シリーズが始まりました。
「ちょ、ちょっと待ってください宮澤さん。いつからそんなシリーズができたんですか?」と、上野嬢。
「今日から」
「今日からって…、聞いてませんよ」
「なにいってんだよ。君たちが暮れは忙しいからって言うから、時間と予算をかけない企画を、知恵を絞って考えたんじゃないか」
「だからって、シリーズにする意味がわかりませんよ」
「そうしておけば、また一人で取材しなくちゃいけなくなった時に、考えなくても済むでしょ」
「あ、そうきましたか。でも、最初のフレーズ、もしかして『ちい散歩』のパクリじゃないですか?」
「ははは、バレたか」
「バレたか、じゃないですよ。どうりで最近、変な帽子を被っていると思いましたよ」
「変な…って、ハンチングだ。鳥打帽ともいう」
「どうでもいいですよ。ただ、鉄道シリーズだと、鉄道オタクの大塚さんが気を悪くするんじゃないですか?」
「大丈夫。彼はいわゆる乗り鉄だから」
「じゃ、宮澤さんは?」
「私は降り鉄!」
「降り鉄? 何ですか、それ」
「鉄道に乗ることを目的とする人を乗り鉄。写真を撮ることを目的にする人を撮り鉄。私は降りて歩くことを目的とするから降り鉄なのだ」
「はぁ…? 降りて歩くんなら、別に(鉄)を付けなくてもいいじゃないですか!」
「う、うるさいな〜。それで今回は東急大井町線」
「そうだ、大井町線なら、スフィンクスみたいな駅にも行ってきてくださいね」
「スフィンクス? なんのこっちゃ」
田園都市線の混雑緩和
田園都市線・溝の口駅で田園都市線を降りると、同じホーム反対側に大井町線の急行がやってきた。
オレンジと赤のストライプ、新型車両6000系というそうだ。なんでも、従来の車両よりも車体を軽量化し、走行時の騒音や二酸化炭素の排出量を低減。また、防音車輪を採用しているので、走行時の騒音も抑えられている。座席の幅を従来の車両より1センチ広い。窓ガラスは…って、ついつい乗り鉄になってしまったが、私の場合、そんなウンチクよりも、スタイリッシュなボディとカラーリングが気に入っている。
…といっても、今回は各駅停車なので、こいつには乗らない。
因みに、大井町線で急行運転が始まったのは昨年三月。その四ヵ月後の七月には、二子玉川から溝の口駅まで延伸された。理由は、ずばり! 田園都市線の混雑緩和だ。
田園都市線の混雑には、まいってしまう。たまにしか利用しない私が嫌になるくらいだから、通勤通学で利用している皆さんの大変さ、しんどさといったら、いかばかりか…。
その解決策として、東急電鉄が16年の歳月をかけて取り組んできたのが「大井町線改良・田園都市線複々線化工事」なのだ。
ようするに、都心方面へ向かうルートの選択肢を増やして、朝のラッシュ時の乗客数を分散させようというのが狙いだ。
さて、その効果は?
