| ■ひろたりあん通信バックナンバー |
| ▼2008年12月号 |
| 夢の吹く丘 〜都筑の丘のすばらしき人々〜 |
■海峡スイマー 津屋 庸子 さん![]() 魚の水を得たるが如し 泳ぐことが「大好きでたまらない!」という人々が世界中から集まる場所がある。 西オーストラリアの州都パース。ここで毎年2月、海峡横断レースが開催されます。 パース郊外にあるコテスロー海岸をスタートして、沖合にあるロットネス島を目指す、その距離20q。 一人で横断するソロ、二人でリレーをして泳ぐデュオ、四人でリレーをするチームという3つの種目がある。 ソロで完泳された日本人はこれまでに10名。津屋庸子さんも、そのおひとり。二〇〇五年の大会で見事完泳されました。 「すごく練習して、いけるなって自分で思ったんです。それで、やってみようかしらってことになったんですね。還暦の祝いも兼ねて…無茶ね(笑)」 津屋さんは5回のデュオ経験者。これまでに、三浦や新島、奄美など数々の大会にも出場されていました。 「母の実家が静岡県の伊東なんです。夏になると伊東のおばあちゃんの家に遊びに行っていたんですね。おにぎりを持たされては、朝から海に行っているうちに、なんとなく泳ぎを覚えて、沖まで行っても大丈夫になったんです」 クロールも背泳ぎも平泳ぎも見て覚えた自己流。 「小学校の時に、初島へアジ釣りに行って、途中で船からポンと落とされたんです。帰っておいでって。イヤになったら上げてあげるからって、長い距離泳いだのはそれが初めてですね。ちゃんと習ったのは三十代。子どもが幼稚園に入って、長男の時は見ていただけですけど、次男の時は絶対泳ぎたくて(笑)子どもの隣で泳いで。水泳の先生に本当に形を習ったのはその時からなんです」 藤が丘のエンゼルスイミングスクールでした。その後、コーチの試験を受け、九年ほどコーチをし、競技役員などの試験も受けました。
楽しみながら泳ぎ切る そう考えている時、日本人で初めてドーバー海峡を泳いで渡った大貫映子(おおぬきてるこ)さんに出会いました。 「新島の帰りに出会ったんです。オーストラリアで1マイル(約一.六q)の大会があるから一緒に行きましょうって言われて、行きたいな〜と思って、身体を診てもらったら、いいですよって。身体が合ってるんですね。水の冷たさに耐えられる体脂肪と、それから泳ぎ方」 泳げる人でも、細い人は体力を消耗しやすいそうです。私も体脂肪とクロールなら自信があります。 「尾辻さんというコーチに週4回、手の動かし方から足の動かし方から教わって、もう一度習い直したんです」 がんが消えた 「終わって安堵 しばらく泳ぐのやめて休みなさい、そうコーチたちに言われてフワフワやっていたら、いつまでたってもフワフワなの。酔っちゃうしね。船に酔うんじゃなくて水に酔うんですよ。変だな〜と思って、気が付いたら胸にしこりがあって…」 乳がんでした。 昭和大学乳腺外来の松宮先生による抗がん剤治療が始められ、がんとの闘いがスタートしました。 「そばについて食事の面倒とか、話を聞いてくれる主人がいたからがんばれたんですね。本当に感謝しています」 津屋さんという名字で気付かれた方もいらっしゃるかもしれません。ご主人は、地名推理ファイルで大山街道を一緒に旅した『半自由人』津屋英樹さんです。ご主人の看病と、泳ぎで培った強靭な体力。的確な治療法も功を奏したのでしょう。いつの間にか消えてしまっていました。
「怖さは無い。治ることしか考えなかった。だからやっぱりがんだけは早期発見。先生はちゃんと話してくださる。舞い上がっちゃうと聞き逃しちゃうのね。良い治療法を見つけて、怖がらずに治療すること。それを同じ病気の皆さんに伝えたいですね」 発病から一年半、今年十月、初島と熱海間、約12qを完泳されました。 「海に出たときは、本当にありがたくて涙が出てきちゃうの。よく家族が健康であって、よく出してくれたって、家族の顔が目に浮かぶのね」 夢は、再びロットネス海峡を泳ぐこと。 「でも、主人や子どもたちが許してくれるかしら…(笑)」 結婚後、ご主人の故郷積丹の冷たい海で毎年夏に泳がれていたこと。海峡スイマー誕生の兆しは、この頃にあったのでしょう。
魚水の契りで結ばれたお二人。大丈夫、困った顔をしながらも、笑って送り出してくれるに違いありません。
会員34 津屋庸子さん |