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2012年1月号 青葉発!希望の町行き定期便 『Passion Aoba』 0泊2日被災地ボランティア同行記 |
![]() 昇りはじめた太陽の光が、北上川の静かな川面に反射して、その眩しい照り返しが微かに残った眠気を追い払った。 「なんと穏やかな景色だろう」車窓に広がる美しい自然に、しばし見とれる。 写真を撮ろうとバッグからカメラを取り出した時、バスの音に驚いたのか、鴨の群れが一斉に飛び立った。急いでレンズを向けたが、窓の曇りが邪魔をしてピントが合わない。モードを切り替えて、再び構えると、川の中ほどに突き出た奇妙な二つのモニュメントがファインダーに飛び込んできた。 続いて、手前四分の一だけが色の違う長い橋が現れた。9ヶ月前の映像が頭をよぎる。モニュメントは、津波に寸断された橋の残骸であった。 新北上橋…、対岸の袂には、全校児童の七割(七四名)が津波の犠牲になった石巻市大川小学校がある。七月号の「夢の吹く丘」、ボランティアに訪れた野口多鶴子さんが、校庭の瓦礫の中から「上を向いて歩こう」のカセットテープを拾いあげた、あの小学校だ。 川の方に気を取られていたら、反対側の窓の向こうをコンクリートの柱だけになった建物が通り過ぎていった。さらに進むと、今度はスクラップになった車の壁。二〇〇mほど続く壁が風光明媚な河口の景色を遮った。その壁が途切れたあたりでバスは左にハンドルを切り、広い空き地の端に停車した。 パッションあおばプロジェクト リユース食器の貸出事業を行うNPO法人『Waveよこはま』代表の金子さんと青葉台駅前郵便局長の村野さんから声をかけられたのは、その20日前のこと。「東北のために何かしたい」広報をするにしても、一度は自分の目で(被災地の現実を)見ておきたいという思いはずっと心の中にあった。 (地元発、金曜の深夜に発って土曜の夜に帰る) 暮れの忙しい時期だが、それなら何とかなりそうだ。心は決まった。その日はラジオのレギュラー番組が入っていたが、収録を一週間延ばしてもらい、その他の予定も調整して、「参加」の意思を伝えた。 「パッションあおばプロジェクト」と名付けられたこのボランティア活動は、震災直後に『Waveよこはま』のリユース食器(カレー皿と箸、600個)を被災地に寄贈するところから始まった。翌四月には、地域のイベントでお馴染みのリユース食器洗浄車で被災地に赴き、給湯器を利用して被災者の皆さんに「足湯」を提供した。 「一回限りで終わらせたくはない。継続していける活動をするにはどうしたらいいのか?」それが次の課題となった。 そして七月、復興支援に立ち上がった仲間のパッション(情熱)は、諸々の課題を乗り越え、地元発の日帰りバスツアーというプロジェクトを立ち上げたのである。 「がれき撤去も、三人、四人の仲間でやっていると、いつ終わるんだろうか?という気分になるんですけど、二〇人、三〇人でやると、はかどり具合が違うし、モチベーションも上がる。地元から出発することによって、同じ地域の仲間の輪がどんどん広がっていけば、長く続けられる活動につながっていくんじゃないかと思っています」とプロジェクトのサブリーダーを務める中島さん。 主婦もいれば高校生もいる。区内の郵便局員の皆さんも大勢参加された。夏の盛り、ぬかるんだ田んぼの中から自動車や物置小屋などの撤去もみんなで力を合わせて行った。悪臭や粉塵、マスク無しでは作業できない状況の中、支援活動は続けられた。月一回のバスツアー、今回はその五回目となる。 石巻市北上町 http://www.mapfan.com/index.cgi?MAP=E141.28.1.4N38.34.45.5&ZM=9 広い空き地だと思っていた場所は住宅地だった。二十五軒の家屋が立ち並び、七五人の住民が暮らしていた。津波は八名の方の命と、家屋のほとんどをさらって行った。
が、一軒だけ残った。佐々木さんのお宅だ。残ったといっても、半分だけ。佐々木さんは、そこにテントを張り、一人で町を守りながら暮らしている。
支援先を探していた中島さんたちと、支援者を探していた佐々木さんがネットを通じて出会った。偶然の巡り合わせ、青葉区と北上町の間に絆が結ばれた。三回目からは、この町が復興支援の活動の場となった。 作業開始 高台に上がり、逃げた経路を淡々と説明する佐々木さん。実際に現場に立って話を聞くと、その恐怖が伝わってくる。 「あの時も、こんなふうに雪が降っていました」 朝日を浴びてキラキラと輝くダイヤモンドダストも、避難した人たちには、どんなに恨めしかったであろう。 「あそこに湖みたいに見えるところがあるでしょ?」 佐々木さんが北上川の対岸、大川小学校のあった方向を指さす。 「あそこには町が沈んでいるんですよ」 言葉がでない。