「せめて、鷺沼まで延伸してくれればなぁ」というのが友人の意見であった。
国分寺崖線マップ
二子玉川からひとつ目、上野毛駅で降りる。実は、このルートを歩くにあたり、面白いマップを手に入れていた。その名も『国分寺崖線(がいせん)発見マップ』。
国分寺崖線とは、多摩川が長い年月をかけて武蔵野台地を削り取ってできた崖のことで、立川・国分寺市から世田谷区、大田区まで約30qにわたっている。
因みに「ノゲ」地名は崖を表していて、横浜の野毛も同様だ。
崖線の特徴は湧水。いたるところから水が湧いている。その数、世田谷区内だけでも約百ヶ所。この豊かな湧水のおかげで崖線周辺地域には貴重な自然が残されている。その代表が、等々力渓谷である。
まずは、崖線マップにある【おすすめ魅力発見ルート】で等々力渓谷へ向かうことにした。
スタート地点は、五島美術館。駅改札を出て、駅前の道を左に行く。すぐに環状八号線…通称環八に出る。相変わらず交通量が多い。
その環八を渡って、二つ目の路地を右に曲がると、東急電鉄の創業者・故五島慶太氏の美術コレクションを保存展示している五島美術館だ。
現在『茶道具取合せ展』という企画展が開催されているが、崖線の地形と自然を生かした庭園が素晴らしい。
紅葉の季節は、そのために訪れる人も多いそうだ。また、美術館のすぐ横の切り通し、大井町線の上に架かる富士見橋は、関東の富士見百景に選ばれているビューポイント。
運が良ければ、線路の向こうに美しい富士山を眺めることができる。
自分も何度かチャレンジしたが、なかなかクッキリハッキリの富士を拝むことはできなかった。聞けば、夕日がひと際美しいのだとか…う〜ん、ここに住まなきゃ無理かな。
おもいはせの路
五島美術館の前から環八と並行して走る道がおすすめルート、通称「おもいはせの路(みち)」だ。
歴史に思いを馳せるという意味で付けられたというだけあって、しばらく行くと、右側に『稲荷塚古墳』第三京浜のガードをくぐった向こうに『野毛大塚古墳』と、四世紀後半から五世紀前半の古墳が続く。
美術館から100mほど歩くと、『上野毛自然公園』がある。この公園も崖線の斜面を利用していて、野鳥などの自然観察ができる。ただ、年配の方にはオススメできない。鬱蒼とした森の中を縦横に階段があるので、地面を歩かなくても、自然散策ができるのはいいが、平坦な場所や休憩するところが無い。 しかも、階段を下りようとすると、白い斑点があちらこちらにある。野鳥のフンだ。フンに気を使いながら、階段の上り下りをする気は無いので、すぐに引き返した。
お寺と教会をすぎると、『稲荷塚古墳』がある。柵がしてあるので、ここは入れない。
第三京浜の手前で左に曲がり、突き当たったらガードをくぐる。左側の歩道を歩いて住宅街を進むと、突然!鶏の大群が現れた。
茶色くて大柄なのは、ロードアイランドレッドだろう。おお、烏骨鶏もいる。優秀な鶏が、これだけ広い敷地で放し飼いにされているのだから、さぞや卵や肉は美味しいことだろう…ううっ、いけねぇ!よだれが出てきた。
ここは、木村ぶどう園 【寶醴苑】といって、ぶどうや苺、野菜などのもぎ取りを行っている農園であった。もちろん、卵の販売も行っている。
次の角を右に降り、丸子川沿いを150mほど歩いて、再び左に曲がり、坂を上ると『六所神社』がある。六所神社…名古屋の実家の近くのも同じ名前の神社があった。
『かっちん玉』という祭りが有名な神社で、赤、青、黄、白の色鮮やかな練り飴(子どもの拳ほどの大きさ)を竹の棒の先にくっつけた「かっちん玉」をよく買いに行ったものだ。
六所とは、六柱の神さまを合祀したという意味だとか、録所(?)のことだとか、墓地のことだとか、諸説あるが、よく分かっていない。因みに愛知県の六所神社は、松平氏(徳川)と縁が深い。
六所神社で参拝をすませたら、少し坂を上って左に曲がる。野毛図書室も前を通り過ぎると、右側に公園が見えてくる。玉川野毛町公園…『野毛大塚古墳』は、ここにある。

大塚古墳は、全国でも最大級の帆立貝式前方後円墳があることで有名だ。説明板には、全長82m、後円部の高さ10m、周濠を含めた全長104mとある。確かにデカイ。川和
にある富士塚に似ているが、あちらは高さ14mだった。ま、これだけの規模の古墳を都内で拝めるなんて、そうそうない。
