■ひろたりあん通信バックナンバー
▼2008年12月号
地名推理ファイル歴史探偵 高丸の地名推理ファイル」
■街道を往く 大山街道編 13

追い剥ぎと地獄田
「追い剥ぎが出る」という話を青葉区に住み始めた頃、幾度となく耳にした。

 「へーっ、そうなのですか〜」と、まだ二十代前半だった私は、地元の人の昔話に素直に相槌をうちながら、頭の中で谷山林道を思い浮かべていた(谷山林道は、京都、愛宕山麓にあり、太秦の撮影所から近いということで、数多くの時代劇のロケ地に使われている。私たちが想像する峠道のシーンは、ほとんどがこの谷山林道といっても過言ではない)。

 「おいおい、江戸時代の話じゃないぜ」見透かされたように注意された。強盗じゃなく追い剥ぎと言われれば、時代劇を想像しても仕方がない。

 聞けば、田園都市線が開通する前の話だという。当時は、長津田駅まで行かなければどこにも出かけられなかった。追い剥ぎが出たのはその途中、青葉台辺りだったそうだ。青葉台も当時は「カンヅメ村」と呼ばれていた。店が一軒もなく、長津田まで缶詰を買い出しに行っていたからだと言われている。

「昼間でも追い剥ぎが出ると言われて、子どもの頃、そこを通るのが本当に怖かった」と、地域史研究家、綾部宏さんも講演会で語っておられた。

 平成10年、みずほ銀行(旧富士銀行)を退職された綾部さんは、生まれ育った故郷の姿が開発によって激変し、歴史や人情が忘れ去られていくことを憂い、故郷の歴史を後世に残そうと郷土史の研究を始められた。現在は生涯教室の講師をされている。

 著書に成合村と綾部氏のルーツを研究された『我が村と氏の源流を探る』がある。

 因みに成合村とは、現在の「たちばな台」のことで、今の成合町は、鴨志田にあった飛び地にあたる。

「ちょうど今、私たちが下ってきた道は、かつて『さいかち坂』といったそうですね」と津屋さん。

 津屋さんの自宅は藤が丘、この辺りには詳しい。ただ、現在の道筋はすっかり変わってしまっている。

 当時の『さいかち坂』を現在の地図に当てはめてみる。まず、上谷本の富士塚(ヤマト運輸の角)を右からぐるっと回り込み、ヤマダ電機の駐車場辺りを斜めに突っ切る。更に国道246号も越えて、田園都市線に出たら線路に沿って右に曲がり、国道246と交差しながら再勝橋の下をくぐる。

 「びっくりドンキー」というハンバーグレストランの辺りで、左斜めに曲がり、再び246の反対側へ出る。蛇行しながら、つつじ橋の下に出る。坂を下ったら、あとは長津田まで国道二四六にまとわりつくように進んでいく。

「ちょうど、つつじ橋の下辺りに、清水がコンコンと湧いている場所があったんです」

「あっ、なるほど。昔の字名は『地獄田』と言ったそうですから、ぬかるんだ湿地帯だったんでしょうね」

 青葉台の交差点を十日市場方面に左折、国道246号のガードの手前、木村表具店の角を右に入る。

「綾部さんにお聞きしたんですけど、この辺りに黒橋という名の橋がかかっていたそうですよ」

「黒橋ですか?しかし、この辺に川なんてありましたか?」

黒橋とほっとけ山
「横浜翠嵐高等学校」に在籍されていた綾部さんは、当時成合村の自宅から、細い農道(環状4号線)と大山道を自転車で長津田駅まで通学されていた。黒橋は、地獄田の中を流れる小川に架かっていたそうだ。

「たぶん、この川がそうだと思うんですけど…」

 表具店から30メートルほど歩くと、左側に橋の欄干がある。川は10メートルほど露出して、246のガード下に隠れる。反対側は暗渠の道路になっているので、知らない人は道路の下に川が流れているとは考えもしないだろう。

「この川は『しらとり川』と言って、環状4号線と並行して南に向かい、横浜線の十日市場駅の手前で恩田川に合流するんです。この道路が川筋だとすると、源流は東急スクェアの裏を抜けて、田園都市線を越えて北に向かう。ほっとけ山の方ですかね」

「ほっとけ山?…ですか?」

「パルテ青葉台という建物の裏側です。本当は仏山というそうですけど、地元では『ほっとけ山』と呼んでるそうです。その名前から、いろいろな噂があるんですよ。例えば、罪人を処刑した刑場跡ではないか…とかですね」

「それは住んでいる人にしたら穏やかじゃないですね」

「そうなんですよ。新興住宅地なんかでは、こういった噂がよくあるんですよ。さっきの地獄田もそうですけど、なまじ昔の地名を知っていたりすると、根拠もなく噂だけがひとり歩きするんですね」

「まあ、そういった類の話はあちこちにありますからねぇ。中川の老馬も牢場で、処刑場だったと言いますしね」

「そう、それですよ。処刑場はありえないんですね。ここは旗本領ですから。旗本領では罪人は江戸に送られて奉行所に引き渡されるんです。処刑も、もちろん江戸で行われる。老馬は牢ではなく、素直に老いた馬でしょう。どこの村でも農耕に馬を使っていたわけですからね。老馬の地名は、死んだ農耕馬を葬ったか、処理した場所でしょうね。時代がもっと遡れば話は別ですけど。仏山に関しては綾部さんも否定されていました」

「確かに、言われてみればそうですね。もしかしたら、勝手に入らないように『ほっとけ』と名付けたのかもしれませんね」

「あっ、津屋さん鋭いですね。山の木を勝手に伐ったり、草を刈ったりしたものは、たたりがあるという言い伝えも残っているんですよ」

「あはは、宮澤さんの真似をして駄洒落を言ったつもりでしたが…、そうでしたか。それより、そろそろお昼にしませんか?」

 気が付くと正午を回っていた。環状4号線沿いのお蕎麦屋さんで、昼食をすませ、再び大山道に戻る。

 青葉台幼稚園の坂を上り、その先、家電専門店「コジマNEW青葉台店」のT字路を右折。次の十字路を左折して更に坂を上ると料亭にぶつかる。

 「青柳」と読めるが、料亭の名前は「青柿(かき)」である。そのT字路を右折して更に上ると、水道局の恩田配水池の丘が見える。

「この配水池の一画に富士塚があったんです」

「ああ、恩田の富士塚はここですか?」

「いえ、恩田には、もうひとつ富士塚があるんです」 

                                              つづく 
 

この恩田配水池の一画に、富士塚はあった。

※荏田宿〜長津田までの地図をクリアファイルブックに綴じたもの。現在もえぎ野まで完成しています。それ以降の地図は連載にあわせて随時お届けします。

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