坂の途中に、小さな畑があった。町の人が共同で育てているのだそうだ。「土があれば、人間は生きていける」廣田花崖の『田園』の一節が頭に浮かんだ。 大きな物はあらかた撤去されているので、重機で取れなかったものを手作業で拾う。更地になったところには、春に花を咲かせようと、菜の花とレンゲ草の種が蒔かれているそうだ。その線を踏まないように作業を進める。 何もないようにみえて、コンクリートの塊やプラスチックなど結構落ちている。茶碗の欠片や電化製品の配電盤など生活の痕跡が見つかった時は辛い。 丸い玉があったので、指でつまむと数珠だった。思わず手を合わせた。 猫車何台分だろうか、結構な量を拾って戻ると、餅つきが始まり、炊き出しのけんちん汁も出来あがっていた。 聞いてもらわなければ始まらない お年寄りは、建物の中でストーブにあたりながらお餅を食べている。 だるまストーブを横にしたような見たこともないストーブ。聞けば、最初に来たボランティアの人がプロパンガスのボンベを改造して作っていったのだそうだ。 「何か不便はないですか?」と声をかける。 「な〜んにも無い」とお母さん。 それまでバラバラに暮らしていた家族や親戚が仮設で一緒に暮らしていることが嬉しいと笑う。 「あの子も目つきが変わってしまっていたのよ。でも、ボランティアの人たちが来てくれるようになって、元の顔に戻ったの」と佐々木さんのお母さん。 震災直後、こんな小さな町にも盗みを目的に来る連中が大勢いたのだそうだ。こういうことはテレビでは報道されない。 「横浜から来てくれたんだってぇ、ありがたいことぉ」和気あいあいの会話が弾む。(半分近くは、方言で聞き取れないが…) 「私は、まだ息子があがってないんです。流されて…三十八の息子が…」 それまで笑って話していた一人のお母さんが、私にそう話しかけてきた。今でも、警察から連絡があると飛んでいくのだと…訴えるように話す。見る間に瞳が潤んできた。 「・・・」 言葉が出ない。うん、うん、と頷きながら、もらい泣きすることしか出来ない自分が情けない。
「ううん、聞いてもらうだけでいいの。聞いてもらわなきゃ、な〜んも始まらない」 反対に気を遣わせてしまった。「聞く」のは私の本職。話を聞くだけで喜んでもらえるなら、何度でも聞きに来ます。 「昔は『結(ゆい)』っていうのがあったの。何をするにも協力してやった。周りに杉の木がいっぱいあるから、いざとなったら、それを伐って、みんなで家を建てればいい」と佐々木さんのお母さんは笑う。 やはり、東北の人は逞しい。今は皆で別の土地に田んぼを作っているのだそうだ。 希望の町 瓦礫撤去をした場所には、子供たちが遊べる公園を造りたいと佐々木さん。何も無くなった町には、『希望』という芽が確実に生まれている。縁があって訪れた町、最後まで見守っていきたいと思う。 午後1時をまわったので片づけを始める。日帰りでどれほどのことができるのかと思ったが、早朝すぐに作業に取りかかり、およそ6時間。たぶん、一日フルに働いた充実感を誰もが感じたに違いにない。 地元の皆さんと十三浜に別れを告げ、道の駅の温泉で疲れを癒し帰路についた。
「参加者一人一人が、誰に指示されることなく率先して動いてくれて、その意識の高さには頭が下がる。だからこそ、用意できるものは用意したいし、活動の内容も地元の人達に本当に役に立つものを考えたい」と、中島さん。 といっても、資金は乏しい。4000円という格安の参加費もバス会社さんのご好意。区内のイベントでのグッズ販売や、賛同してくださる方の支援によってプロジェクトは成り立っている。 歴史探偵・高丸こと、宮澤高広
復興支援はまだまだ続く。「バスツアーに参加したい」「被災地には行けないので寄付だけしたい」「リストバンド購入で、プロジェクト支援者として参加したい」という方は、ぜひ、『Waveよこはま』(下記)までご連絡ください。
Passion Aoba 0泊2日被災地ボランティア 活動内容、スケジュール等、お問い合わせは下記まで NPO法人 Waveよこはま 担当 中島 090-6566-8574
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