横穴墓と不動滝
野毛町公園から一旦、環八に出て尾山台方面に100mほど進むと、等々力渓谷公園がある。渓谷へはそこから下りる。
途中、横穴墓がある。市ヶ尾の横穴墓よりも新しく、規模も小さいが、入口にはガラスが嵌め込まれていて、中が覗けるようになっている。
昼なお暗い水辺のプロムナードを木漏れ日とせせらぎを楽しみながら歩く。渓谷を流れる谷沢川は、お世辞にもキレイとは言えないが、近隣住民の憩いのスポットとして絶好のロケーション
ではある。
中ほどに、『不動の滝』がああった。等々力の地名の由来は、この滝の音が轟いていたからだという。どこかで聞いた話だ。
新石川の驚神社。この神社も(早渕川の水音が轟いた)から「とどろき=おどろき」になったという説がある。
早渕川沿いには不動滝もあるし、横穴墓も近いといえば近い。青葉区の史跡と微妙に似ている気がするのは気のせいか…。
不動の滝から階段を上って行くと、役の行者ゆかりの『等々力不動』がある。
映画は吹き替え(余談)
等々力駅の手前の赤い橋で渓谷は終わっていた。この赤い橋、名前を「ゴルフ橋」という。無粋な名前だと思ったら、ちゃんと意味があった。
昭和の初期、この辺りに『等々力ゴルフコース』という、面積約二万五千坪(9ホール)のゴルフ場があり、その入口にこの橋が架かっていたのだそうだ。
駅前の喫茶店でお茶をしながら、ここからどうするか思案する。
「おもいはせの路」は、等々力不動から御岳山古墳、宇佐神社を通って九品仏へ向かうが、もう一度等々力不動まで戻るのも面倒だ。
そこで前々から気になっていたものを見に行くことにした。 それは、等々力駅の北側、目黒通り沿いにある。
等々力駅の北側を線路に沿って歩く。ほんの先に尾山台の駅、この二つの駅、たった400mしか離れていない。目黒通りの高架をくぐると、左手に大きなパラボラアンテナが設置されたビルが現れる。まるで科学ナントカ隊の基地のような建物。(いったい、これは…?)
正体は、『東北新社』という会社のスタジオがあるビルだった。壁には昨年、商品化権を獲得した「フィリックス・ザ・キャット」の大きな看板がある。
テレビ番組や映画の制作、配給をされている会社で、映画好きを自任する私にとっては、『吹き替え』の会社として、子どもの頃からお馴染みが深い。
映画を字幕で観るのが通だという人がいるが、自分の場合、映画は絶対に吹き替え版である。英語をすべて理解できるならともかく、字幕を読むのに余計な労力を要するよりも、画面に集中したい。
あ、それから、吹き替えは専門の声優さんにやってもらいたい。最近、お笑いタレントや俳優さんを使うケースが増えているが、本人の顔が浮かんでしまっては、興ざめである。
話が逸れてしまった。
とっとろ♪ とどろき
目黒通りの反対側にある『満願寺』に向かう。満願寺もあざみ野にある。
この寺は、日本三体地蔵といわれた一言地蔵尊が安置されていることで知られているが、もうひとつ、江戸中期の書家・細井廣沢(ほそい・こうたく)の墓があることでも有名だ。
廣沢は、四十七士の一人、堀部安兵衛の親友で、赤穂浪士の吉良邸討ち入りを影から支援した人物としてドラマにも登場する。
水戸黄門で悪役にされている柳沢吉保に重用され物頭にまでなった、有為で多才な人物だ。墓所は国史蹟に指定されている。
寺の人に伺ったら、元々は世田谷城の出城の中にあった祈願寺だった寺が戦国時代にここへ移されたという。
世田谷城とは、現在の豪徳寺(井伊直弼の墓があることで有名)を含めた一帯にあった城で、代々吉良氏(上野介と先祖が同じだが別流)が居を構えていたはず。
その出城は、満願寺の北800m、現在「都立園芸高校」にあったというので、行ってみた。
正門の手前に石碑があった。「史跡 兎々呂城」と彫られている。
(ととろ…じょう)そうか! 城は本来(き)と読む。つまり(ととろ…き)だ。

校門を入り、イチョウ並木を進んでいくと、今度は大きな石に兎々呂城跡と刻んであった。等々力の地名は、兎々呂城(ととろき)だったのだ〜、と喜ぶのは早い。じゃあ「兎々呂」って何だ? まさか隣にトトロが住んでいたわけじゃあるまい。
兎々呂城の城主は、小田原北条氏の家臣・南条重長。吉良氏の出城なのに、後北条氏の家臣が城主とはこれいかに?
