■ひろたりあん通信バックナンバー
▼ 2008年10月号
地名推理ファイル歴史探偵 高丸の地名推理ファイル」
■街道を往く 大山街道編 11

 レストラン(ジョナサン藤が丘店)の屋上駐車場の南側に、雑草が生い茂った空き地がある。昭和三三年の九月、この周辺で土砂崩れが起きた。土砂は二年前に「二級国道」に指定された国道二四六号東京沼津線に落ち、道路を寸断したという。
駐車場を降り、国道側に回ってみる。

 洋菓子店「エクランナクレ」の入っているビルの裏、「エスペランサ」というマンションとの間のその空き地には柵がしてあり、「売り地」の看板がぶら下がっていた。敷地面積は百五十坪ほど、小さなビルが一つ建てられそうだ。

「この斜面が崖崩れの跡という訳ではないでしょうけど…、この辺りで土砂崩れがあったのは確かだそうです」

 見上げると、ジョナサンの駐車場と同じ高さから半分ほどが国道側に向かって崖状の斜面になっている。

「狩野川台風は戦後最大の雨量だったそうですからね」

「その十日ほど前に上陸した二十一号の時にも相当な雨が降ったそうですから、地盤が緩んでいたんでしょうね。崖崩れは市内のあちこちで起きて、ガス管が切れたりして、亡くなられた方も結構いたそうですよ」

「あの台風は、たしか昭和三三年ですね。被害は、鶴見川が氾濫した水害だけじゃなかったんですねぇ。宮澤さんは名古屋だから、その翌年に起きた伊勢湾台風の方が印象に残ってるんじゃないですか?」

「いやいや、伊勢湾台風の時は自分は母親のお腹の中ですよ〜(笑)。ただ、台風の話は幼い頃に、親から散々聞かされましたけどね」

「関東の人…特に鶴見川流域の人にとっては、狩野川台風の衝撃は相当なものだったんでしょうね。普段川の存在を意識しないのは、治水対策が万全な証拠かもしれませんね」

 年に数回は氾濫していたという鶴見川も、五十年前のこの大災害以降、大規模な改修工事や遊水地を整備をするなど流域対策を行ってきた。特に新横浜の多目的遊水地と麻生区の恩廻公園調節池の果たした役割は大きい。

「いや、聞いた話ですけど、狩野川台風規模の雨量を伴った台風が上陸したら、鶴見川はもたないらしいですよ」

 今年八月、恩廻公園調節池の地下トンネルに33000立方mもの水が流れ込んだ。貯水容量の三分の一だが、調節池が完成(平成16年)して以来初めてのことだという。今年の夏はゲリラ雷雨といわれる豪雨が頻発し、道路が川になる場面を何度も見た。こうしたことが地球温暖化の副産物だとしたら、来年以降もっと激しい豪雨が襲うに違いない。

 狩野川台風は開港100周年の年、来年は開港150周年にあたる。鶴見川の流域対策は全国で一番進んでいるというが、住民ひとり一人がもう少し川に対する意識を持ったほうがよいのではないだろうか。

上谷本の富士塚
 空き地の前から坂を上って、国道二四六号に出る。ひっきりなしに向かって来る車にびびりながら歩道を歩く。集団で歩く歴史散歩の時は、ジョナサンの角を曲がってホームセンター(ビバホーム)の向こう側を歩くが、それはまさに正解である。こうして歩道の端にいても、トラックやダンプの風圧に恐怖を覚えずにはいられない。

 ビバホームの入口で警備員さんが車道側に立って、私たちをガードしてくれた。恐縮しながら、すばやく通る。仕事とはいえ、身体を張った好意に頭が下がる。

 歩道を二百メートルほど歩くと、「オートフロンティア」という中古車販売店がある。ここは以前、ガソリンスタンドであった。

(スタンドは茶店を始めた千代吉の曾孫である柿の木台の石原博さんが平成九年まで経営されていた。崖崩れの話も、じつは石原さんからお聞きした)

 その中古車店の角、昭和情報機器という会社の手前を排気ガスと騒音から逃れるように右折する。曲がったと思ったら、いきなり正面からトラックが現れた。慌てて端に寄る。続けてもう一台、二台とも車体に子猫を咥えたクロネコの絵が描かれていた。お馴染みのクロネコヤマトの宅急便だ。昭和情報機器の隣が「ヤマト運輸」の青葉営業所で、敷地内にはまだ三台ほど待機していた。

 

「あっ、富士塚はここですね」

 津屋さんが指差したのは、ヤマト運輸の建物の下、十字路の角に残っている高さ二メートル位の土手である。

競馬のコース
「上谷本の富士塚ですね。ここに切り通しがあって、その上に雑木林の塚があったそうですよ」

 切り通しが出来る前は、なだらかな芝山で、子どもたちが滑って遊んでいたという。塚の側には六十センチ位の自然石で出来た碑があったそうだ。

「山開きの時に立てられたという富士講の旗が石原さん宅に保管されているそうです」

「そうですか。荏田の真福寺から坂を上った、鎌倉街道沿いの公園のところにも富士塚がありましたね」

「荏田第三公園の所ですね。あれは荏田の富士塚です。別名『どろ富士』というそうですよ。あと都筑区の川和富士、山田富士、池辺富士。これらは有名ですけど、青葉区にも荏田、大場、恩田、榎が丘などに昔はあったんです。現在は公園になったりしてますね、鉄町や市ヶ尾にもあったそうですから、探せばもっとあるはずですよ」

 富士山を信仰の対象とした富士講に基づいて築造された富士塚は、富士山に登れない人のために富士山を模して造られた人造の山で、どの塚からも富士山を眺めることができた。

「あ、そうそう。富士の山開きの時には、ここで農耕馬を使った競馬が行われていたそうですよ」

「えっ、競馬?それは初耳ですね」

                                ↑荏田第三公園の富士塚

「これは明治六年生まれの石原さんのお祖母さんの子供の時の話だそうですけど、露店なんかも出て賑わったそうですよ」

「それで、コースはどこなんですか?」   

                                             つづく 

 

※荏田宿〜長津田までの地図をクリアファイルブックに綴じたもの。現在もえぎ野まで完成しています。それ以降の地図は連載にあわせて随時お届けします。

ご希望の方は、住所、氏名、電話番号を明記の上

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