調べたら、吉良家には北条二代目と三代目の娘が嫁いでいるので血の繋がりは濃い。ま、それほど不思議ではないか。
いずれにしろ、ととろの意味や吉良家と北条氏の力関係など、歴史ファンにはたまらない謎であることは確かだ。
スフィンクスみたいな駅?
尾山台に向かう。等々力駅から尾山台まで約五百m、電車で行くより歩いた方が早い。
ハッピーロード尾山台商店街の鰻屋さんの店先に「荏原郡兎々呂城村字 八幡下」と書かれた石柱があった。やはり等々力は兎々呂城だったのだ。
尾山台から九品仏へ行く途中の住宅街(等々力5-16)には「中丸跡」という石碑。丸の文字は、この辺りに城跡があったことを示しているが、兎々呂城ではない。同じ世田谷城の出城「奥沢城」だ。
九品仏に着いた。品と書いてホンと読む。そういえば、上野が言っていた「スフィンクスみたいな駅」とは、どうやら九品仏のことらしい。「くひんぶつ」と読んでいたようだ…情けない。
九品仏の駅を出て左に行くと、すぐに浄真寺の参道がある。その参道を歩いて、門をくぐると、右手に閻魔堂、その先を左に曲がると大きな仁王門がある。
仁王門と隣の鐘楼の間に、「奥沢城」と彫られた小さな石碑があった。そこからぐるっと境内を取り囲むように土塁がある。城跡の名残だろう。
奥沢城には、吉良氏の家臣・大平氏が拠っていたが、小田原の役のあと廃城となった。

仁王門の先に本堂、それと相対するように上品(じょうぼん)、中品、下品の三つの阿弥陀堂がある。
それぞれに上生(じょうしょう)、中生、下生の三体の阿弥陀如来像が安置されている。全部で九品の仏様だから「九品仏」。ちなみに、上品(じょうひん)下品の語源はここから来ている。
荘厳な境内と堂宇は、ここが世田谷の住宅街だということを一瞬忘れさせるほど広い。
 
三年ごとに行われる「来迎会(らいごうえ)」、別名「おめんかぶり」の儀式は東京都の無形文化財に指定されているそうだ(次回は、来年夏)。

下町の味
九品仏の駅に戻り、商店街をぶらっと歩いてみた。どことなく昭和の匂いがする。
創業昭和七年の豆腐屋さんがあった。美味しそうだったので豆乳を購入。思ったとおり、大豆の味が濃い!「毎朝、ジョギングの人なんかが買って飲んで行くのよ。できたては、熱くて飲みにくいんだけどね」と店のおばちゃん。
世田谷というと、セレブなイメージがあるが、隣の自由が丘と二子玉川が派手なものを全部引き受けてくれているせいか、今日訪ねた四つの駅は、上品な中にも、どこか懐かしい下町の空気が漂っていた。

※HPをご覧の方だけに、とっておきの情報。じつは、この取材の1ヶ月前、九品仏で薩摩藩家老・調所広郷の法要が営まれた。末裔である調所一郎氏のお誘いをうけ、私も参列させていただいたのだが、当日は歴史研究家や著名な作家の方も参列されていて、そういった方々と歓談できるという恩恵をこうむった。 その歓談の席に送れて登場されたのが、誰あろう、徳川家19代目・徳川家広氏。
来年の大河ドラマは、「江
〜姫たちの戦国〜」。二代将軍秀忠の正室、お江与の方が主役ということで、ゆかりの地でもある青葉区(御霊屋料地、あざみ野の満願寺には二人の位牌がある)で、講演などしてもらえないかお尋ねしたところ、ご快諾いただいた。 今年の秋には、関ヶ原に関する本を出版されるそうで、時期はその頃になる予定。正式に決定次第、ひろたりあん本紙で発表します。乞うご期待。 |